れだけで、(キャス夢)
※過去捏造


 黒のペンキで中央に円を一つ。それを囲むようにして丸のラインを、二つ。
 円形にくり貫いた木材には、合計四つのエリアが出来上がる。

 一度風通しの良いところに置いて、キャスケットはこんなものかと頷いた。
 出来合いの的にしては、上出来だ。

 てかてかと輝いていたペンキの乾きを確認して、仕上がったばかりのそれを壁に掛ける。
 ぽつりと染みのように壁に引っ付いた黒円に目を細めた。

 航海と航海の狭間に唐突に空いた暇は、中々に強敵だ。
 ましてや、いつもはあれこれと指先を動かすことができていた仕事がないとなれば、退屈をいとうキャスには拷問に等しかった。

 キッチンを借りて何か作ろうとしたが、コックが保存食を作るのに忙しく、さっさと追い出されてしまったのはついさっきのこと。
 手伝おうか、珍しくもそんな殊勝な台詞を口にしたキャスだったが、釣り上げたばかりの巨大魚を前にして息巻くコックには、聞こえていなかったのだろう。

 船内をぶらついて、流浪の末に流れ着いたのは船員が訓練場の一つとして使っている部屋だ。
 他は壁に木刀やらが下がっている部屋もあるが、ここには特にそういったものはない。
 二日前に、ベポとペンギンが手合わせした際にできた床の凹みはそのままだ。
 船大工がぶつくさ文句を言っていたが、確かにこれはでかい。

 その穴を跨ぎ、部屋の隅から適当な距離を置いて中央に立った。
 自己鍛練は嫌いではない。だが、キャスは自分の指の間で鈍く光る獲物をちらりと見ると、重い溜め息を吐いた。

 腰のベルトには、使い慣れたナイフが幾本もぶら下がっている。
 体術が戦闘の中心のキャスは、補佐としてナイフを使っていた。最近はやたら使う頻度が高いので、補佐なのか疑問になりつつあったが。

 利き手の指に挟んだ一本をくるりと回す。
 力を抜いた肩と、神経を研ぎ澄ませた指先が一つの機械になる。
 狙ったところにナイフを突き刺す、機械に。

 だん、と。鈍い音をたてて、中心の黒円に刃先が吸い込まれる。
 震えるグリップが、力の入りすぎた腕を嘲笑っていた。頭上の照明の光を反射させる刀は、狙いよりも若干外側にずれている。
 サングラスの内側で細めていた瞳を、更に苛立ちに細めた。

 舌打ちをこぼしながらも、腕は慣れた動きをなぞって第二投を放つ。
 これも、中心の黒円に突き刺さる。今度は狙い通りだ。
 第三投、それが終われば四投目。ナイフが的に当たる重い音ばかりが、部屋には規則的に積もっていく。

 ほとんど無意識で次々とナイフを指から放ちながら、キャスは昔のことを思い出していた。
 昔、と言ってもこの船に乗るよりも前、それこそ海賊になるとは思ってもいなかった頃の話だ。
 海賊ではなかったとはいえ、その頃から少々やんちゃをしていたキャスは、同じように馬鹿ばかりやっていた連中と日夜つるんでいた。

 餓鬼だった当時の自分を思い出すと、恥ずかしくてたまらない。それくらいに、考えなしで阿呆だったのだ。
 そう、阿呆だったのだ。
 ナイフによってあちこちむごいことになった的を見やる。

 かっこよさそうだから、という意味の分からない理由でナイフを仕入れて持ち歩くくらいには、阿呆で考えなしだったのだ。
 得意気になって仲間内でげらげら騒いでいたが、今思えば間抜けすぎる。

 暇と好奇心を持て余した餓鬼の間に、ちょっとしたお遊びが流行ったのは当然と言えば当然の流れか。
 仲間内で金を賭けてのナイフ投げは、キャスも大概参加していた。
 元々手先を使うことを得意とするキャスが、そのゲームで負けたことはほとんどなかった。


 一際強い音をたてて、最後の一本が的に突き刺さる。

 手先が器用な自覚は子供の頃からあった。だけど、それだけなのだと思い知ったのは、あの頃だ。
 特に苦労することなく、そつなく何でもこなしていたキャスは負けることこそなかったが、それでも勝つこともなかった。
 それは何も、ナイフ投げに限った話ではなかったのだ。

 いつだって、なんだって、よくできましたを貰うことはあっても、満点の花丸を貰うことはなかった。
 器用貧乏とは、自分のような人間を言うのだろう。
 マルチで万能だなんて、おれって罪な男。と一人で嘯いて軽く肩を竦める。

 使い終わった的を壁から外し、突き刺さったナイフを一本ずつ取っていると、廊下から足音が近付いてくる。
 他の誰よりも軽いそれに、キャスは扉の方を振り返った。


「キャス、いるかー?」
「おー、いるいる。つか、本人の目ガン見しながら言うな」
「いや、なんか癖で」


 ノックもなしに扉から入ってきたのは、赤い髪の少女だ。
 コックが捌いた魚で一杯どうだと言っているらしい。開いた扉から、なんとも香ばしい香りが誘惑してきて、つい唾を飲み込んだ。
 ふと、焦げ茶の瞳がキャスの手の的に気付く。


「ん、ああ、自主訓練?」
「まーな。腕が鈍ると危ねぇし」
「すげぇな、全部中心の円の中に当たってんじゃん」


 おー、かっけぇ。目をキラキラと輝かせ、少女は手を打った。いつもだったら、純粋で真っ直ぐなその視線に笑い返していた。
 だが、醜い感情が胸の奥にいすわってどうにも上手く笑えない。キャスは視線を脇に逃した。


「そんな大したもんでもねぇよ。こんなん、中の中だ」


 良くもなければ、悪くもない。できないことはないが、それ一つだけを専業にできる程でもない。
 中途半端でどっち付かずな自分のそれは、貶められるものではないが称賛を受けるものでもなかった。

 キャスの返答の裏に潜む劣等感に、少女は気付いたのかどうか。それは分からなかったが、彼女はキャスの瞳をサングラス越しにじっと見つめると首を傾げた。
 うーん、と唸る顔は眉間に皺が寄っていて年頃の女子が悩む顔にしては可愛いげがない。
 お前もうちょっと見え方気にしろよ、と額をつつく。その指をムッとした顔で払いながら、少女は自分の頬を指差した。


「なあ。あたしはさ、キャスの腕前がプロから見たらどれくらいかとか知らないよ。知らないけどさ」


 指し示したそこには、絆創膏が貼り付いている。昨日の海上戦で、敵の武器がかすったのだ。
 すぐ側にいたから、キャスはよくその光景を知っている。と言うよりも、刃物がかするだけで済んだのは、間にキャスがいたからだった。


「あの時、ナイフ投げて敵からあたしのこと守ってくれたキャスは、凄いしかっこよかったよ」


 ナイフ投げの達人がキャスのこと大したことないって言おうが、キャス本人が言おうが、んなのはどうだっていんだよ。
 少女がキャスの胸ぐらを掴んで引き下ろす。傾いた上半身に、低くなった頭の位置。
 焦げ茶が楽しそうに細められる。その瞳は、さっき以上にキラキラと輝いていて、目を反らすことさえできなかった。


「だってあたしにとっては、ピンチを救ってくれたヒーローなんだから。百点満点、かっこいいだろ?」


 床に置いてあったペンキ缶に手を伸ばすと、少女は床に垂れるのも気にせず刷毛を手に取る。
 ぽかん、としていたキャスが我に返った時にはもう、白のつなぎには大きな大きな花丸ができあがっていた。
 どうよ、と。親指と人指し指で丸を作り、少女はふふんと得意気に胸を張った。


「おま、これ」
「赤がないから黒になっちゃった。悪いね」
「そこじゃねぇよ」


 陽気に笑う少女は、指についたペンキに気付かず頬を擦り、白い肌を汚していた。
 惨事にぎゃあぎゃあ騒ぎ始めたのを横に、キャスは己の服に描かれた花丸を眺める。
 初めて貰ったそれは歪な上に真っ黒だ。それでもキャスは、なんだか腹の底から笑いたい衝動に駆られた。


「……ったく、下手くそ」


 間抜けなことこの上ないが、それでもこれは捨てずにとっておこう。
 手の痕がしっかり頬に残ってしまっている少女の頭を、両手で乱暴に撫でくり回しながら、キャスは衝動のままに声に出して笑った。

 この少女は意図なんてこれっぽっちもしていないくせに、キャスの劣等感を引っくり返していく。
 だからなんだと、顔中真っ黒にしてはキャスの心に特大の花丸を描いて、笑うのだ。

 少女だけが描ける、黒く下手くそな満点。
 でもそれだけで、キャスはヒーローにも何にだってなれるのだ。











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キャスって器用貧乏そうだなー、というイメージのまま書いたらこんなことに。

ミスチルの「ヒーロー」が私的にキャスのイメージソング。
 


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