よならなんて言いたくない(男主、パウラ夢)

 一言で表すなら、男は変わった人間だった。

 変わり者の多い異端審問局において、そう評されるのだから、その度合いたるや推して知れるものだろう。
 と言っても、もし彼の所属が教理聖省ではなく、敵対勢力である国務聖省であったなら。
 これ程、あの男が目立つことはなかっただろうとパウラは思う。

 せいぜい、名前を聞くくらいで記憶に留まることはなかっただろう。
 変わり者の彼を、異端審問局内で更に異様にさせているのは、その思想と所属の合わなさ故なのだ。
 Axのナイトロード神父との方が、同僚よりもよほど気が合うのではないかと揶揄したこともあった。


『シスター・パウラの目に、善人に映っているようで光栄至極です』


 あの時男はそう言って、煙草を吹かして微笑んだのだ。

 優秀な男であることは、共に仕事をしてきたパウラが一番よく知っている。
 それまでパウラの肩にかかりきりだった事務系統の職務が、男が来てからというもの随分と減ったのだ。

 優秀だが、完璧かと言うとそれは違う。人よりミスも少なく完成度は高かったが、変わり者も人間だ。
 時折つまらないミスもすれば、仕事を放り出して散歩に姿を消すこともあった。

 そもそも完璧を望むのなら、ブラザー・バルトロマイに頼んだ方が確実だ。
 それでも、パウラはいつもあの男に仕事を頼んでいた。もはや、パウラの仕事は男を仲介するのが省内で当然のこととなる程に。

 当たり前のように頼みを引き受け、軽口を叩いて笑う男は、実に絶妙な距離の保ち方を心得ていた。

 少しは休みましょうよ、と手ずから淹れたお茶をトレイに乗せてやって来ては、無理やりパウラから仕事を取り上げる。
 ずかずかと人のテリトリーにそ知らぬ顔で入り込んでくる。そのくせ、彼が本当の意味でパウラの懐に入ったことなど一度もないのだ。

 あれだけ話をしていたというのに、パウラは男に自身の個人的な何かを口にしたことがなかった。
 自分から喋ることなど元より考えられなかったが、それ以上に男から聞いてくることもまったくなかったのだ。

 彼はパウラの故郷も本名も家族関係も知らない。
 人から聞くことはあっても、きっとそれを『知る』ことなどないんだろう。

 カップを片手に男の声を聞いてはいたが、パウラも彼の個人的なことなど何一つ知らなかった。
 家族も国も、恋人の有無も。
 一体何を喋って時間を消費していたのか、過ぎ去っていった一つ一つの日々を振り返っても、男に関連する何かが見つかることはなかった。

 ざり、と靴が砂利を噛む。澱んだ空気を割いて歩く左右には、もはやただの木材と成り下がったベンチの死骸が散らばっていた。
 天上に開いた穴からは、太陽の明かりが差し込んでいて、埃がきらきらと輝いている。

 廃墟と化した教会は、以前、異教徒の巣窟として異端審問局が殲滅した場所であった。

 男は、変わり者だ。
 局内が異教の徒を一人残らず消し去ろうと沸き立つ中、証拠があまりに薄弱だと言って一人作戦に反対していた。

 例え、異教であろうと対話の道があると言って、現地指揮のマタイに粛清されかけたらしい。
 どう上手く誤魔化したのか、無事に自身の足で歩いて帰ってくると「あれは参りました」と静かに笑っていたものだ。

 藪に隠れている野鳥は、鳴かなければ場所を知られ撃たれることはない。
 そんな当たり前のことを知っているはずの男は、それなのによく鳴いた。
 だから、変わり者なのだ。馬鹿と言っても差し支えはないだろう。

 今までは上手く逃れていたが、今回ばかりは逃れようもない。
 何と言っても、銃から吐き出された弾は「死の淑女」なのだから。

 パウラは、教壇の前、朽ち果てた祭壇を見上げる後ろ姿に足を止めた。
 無防備にこちらに背を向けたままの男に、内心の苛立ちを少しも滲ませることなく静かに呟く。


「愚かしい程、馬鹿ですね」
「ははは、開口一番随分辛辣ですね」


 呼び出したのは、パウラだ。それが一体何を意味するか、知らないわけではないだろう。
 断った所で逃れようもないが、だからと言ってのこのこ来るとは。おまけにいつも腰に飾っている銃が、今日に限っては二丁とも見当たらなかった。
 まったくの、丸腰だ。


「私が同情するとでも」
「いえ、そういうのではなく。ただ単に、折角の副長のお誘いに無粋なものを持ってきたくなかっただけですよ」
「言葉もありません」
「嬉しくて?」
「……」
「冗談です」


 肩を竦め、笑う。そう言えば、この男の笑った顔以外は見たことがなかった。
 何も浮かんでいない静かな横顔と、同じくらい何も浮かんでいない笑みだけが記憶の中に残っている。下らない残骸だ。


「生憎、私は冗談ではありません」
「でしょうね」
「何か言いたいことは?」
「煙草よろしいですか」


 言いながらも、既に一本口にくわえている。にこりと、最後ですしとジッポーを振った。


「ご自由に」
「ありがとうございます」


 赤く灯った先端から、紫煙が立ち上り、穴に吸い込まれていく。器用に煙で丸を生みだし、男はぼんやりと傾いた十字架を見ていた。
 ラム酒の香りが、鼻先を撫でていく。


「今日は実に天気が良いですね。散歩に最適だ」
「仕事がありますので、そんな悠長なことできませんね」
「真面目だなぁ、副長は。仕事も大事ですけど、適度な息抜きも重要ですよ」


 まるで、いつもの昼下がり、執務室で休憩している時のようだ。中身のない会話を意味もなく、繰り返す。
 会話に意味などなかった。ただ男が笑ってパウラが答える、その事実だけに皮肉な程に意味があったのだ。

 フィルターまでまだかなり残っていながら、男は煙草を靴の底でもみ消した。
 吸い殻を拾うと空になった箱の中に押し込み、それさえもくしゃくしゃに握りつぶし、ポケットに押し込む。


「さて、お待たせしました」


 先程天気を口にしたのと同じくらい、軽い口調だった。両手を脇に下げ、体から力を抜いて立つ。
 その姿は、これからここで生を終えることなど知らぬかのように、リラックスしていた。

 男の淹れた、ハーブティーの香りが唐突に蘇る。ラム酒の香りに負けないくらい、はっきりと。
 昨日までの日常は、今日、ここで終わる。他ならぬ、パウラの手によって。

 明日からは、この男ではない誰かが彼女の仕事を手伝い、茶を淹れるのだ。
 無理やり仕事を中断させることもなく、従順なその誰かのおかげで、パウラの処理速度は今まで以上に上がることだろう。
 手に余るようなら、優秀な機械化歩兵の神父に頼めば問題もない。喜ばしいことだ。
 何も、不利益なことなどありはしない。


「シスター・パウラ?」


 黙したパウラに、男が訝しげに眉を寄せる。
 遠くから、鐘の音が聞こえた。時が、来たのだ。


「ブラザー」
「はい?」
「私は、あなたと過ごす意味のない茶会が意味もなく好ましかったですよ」


 淡い紫色の目が丸くなる。いつものように微笑むか、そう思ったパウラの視線の先で、男は眉尻を下げて唇の端を上げた。
 それは、見慣れた笑みのようでいて、初めてパウラが目にする表情だった。

 そうですか。言葉を受け取り、瞳を伏せた男の頬に太陽の光が零れる。
 まるで、泣いているかのようだった。

 最後に、本当の表情を覗くことになるだなんて。
 胸を刺すハーブの香りに、きつく目を閉じる。

 そうして、ゆっくりと瞳を開けたパウラは足を踏み出した。
 この男と、お別れするために。









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パウデレ(パウラさんのデレ期)を目指した結果、辿り着いたのがここ。
どんな道を辿ってこうなったのか、管理人にも謎。
 


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