五十音順愛の詠book
□五十音順愛の詠 『こ』
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子供ですね、とあの子は言ったけれど。
恋しい人の喜ぶ顔が見たいと真っ直ぐに想う気持ちは、年を重ねて変に意地を張るようになった自分よりずっといい。
お茶でも飲みに行こうかと思っていた足を、それまでとは真逆の方向に向ける。
かつかつと鳴る踵のテンポは、徐々にその間隔を短くして、最終的には駆け出していた。
あの男は、クローバーを差し出したらどんな顔をするだろう。
いつもの笑ったような表情のまま、何てことないように受けとるだろうか。
それとも、少しぐらいは驚いて相好を崩すだろうか。
「クローバー探しに行かない?」
言葉にできない衝動のまま走って、息を切らして扉を開けた開口一番。
書類整理を終えて休んでいたマタイは、慌ただしさと何より言われた言葉に面食らった。
傾きかけていたカップがぴたりと止まり、しばし流れた沈黙の末、中身を減らすことなくソーサーに戻された。
「クローバー、ですか?」
「そう、四ツ葉の」
「なにかに必要なんですか?」
「そんな大仰なものじゃないよ。君にあげたいだけ」
「私に?」
いつも涼しい顔をしているマタイが、珍しく戸惑っている。
それがおかしくておかしくて、我慢しても口許が弧を描いてしまう。
「あげる私と一緒に行く、というのもおかしな話ですね」
「そうだね。本当は探して摘んできたものを見せようと思ったんだけど」
「だけど?」
「そう考えてたら、無性に会いたくなったから。どうせなら一緒に行っちゃおうかと思って」
お得でしょ?
ふふふ、と噛み殺しきれなかった笑いが零れてしまう。
胸の中がそわそわして、落ち着かない。でも、それが心地いい。
もっとその落ち着きのなさに、浸っていたくなる。
エステルも、こんな気持ちでテラスへと向かったのだろうか。そう考えると、また口許や目元が綻んだ。
飾ることも誤魔化すこともなくぶつけられた言葉に、マタイはぽかんとした顔でこちらを見上げた。
いつもはくっついてしまっている目蓋を最大限上げ、目を丸くしている。
覗いた瞳は、いっそ無防備と言っていいほどだ。
この表情に比べたら、さっきの面食らった顔なんてまだ変化に入らないな。
「ね、だからさ」
まるで舞台に上がる役者みたいな大げさな所作で手を差し出す。
エスコートするのが自分で、されるのがこの男なんて。
異端審問局の部下が見たら、目を剥くだろな。
「珍しく素直な恋人に付き合ってくれない?」
そして、ねぇ、恋しい人よ。
できればでいいから、子供みたいなこの感情に、困ったようにでも優しく笑ってちょうだい?