五十音順愛の詠book

□五十音順愛の詠 『こ』
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いびとよ

 剣の館の廊下をのんびり歩いていたら、前方から見慣れたシスターがやって来るのが見えて、歩いていた速度を緩めた。
 紅茶色の髪をふわふわと風に揺らし、ラピスラズリの瞳は周りを伺うのに一生懸命でまだこちらに気付いていない。
 てっきり書類整理から逃げ出した銀髪神父を探しているのかと思い声をかけてみたが、顔を上げたシスターの表情には期限ギリギリの時特有の鬼気迫る感じは微塵もない。
 予想が外れたか?
 首を傾げつつ、小走りで駆け寄ってくるシスター――エステルが口を開くのを待つ。


「こんにちは。お久しぶりです」
「うん、久し振り。元気そうで良かった。この間の任務の後処理は大丈夫だった?」
「はい、ご心配おかけしました」
「いやいや、出来上がり見たけどよくできてたよ。さすが、エステル。むしろ一緒に出されてたアベルの報告書の方が酷かったからね」


 悪戯っぽく軽口を叩けば、誉められたことにはにかみながら、件の銀髪神父に呆れた溜め息をこぼす。
 そのこぼされた息に混じる、苦笑の柔らかさに、彼女のアベルに寄せる暖かな感情が透けて見える。


「ところで、何を探しているの?」
「ナイトロード神父様を……」


 徐々に小さくなっていく語尾と当初感じた疑問に、今度は内心に留まらず実際に首を傾げる。
 書類の提出か何かなら、探すの手伝おうか?
 そう提案すれば、泳いでいた視線はどこへやら。ばっと顔を上げたエステルは、とんでもないと手を横に振った。
 春の柔らかな日差しの下にしては、随分と頬が赤い。

 その時になって、わたわたと慌てる彼女が後ろ手に何かを持っていることに気付く。
 よくよく見れば、白い尼僧服のあちこちが土で汚れ、指先の小さな桜色をした爪は白い部分が緑色に染まっていた。


「四ツ葉の、クローバーを見付けたんです」


 神父様に見せて差し上げようと思って。
 俯いた頬と言わず、髪から覗く耳も首筋も真っ赤にして、か細い声でエステルは言った。


「個人的なことですし、それに、その……勝手にお見せしたくなって探していただけなんです」


 子供ですね、私ったら。不安そうに肩を落としたエステルは、そこで、乾いた泥に汚れたブーツの先に気付いたようだった。
 きっと今までは、探すのに夢中になって、見つかったら見つかったでアベルのことで頭が一杯だったのだろう。
 小さな体をより一層縮め、「お見苦しいところをすみません」と頭を下げた。

 脱兎のごとく駆け出そうとした背に声をかけた自分の顔は、多分、とても柔らかな表情をしているんじゃないかと思う。
 この愛らしいシスターが、たった一人の人のために、その人を喜ばせたいがために、クローバーを手に走り回っていたのかと思うと頬が緩むのを抑えることができない。
 なんて、純粋で真っ直ぐに心へと沁みる暖かな想いだろう。


「東館のテラスには行った?」
「い、いえ、まだですが」
「なら、行ってみるといい。もしかしたら、日向ぼっこでもしてるかもよ」


 まだ戸惑いを滲ませていたエステルも、その言葉とそっと肩に置いた手に、きゅっと唇を結んだ。
 不安と期待の入り交じる瞳に視線を合わせ、そっと微笑む。


「見せておいで。きっと、喜ぶ」
「……ただの、クローバーですよ」
「そうだね、ただのクローバーだ。君がアベルに見せたくて摘んで持ってきてくれた、その一点を除けば」


 その一点が、特別なんだよ。
 くるりとエステルの肩を押して方向転換させ、ぽんと背中を叩いた。
 一歩踏み出して振り返った瞳には、さっきまでの不安は欠片もない。
 本物のラピスラズリにも負けないくらい、輝いている。


「ありがとうございます。行ってみますね!」
「いってらっしゃい。転ばないようにね」


 後半の言葉は果たして、駆け出した彼女に聞こえているかどうか。
 踊る紅茶の髪を眺め、だらしないくらいに顔を緩めるだろうアベルの顔を想像する。
 いい子とコンビを組んでいるものだと、こちらまでつられて笑ってしまう。
 これは、ことあるごとに自慢してくるのも分かる。
 
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