五十音順愛の詠book
□五十音順愛の詠 『か』
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かくれて、かくれて
自分の所に紛れ込んだサカズキへの書類を片手に、クザンはだるそうに廊下を歩いていた。
部下が持っていくというのを無理矢理押しきって部屋を出てきたのだ。
ちゃんと相手に届けるつもりではあるが、その後真っ直ぐ執務室に帰るかというと、それはまた別の話。
何処にいるやらと、のんびり歩いていると、曲がり角の先からあの独特な話し声が聞こえてきた。
美人なお姉さんならまだしも、同職のいかつい男の声を聞き慣れるなんて。
クザンはやるせなさに、肩を竦めた。
「……だから、この書類にサインよろしく」
「また期限間近にこんなもんを」
「悪かったわ。遠征の準備やらでばたばたしてて、すっかり忘れてたのよ」
角を曲がる直前、いかつい同僚の話し相手が自分のよく知る女性であることに気付く。
曲がり角から廊下に出掛けていた足を、クザンはそっと引っ込めた。
とうとうと続く事務的な会話に耳を傾ける。
片や厳格を固めて、プラス融通のきかなさをおまけしたような男。
片や真面目に仕事をしつつも、どちらかと言えばガープやクザン寄りの立ち位置の女。
今交わされる会話の乾いた空気といい、互いにぶつかっては周りの新兵が卒倒する覇気を振り撒く二人は、海軍内で取り合わせてはいけないコンビとして有名だ。
そしてそんな話とは逆に、二人が実は一般兵の頃からの付き合いで、世間でいう恋人というものであるということは、一部の人間しか知らない。
幸か不幸か、クザンはその一部の人間なのだが、それでも未だに信じられない。
そもそも、あのサカズキに女がいるということからして耳を疑う話なのに、その相手が気の合う飲み仲間である女性なのだ。
どうやったら、恋仲になるんだ。そもそも、あんたら恋人って何だか分かってんの?
同期で喧嘩友達のことを指すんじゃないんだからね?
当人たちが聞けば、呆れたり叱りつけそうな失礼なことを考えているうちに、渦中の二人の仕事話は終わったらしい。
女が提出期限を確認し、サカズキが無愛想に返事をする。
仕事中に私情を挟むようなタイプでないのは百も承知だが、酷い受け答えだ。
慣れきっている女はそれには特に何も返さず、じゃあ、と話を切り上げ背を向ける。
「体調管理も満足にできんのか」
「あら、ばれてた?」
不機嫌な唸りに、答えた女の調子は実に軽い。
こういった軽さは、クザンに通じるものがある。
しみじみ思う反面、サカズキの指摘に内心驚いていた。
ここに来るよりもずっと前、朝の仕事確認の際に彼女に会った時、そんな素振りは微塵もなかったというのに。
「大丈夫だと思ってたんだけど、熱上がってきたみたい」
「気が抜けちょる証拠じゃ」
「はいはい、軟弱者ですいません」
髪の襟足を指で払い、肩を竦める彼女の姿が目に浮かぶような、いい加減な謝罪だ。
あのサカズキにこんな態度をとるところを部下あたりが見れば、恐ろしさに白目を剥くだろう。
「そういえば、クザン何処にいるか分かる?」
「何か用向きか」
「用っていうか、猫の手ならぬ、クザンの手を借りようかと思って」
平時だと使い道他にないじゃない、と悪びれもなく付け足す彼女は、どうやら貴重なロギアの能力を額に貼る保冷シート代わりに使う気らしい。
悪魔の実も形無しだ。苦笑を堪えきれないが、やはりそれも彼女らしい。
どれ、それじゃあ仕事サボりながら午後は彼女専用の保冷材にでもなりますか。
クザンが壁から背中を離したその時、ぴりっ、と空気の中に刺々しい電流が走った。
離した背はそのまま、踏み出しかけていた足がその場に縫い付けられる。
「……何処におるか分からん馬鹿者を探すより、さっさと医務室に行きゃいいじゃろう」
「意外とそこら辺うろうろしてるかもしれないじゃない」
「熱出した病人にうろうろされる方が迷惑じゃ」
「なによそれ、って一人でも歩けるわ」
「足元がおぼつかん奴がよう言う」
足音が二つ、クザンのいる場所とは反対の方向に遠ざかっていく。
面白そうに「もしかして妬いたの?」なんて聞いた彼女の問を、サカズキが下らんの一言で一蹴する。
肌を刺す電流は、二人分の気配が廊下の向こうに消えるまで続いた。
「なーんだ、ちゃんと恋人同士なんじゃないのよ」
片手に摘まんだ書類を目の高さでひらひらと振る。
やっぱりこれは部下に持っていってもらおう。
あんな牽制されちゃ、今日は一日サカズキと会わないように気を付けなくては。
「馬に蹴られるのは遠慮してぇな」
ま、でも後々からかいのネタにしますけどね。
ひっそりと笑って、クザンは踵を返した。