五十音順愛の詠book

□五十音順愛の詠 『お』
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くれてきた初恋

 その手配書を見つけたのは、ほんの偶然だった。
 資料の片付けを手伝っていたら、傍らにあった紙の山が崩れてきたのだ。
 雪崩の下敷きになったあたしは、頭上に落ちてきた紙切れを払いのけ、何となく視線を落とした。
 そして、WANTEDの文字の上にでかでかと写った写真の人物に息を飲んだ。

 独特の金の髪型、眠たげな目、厚い唇、そして胸に大きく誇る刺青。

 すべてに見覚えがあった。
 これまでの航路で見かけたとか街中ですれ違ったとか、そんなんじゃない。
 もっと、ずっと昔にあたしはこの人に会ったことがある。

 あれはまだ、自分が海に出るだなんて思ってもいなかった頃。
 生まれ育った島が世界のすべてだった子供の頃のことだ。

 島の裏手側、商業船はまず停泊しない海岸線沿いを冒険していたあたしは、空にきらりと光る何かを見つけた。
 好奇心の赴くままに光の行方を追えば、崖沿いの拓けた所に降り立ったのは鳥だった。

 しかし、ただの鳥じゃない。羽の一枚一枚が青々と燃える、それは言葉も忘れる程に美しい。
 絵本の中でしか見たことがない、魔法の存在だ。

 重そうな瞼のその鳥は、呆けているあたしを更に驚かせることをし始めた。
 青い炎の中からみるみるうちに二本の足が表れ、広げていた翼も五本指の手へと形が変化していく。
 まるで、人が炎の中から生まれでたみたいだった。

 我慢できずに木陰から飛び出して側に駆け寄った時にはもう、風に一筋二筋と青の名残をそよがせるだけの、普通の人間になっていた。
 見たこともない不思議な光景に、ただただ目を輝かせて飛び付いたあたしは、今考えれば恐ろしく危機管理能力に欠けていたと思う。
 あの時、摩訶不思議な鳥人間が浮かべた苦笑は多分そこに呆れたからだろう。

 あの人は、指を口に宛がい静かにあたしの頭を撫でた。


『今見たのは、内緒にしとけよ』
『しー?』
『そう。しー、だよい』
『わかったよいよい』
『真似するんじゃねぇよい』
『よい!』


 大きく頷いて片手を上げれば、重い溜め息を吐いて困っていたな。
 あの後暫く語尾によいを付けて話すのがマイブームで、家族に変な目で見られたもんだ。
 そんなマイブームが終わったのは存外早く、不思議な青い鳥は一週間と島に滞在しなかった。
 毎日のように顔を見に行ってはじゃれ付いていたあたしは、そりゃもうわんわん泣いた。
 出会った日のようにからりと晴れた空をバックに、炎と同じ綺麗なブルーの瞳は微笑んで、翼に変わった両手を広げた。


『こんなおっさんのために泣くなんて勿体ねぇぞい』
『だ、ひっ、ぐっうっ、だって!』
『どうせ泣くなら、色っぽいことで泣けよい』
『ずっ、いろ、ぽい?』
『あと十年ぐらい経っていい女になってからなら、大歓迎だ』


 あの時は意味なんてさっぱり分からなかったけど、考えてみればきっざなこと言ってたんだな。
 炎が触れない距離から煽られた暖かな風に頬の涙が乾いていくのが心地よかった。

 美しい青の炎は、最後にもう一度大きく両翼を広げてあの人は飛び立っていった。

 一般人だとは思っていなかったけど、まさか海賊だったとは。
 しかも自分のようなヒヨッコが同業者と言うには口も憚られるような、高額賞金首だ。


「お、なんだ。白髭んとこの一番隊隊長じゃねぇか」


 後ろから覗き込んだ船員が、感心したように呟いた。
 あたしは肩書きの下に載った名前をそっとなぞる。

 マルコ。
 そういえば、あの時は名前も知らずにじゃれかかっていたのか。
 よいよいの人と言えば、街中で一発で通じたしな。


「どうした?」
「へ?」
「顔赤いぞ」


 指摘に、早足だった心臓が大きく跳ねた。
 ばくばく五月蝿い鼓動を胸の上から押さえるけど、顔の熱は収まりそうもない。


「あ、熱いから外の風に当たってくる!」
「おい!」


 制止の声も無視して、散らばった紙束を巻き上げて部屋から飛び出す。
 人もまばらな甲板に飛び出し、端の方へ滑り込み膝を抱えてうずくまる。
 あの炎に近付いた時なんてまだ涼しかったと思えるくらい、身体中が熱い。
 胸に押し付けた手配書をもう一度見る。

 独特の金の髪型、眠たげな目、厚い唇、そして胸に大きく誇る刺青。


「ああ、もう……」


 十年も前の初恋を、今更思い出すなんて。
 勘弁してくれよ。
 

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