五十音順愛の詠book

□五十音順愛の詠 『お』
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くれてきた初恋


 美しい女性なら、今まで幾らでも目にしてきた。

 異端審問局局長という立場は、国賓クラスの着飾った令嬢達を目にする機会に事欠かず、名門の家柄もそれに拍車をかけていた。

 何より、口を開けなければ、ペテロは眉目秀麗な美丈夫である。聖職者であるから幾分か控え目であっただろうが、彼女達から積極的なアプローチをしかけられたこととて、少なくはない。

 世の一般男性が聞けば、羨ましさに歯ぎしりの一つや二つしたくなる状況だ。朴念仁にはまったくもって過ぎた御褒美である。

 期待を裏切らず、ペテロ自身はそういった色目にはとことん疎かった。
 そもそも、この男が美しさに胸を震わすなんていうのは、光を浴びるマリア像やキリスト像相手に限定されている。
 聖下や猊下の心遣いに感無量で震えることはあるが、生身の人間を前にして見惚れるなんていうのは、まったく考えられなかった。
 本人としても、自分はそういった感覚が人よりも未熟なのだろうと思っていた程だ。

 だから、彼は今心底不思議でならなかった。
 ちらりと手元から視線を上げれば、執務室の入り口に腕を組んで仁王立ちしているシスターがいる。

 清廉さと貞淑の象徴である白と青の尼僧服を着ているというのに、まったくもってそこから連想できる空気とはかけ離れた怒気をまとっている。
 今から殴り込みに行ってきます。と言われれば納得してしまいそうだ。そして、そういったことを仕出かしても何ら不思議でない性格であることも長い付き合いで知っている。


「ちょっと、なに人の顔ちらちら見てんのよ」


 裏路地でたむろする不良達が、いちゃもんをつけるのと大して変りのない台詞である。喧嘩売ってんのかと続かないのが、せめてもの救いか。
 目付きは、完全にそういった連中を凌駕した鋭さではあるが。壊滅騎士と呼ばれ、教皇庁内外に名を轟かすペテロを、こうも正面切って睨み付けるシスターもそうそういないだろう。ましてや、一応彼女は一般シスターだ。


「顔色伺ったって、延期なんてしてやらないからね。というか、毎月毎月なんで私があんたの尻叩いて書類待ちしてやらなきゃいけない訳?
 作家と出版社か。いい加減、少しぐらい計画性を育んでも罰は当たらないんじゃない?」


 一息で言い切って、ブーツの底で一つ床を叩く。
 婦女子が尻などと言うなだとか、立ったままで監視されるのも気になるので座ったらどうだだのと、言いたいことは幾つかあったが、ペテロは結局そのどれも手には取らなかった。


「少し聞きたいのだが」
「何よ?」


 代わりに、先程から気になって仕方なかった事柄を引きだす。
 赤い瞳が、胡乱気にペテロの双眸を見返す。コイフから零れた髪も、揃いの赤色だ。

 裏切り者と呼ばれる男と同じ色は、神の信仰を守る場所ではあまり好印象を抱かれるものではない。ましてや、ここ、異端審問局では尚更その傾向が強かった。
 ペテロとて嫌悪こそ抱かなかったが、最初見た時は驚いたものだ。目に焼きつくような鮮烈な赤にも、そして、周りの視線に一切怯むことなく、真っ直ぐに伸びた背中にも。


「汝は、その、何か見目を変えるような取り組みをしているのか?」
「はあ?」


 書類関連での懇願か何かを言われると思っていたのだろう。間抜けな声を上げたシスターは、瞳を丸くして、ぱちぱちと睫毛を瞬かせた。
 その様を眺めやり、ペテロはやはり思うのだ。不思議だ、と。


「見目を変えるって、え、整形とかのこと言ってるの?」
「良くは分からんのだが、そういった類の何かかもしれん」
「随分ふんわりした質問ね。大体ほぼ毎週の様に会ってるのに、顔が変わったかどうかも一々聞かなくちゃ分からないの?」
「……変わっているようには見えんな」
「そーでしょうよ。今日も昨日も一昨日も、先週も先月も、更に言えば去年も、ずーっと変わらず目付きの鋭い悪人面のままだからね」


 鼻を鳴らして笑い飛ばすと、シスターは大仰に肩を竦めた。
 彼女の言う通りだ。何も、変わってはいない。
 それは今日まで何度も何度も、ペテロ自身も確認してきたことなのだから。

 出会った当初から、互いに気安い関係になって空気は変わったが、それ以外で彼女に大きな変化などなかった。
 三白眼の目も、上に切れ長な眦も。真っ直ぐに伸びた背中まで、そのままだ。
 喧嘩っ早い所は幾分かマシになった。というのは彼女の友人の弁であるが、親しくなったとはいえ、常時口喧嘩が勃発しているペテロには、一体何処をどう取れば改善されたのか全く分からなかった。
 
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