五十音順愛の詠book

□五十音順愛の詠 『お』
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「出会った頃から変わらぬはずなのに、不思議だな」
「今度は何が。あんたそうやって自分の中で話し進める所、いい加減どうにかしなさいよね」
「変わらぬはずなのに、汝はどんどん美しくなっていくな」


 小言を無視したペテロの言葉に、シスターの口がぽかりと開く。またもや瞳は丸くなったが、開いたままの口からは「はあ?」という驚きの言葉が漏れることはなかった。

 何も変わってはいない。それなのに、彼女の美しさに息を飲むことが、ペテロには何度もあった。しかも、最近になればなる程、その頻度が増えてきている。
 コイフに差した赤色も、向かってくる困難すべてを跳ねのける瞳の強さも、曲げぬ信念を表した背中も。
 変わらぬすべてが、とても美しかった。


「某はそういった方面には無知だ。しかし、汝のそれは、彫刻や絵画を見た時に感じる美しさとは違う気がするのだ」


 どう言えばいいのか妥当な言葉が見つからず、ペテロは瞑目して考え込んでしまう。
 勿論、目の前で顔を赤くしているシスターのことなど気付いてすらいない。

 あちこちに記憶をほじくり返す。
 晩餐会で着飾った令嬢達は、美しかったらしい。よくは分からなかったが、部下達が影でそう言っていたのを耳にしたことは一度だけではなかった。

 確かに彼女達は、醜くさからほど遠い場所にいた。それは、一種、美術品にも似た美しさだ。良く整っていて、欠点は見つからない。
 だが、きっと、こういった日常の中に解け込むことはできないだろう。あの場でこそ、輝く美しさなのだ。


「完璧ではないだろう。美点があれば、欠点とてある。当たり前のことだ。汝は芸術品ではない、生きた人間なのだから。だがな、いや、だからこそ、某は、某の傍らで生きる汝が、一人の人間としてとても美しいと思う」


 文句を付けようと思えば、いくらでも付けられる。
 口が悪い、信仰心が薄い、シスターとしての清廉さに欠けるなどなど、付き合いが付き合いだ。欠点などお互い嫌という程今まで見てきた。
 それでもやはり、きゅっと唇を引き締めて、真っ直ぐに自分を見返す瞳を、ペテロは美しいと思うのだ。


「……あんた、本気?」
「嘘を申すのは某の望む所ではない」
「そうね。大体、顔にすぐ出るから嘘付けないものね」


 がしがしと乱暴に髪を掻くと、シスターはがっくりと肩を落とした。
 ぶつぶつと口を動かしているみたいだが「この歳でこれって、情操教育どうなってんのよ」だとか「ていうか気付いてない? ここまできて? あーでも、無菌室培養かこいつ」などという、失礼なことを言っているということ以外、ペテロにはまったくもって意味の分からないものばかりだ。


「よーし分かった。あんた疲れてるのよ、書類はこっちでどうにかするから休みなさい。やーだ、私ったらちょー優しいーははは」
「昨日今日に始まったことではない。無用の気遣いだ。それよりも、汝、やはり何か変化について心当たりがあるのか?」
「知らない。まったくこれっぽっちも知らない。知ってても、絶対教えない。特に、あんたにだけは絶、対、嫌!」


 つい先程までの意気消沈ぶりが嘘のような力で書類をもぎ取られ、流石にペテロも大人しくしていられない。お互い立ち上がり、机を挟んでの睨み合いが勃発した。


「何故そのようなことを言うのだ!」
「うっさい! 私から教えるとか自意識過剰過ぎるから嫌なのっ。ていうか、変わったのは私じゃなくてあんたの方なんだから、自分で考えなさいよ!」
「某に心当たりなど微塵もないぞ!」
「その歳までサボってたツケが回ってきたんでしょっ。この、脳筋!」
「なっ、勤勉を旨とする某に何を言うか!」
「そっちじゃないわよ! とにかく、勉強代としてこの書類は貰っていくから。いい、絶対自分で考えなさいよっ。他の奴、特に腹黒糸目になんて聞いたら、次の月末容赦しないからね!」


 相変わらずの肺活量で一気に言い終えると、シスターは脱兎の如く駆けだした。
 開け放たれたままの扉を前に、ペテロは呆然と今しがた叩きつけられた言葉の意味を考えていた。
 ぺたりと、手の平で額に触れる。


「……眼科に行くべきか?」


 遅まきながらに気付いた変化が、一体何に成長するのか、残念ながら当の本人が一番理解していなかった。
 
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