五十音順愛の詠book

□五十音順愛の詠 『う』
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 件のシスターは、今日に限って、純白に青のラインが入った尼僧服に袖を通していたらしい。
 元々普通の尼僧ならしていて当たり前の服装であるが、初めて出会った頃からずっと黒の僧服姿だったのだ。慣れ切っていた少年少女にしてみれば、正規の服装の方が驚く。

 長い空色の髪は、まとめてすっかりコイフの中にしまっていたらしく、顔を見なければ、とてもではないが気付かなかっただろう。というのがダニエラの弁だ。


「ほら、そんなんで気付くんだからすっげぇじゃん」
「否定」


 一心に褒めるヨハンに、それをどうにか否定しようとするバルトロマイのやり取りは、堂々巡りだ。
 とうとう焦れたヨハンが、地団太を踏む。彼からしてみれば、好意的な言葉をここまで跳ねのけられて、自棄になっている部分があった。


「じゃあ、なんで分かったのさ! 全然見た目違うし、顔なんて見えないのに!」


 癇癪を起した子供の言葉は、理性を旨とするバルトロマイには理解不能な感情の塊だった。しかし、その乱暴なボールが、思いもかけない強さと重さでもって、鋼鉄の体を打ったのだ。

 何故、あれがシスターだと確信したのだろうか。
 ここに至って、バルトロマイは己の行動を振り返り、あまりにも不確定な情報ばかりを手に答えを決めていたことに、驚きに近いものを感じていた。

 ヨハンの言う通りだ。
 シスターの顔が見えた訳ではない。気付いた時には既に彼女はその他大勢の人間の流れに飲まれ、角を曲がっていたのだから。
 似たような背格好の女性ならいくらでもいた。尼僧服に包まれた小さな背中に、いつもバルトロマイに微笑みかける彼女を連想させる要素など、一つもなかったはずだ。

 それでも、あの瞬間。人混みの中に、何の特徴もない背中を見つけた瞬間、バルトロマイは確信したのだ。
 シスターだ、と。

 吸い寄せられた視覚機能に証拠もなく断言した思考機能、どちらも優秀な機械化歩兵には似つかわしくない。
 こんな直感に任せた判断は、人間のすることだ。そもそも、機械に感などあるはずもない。
 疑問はスピードを増して、思考パルスの中を巡る。

 なら何故、あそこにいるのが、シスターだと分かったのか。思ったのか。

 疑問は出口を見いだせないまま、回り続ける。しかし、そんなバルトロマイの内情を知らないヨハンは、我が意を得たりと誇らしげだ。
 ほーら、やっぱり。あれでしょ、そういう訓練とか受けてんでしょ? 犯人とか捕まえるのに使うの?
 良かったら、俺にも教えてよ。などと続きそうな台詞を遮り、バルトロマイは彼の賛辞を真っ向から否定した。


「ターゲットが他の人間であったなら、今回のような状況で身元が照合できた可能性は極めて低い。過大評価は推奨しない」


 跳ねのける強さは、普通の子供なら泣くか怯えるかしてしまっただろう。
 当の本人はと言えば、無表情威圧的言葉が一々分かり難いという逆の意味で花丸を付けてやりたくなるバルトロマイの愛想のなさには慣れていた。
 怯えも泣くこともしなかったヨハンは、代わりに白い首をこてんと傾げてみせた。


「つまり、シスターだったから、後ろ姿だけでも分かったってこと?」


 直球の言葉に、答えたのはバルトロマイではなかった。
 それまで二人のやり取りを黙って眺めていたダニエラが、とても大人びた顔で笑ったのだ。
 女の子の成長は早くて、はらはらしますね。そう言って、肩を竦めたシスターをバルトロマイは思い出す。


「なんだかそれって、愛の告白みたい」
「なんだよそれ」
「特別ってことでしょ。ヨハンったら子供なんだから」
「歳変わんないだろ!」


 喧嘩に発展しそうな二人のやり取りを聴覚センサーに捉えながら、バルトロマイは石のように固まってしまった。

 ダニエラの言葉は、酷く理解に苦しむものだ。
 何度繰り返し再生しても、一から十まで機械には理解不能な言葉の羅列でしかない。

 分かる訳がないのだ。心から生まれる感情も、トップオーダーもないというのに何かを優先的に処理するなどという区別方法も、すべては人間のすることなのだから。

 俺は、機械だ。そう言ったきり、バルトロマイは続きを口にできず、沈黙してしまう。
 自身の言動が矛盾していることを、他ならぬ彼が一番よく分かっていた。

 前言を撤回するべきなのだ。あの状況で、シスターだと断じたのは早計だったと。
 確実な情報を得られていないのに、考えを決定することをバルトロマイはしてはいけない。

 彼は、愛も特別も理解できない、機械なのだから。

 しかし、ダニエラが楽しげに見上げてきても、ヨハンが不思議そうに声をかけてきても、ついぞバルトロマイの口から次の言葉が出てくることはなかった。

 何故、と疑問が空回る。
 人混みの向こう、シスターが消えていった曲がり角を眺めた。日光に照らされた眩しい白が、脳内で勝手に再生される。

 意味も必要性も、この場にはない。
 それでも、彼女の名前を口にしてしまいそうだった。
 
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