OP短編

□海に沈むような熱
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「でも、そうですね。こちらこそ、すみません。宴の途中で抜けさせてしまって」
「別にそれは良いんだ。おれも渡したい物あったし。はい、これ」


 逆に頭を下げられそうになって、慌ててその手を取った。親指と人差し指が回ってしまうくらいに細い手首に、掴んだ自分が動揺してしまう。
 早口で「誕生日おめでとう」と言って、広げた掌にしゃらりと握っていた物を落とす。
 体温の低い彼女には、エースの体温の移ったそれは熱いくらいかもしれない。

 舷窓からの月明かりに鈍く光り返すのは、男物のリングをチェーンに通したものだ。
 赤の瑪瑙をシルバーの二連が挟み込んだデザインのそれは、以前立ち寄った島で色が気に入って購入したのだが、指に何かをはめるのがどうにも落ち着かず、結局ろくに付けずに終わってしまっていた。

 最初はそのまま渡そうかとも思ったが、サイズが合わない上に、指輪を渡す意味に思い至って一人自室で真っ赤になっていたのだ。
 打開策として手頃なチェーンをマルコに貰ったが、その際大いに呆れられ笑われたの言うまでもない。


「ごめんな。おれのお下がりになっちまうんだけど」
「いえ、そんな気にしないでください。大体、昨日の今日で何処かに買い物に行けるわけありませんし」
「やー、マジでいきなり分かったもんだからすげぇ焦ったよ」
「はあ、私もそんなつもりで言った訳じゃなかったんですが。まさかナースたちから船長の耳に入るとは思ってませんでした」


 指輪の輪郭を撫でた彼女の表情が、柔らかく綻ぶ。
 それはよくよく見ないと分からない動きなのだけど、エースは零すことなくその感情の表れを拾い上げた。
 さっきは見ることしかできなかったそれが、自身に向けられているのかと思うと、自然と頬が緩んだ。


「ありがとうございます」
「喜んでもらえたんなら、おれも嬉しいよ」


 傍から見れば、無表情の女とその顔を見て満面の笑みを浮かべる男。
 という実に奇妙な図だが、その奇妙さを生みだしている二人には、互いの感情が良く分かっていた。


「じゃあ、上に戻るか」
「そうですね。泥酔者出ていないとも限りませんし」


 エースが歩きだした後に、小さな足音が続く。
 しかしそれもすぐに、「あ」という意味のない音が落ちるのと引き換えに途切れた。数歩先で立ち止まったエースは、何事かと振り返った。


「どうした?」
「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「ん、なに?」
「私もお祝いしたいので、エース隊長のお誕生日教えていただけませんか」


 続いた言葉は、静かで穏やかな声だ。
 だけれど、彼女の声が空間を震わせた途端、それがどんなナイフよりも鋭く胸を穿った。

 心臓が嫌な跳ね方をしたのが分かる。
 お祝い、という響きが自分の知らない言語のようだ。
 消毒液の香りが、きつく鼻についた。


『ゴール・D・ロジャー?』
『アレは生まれて来なきゃよかった人間なんだ』
『クズ野郎』


 様々な声が、頭の中をぎゅうぎゅうに占領した。アルコールとは別物の気持ち悪さが、胸を焼く。
 は、と息を吐き出して自分が呼吸を無意識に止めていたのだと気付いた。


「……いや、いいよ。別に」
「でも」
「ほんと、いいって。そんな祝われるほど大したもんじゃないし」


 軽い調子で言って、エースは笑った。少なくとも、笑ったつもりだった。
 喉の奥から絞り出した笑みは、甲板で仲間に見せているものと同じものの筈だった。
 からからに乾いていて、空間に馴染めずにその場に漂ったこと以外は。

 逃げるように踵を返す。
 行こうぜ。そう言いたかった声は、呼ばれた自身の名前によって容易に包み込まれてしまった。


「エース隊長」


 手首を掴んだ手は、振り払えば簡単に離れるだろう小さなものだ。
 ぐっと、肩に力が入り、腕がこわばる。頭に思い描いた動作は、あと一つで終わる。
 それなのに、肩に入った力は、結局何処にも発散させることができなかった。

 彼女に掴まれた腕が、そのまま体の脇に垂れる。握り締めた手に行き場のなくなった力が集中して、寒くもないのに拳が震えた。

 喧騒が、酷く、遠い。
 あの騒ぎの中でなら、いつも通りに振る舞えるのに、ここはあまりに静かすぎるのだ。
 
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