OP短編

□海に沈むような熱
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 甲板のあちこちに、こうこうと照明が灯されている。
 まるで真昼のような明るさに全身を照らされた白鯨は、きっと、黒く沈んだ周囲の海からぼんやりと浮いて見えることだろう。

 さざ波に明かりの欠片が落ち、それが船の周りにサークルのように広がっていっては、海の底を照らしている。
 この近辺の住人たちには迷惑なことだろう。眠気眼で鯨を睨む魚とそんな彼らに詫びるモビーの困り顔があまりに自然に頭に浮かび、エースは喉を鳴らして笑った。

 その笑い声が、廊下の闇に静かに溶けていく。ほとんどの人間が表に出払った船内は、耳を澄ませばランプの芯が燃える音さえも拾えそうだ。
 同じ船だと言うのに、甲板とは別次元のように感じられる。
 さっきまで騒ぎの中心にいたエースの耳にはまだ、叩き割りかねない勢いでぶつけ合う乾杯の音も、調子っぱずれの「ビンクスの酒」のメロディーも残っているが、この圧倒的な静けさの前ではそれでさえすぐに呑み込まれかねなかった。

 目的地も明確に決めていないので、あちらこちらの部屋を覗き込みながら、奥のフロアへと足を進める。
 たまにすれ違う船員に探し人の名を問うてみても、みな「そういえば」と不思議そうに顔を見合わせては首を横に振る。


「ったく、何処にいるんだか」


 独りごちて、階段を下りる。一段一段足音を鳴らすごとに、喧騒は遠くなっていく。
 日頃あまり世話にならない医療フロアに来ると、消毒液の香りがつんと鼻先を撫でた。
 自然系のエースには、なんだかその香りが幼少の頃を彷彿とさせ、懐かしいような切ないような気分にさせる。

 アルコールが入っているせいで、いつも以上に感傷的になりそうな自分を、頭を振って追い払う。
 波による揺れとは違う何かに、床板が軋んだ。音の出所を追う前に、ずらりと両隣りに並んでいた扉の一つが開いた。
 細く斜めに走った光の線が、廊下の木目を浮かびあがらせる。


「エース隊長?」


 白衣の裾がおぼろげな明度で暗がりの中揺れる。漸く探し人を見つけられた安堵に、エースはほっと一つ息を吐いた。
 何より、耳に痛い程の静けさの中に自分以外に誰かがいるのといないのとでは、感覚的に違う。


「どうされたんですか? お祭りの閉幕には早いと思いますが」
「何言ってんだよ。主役がいないから探しに来たんだろ」


 大仰に肩を竦めて呆れれば、相手ははあだとかああだとか気の抜けた相槌を返した。
 日々、やれ敵船を落としただの、やれ沈没船から宝をサルベージしただの、と。すぐに酒宴を開くお祭り野郎たちの集まりだが、今日は目の前の船医のために開かれた宴だったのだ。


「確かに当初はそうでしたけど……。今の時間になって何人が覚えてるんですかね」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」


 声の調子を全く変えることなく、首を傾げた彼女の言葉にエースの視線も舷窓の方へと泳ぐ。
 主役の誕生日パーティーとして始まったのは三時間程前だが、もはや赤ら顔で出来上がった面々は、何に対して「乾杯!」と叫んでいるのかも危うくなってきているだろう。

 他の隊長たちは一通り先にプレゼントを渡してしまっていたから、後は騒ぐのが仕事なのだ。
 焦っているのは、乗り遅れたエースだけ。
 ましてや、日頃あまり変わらない表情を幾分か柔らかくしてプレゼントの箱を受け取って、各々と言葉を交わしていた彼女の表情を見たのだから、ますます焦りは色濃くなっていた。

 サッチ達に囃したてられながらも、どうにかプレゼントを準備して、さてと思った所で、肝心の本人がいない。
 もしもう寝てしまっていたら、明日渡す羽目になる。そんな情けないことはぜひとも避けたかった。

 だから、祈るような心持ちで彼女を探しに、宴の輪を抜けてきていたのだ。
 どうにか今日中に使命を全うできるとほっとした思いから、ついつい八つ当たりじみた文句が口をついてしまう。


「でも、やっぱ、今日くらいは中心で一緒に騒がないと」
「はぁ、すみません。何処かの隊長二人が、自隊の隊員に飲み比べをあおってしまいまして。明日二日酔い者が続出するだろうと読めたので、それをナース長に話しておきたかったんです」
「ごめんなさい」
「あら、別に私はエース隊長だなんて一言も言ってませんけど?」


 事務的な口調で放たれた痛烈なカウンターに、その場で直角に腰を曲げた。下げた頭の上から聞こえる追撃には、ぐうの音も出ない。
 あー、これは後でサッチにも謝っといた方がいいって言っといてやらないと。
 船の上でコックと船医の怒りを買うのは、ある意味一番恐ろしい。
 
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