OP短編
□今日も一つ、言葉を覚えました
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夏島の酒場は、他に比べて開店時間が幾分か早い。
むっと肌をなぶる暑さを、冷たいアルコールでふっ飛ばしたいと思っているのは、島民も旅行者も商人も関係ないのだろう。
日が長いこの時期は、未だ空が明るいうちからあちこちのテラスでジョッキを打ち鳴らす音が響く。
かつん!
酒場の至る所で上がる乾杯の音頭と澄んだ音に、カウンターに陣取っていたマルコは苦笑を洩らした。
日もまだ暮れていないというのに、早くも赤ら顔で足取りの危うい人間の何と多いことか。
普通では考えられない光景だが、この島では日常なのだろう。酒場の亭主も手伝いの娘も、ころころと楽しげに笑っていた。
調子っぱずれの声が何やら歌い出すと、次々と様々な高さ、大きさの声が重なっていき、最後には酒場中を揺らす大合唱になる。
そうして歌い終えると、またあちこちでグラス同士が打ちつけ合わされるのだ。その音までが曲の一要素のようだ。
窓の外さえ見なければ、夜半の盛り上がりか何かのように錯覚してしまうだろう。
ちょっとした使いで、この島に一人降り立って、はや数日。
最初は驚くばかりだった賑やかさや明るさに、マルコも緩やかに順応してきた。
自船の連中も大概お祭り野郎だとは思っていたが、ここも負けてはいない。
夏という命の燃え上がる季節の島だからか、毎日が祭りや宴のような様相なのだ。
昔堅気の職人たちが集うと名が知られているだけあって、軒を連ねる工房内では緊迫した空気が流れるが、ひとたび仕事を終えれば御覧の通り。
笑い合って騒ぎ合って、明らかに堅気といい難い風貌のマルコにも気軽に声をかけては輪に誘う、気の良い島民ばかりだ。
雰囲気も島民も合わせて、マルコはこの島が好ましかった。
何より。
ちらり、と隣のスツールを見下ろす。そこは、今はまだ空白だ。
元々そこまで馴染むつもりのなかったここに、かなり強引に腕を引いてマルコを引き摺りこんだ存在が何より大きかった。
まだ、などと無意識にも思ってしまう辺り、随分自分も浸ってしまっている。
先程とはまた違う苦笑を一つ落として、グラスをあおった。
アルコールがピリピリと喉を刺激する。夏は一段とこの感覚が美味い。
「よう、今日もチビ助待ちかい?」
無精ひげを撫でた店主が、にやりと口元を歪める。
確信していながら疑問形の形をとった投げかけは、実に意地が悪い。
誤魔化すのも無駄だと分かっていたので、マルコは軽く肩を竦めて正直に口を開いた。
「今日は遅いと思ってねぃ」
「遅いって言ったって昨日と大して変わらんだろ。心配性だな、あんた」
「いくら明るくても、餓鬼が一人でうろうろすんのを心配すんのは当然だろ」
「はは、そいつは悪かった。そんな焦んなくても、どーせ、そろそろ、っと噂をすれば」
からん、と。乾杯とはまた違う、硬質で涼しげな音でドアベルが来客を告げる。
続いて喧騒の合間を駆ける軽い足音に、促されるよりも先にマルコは視線を向けていた。
後ろに垂らした赤い髪の房が、酔っ払いから声をかけられる度にあちらこちらに揺れる。
尻尾か何かのようだ。