OP短編
□夜明けを請う
1ページ/3ページ
「お迎えが来たよ」
バーテンに言われた台詞に、ふらふらする頭で地獄への?なんて私は笑った。
これでも最高に笑える冗談を口にしたつもりなのに、振り返った先にいた男はにこりともしないで腕をとった。
「寄宿舎に戻るぞ」
飲んだ酒の代金にしては多すぎる代金をカウンターに置き、歩き出す。
酔った私の歩幅なんて念頭にないのだろう。
大きな背中で、正義、が白いコートと共にはためいた。
正義。あんたの、サカズキの掲げる正義。
一艘の船が、この男の正義に炎をあげて沈んでいく。
そう、あれも正義なんだ。
口の中に残ったアルコールが、気持ち悪い。
何を飲んだだろう。
それさえ判然としない。
酒が飲みたくてバーに行ったんじゃなくて、頭の中をぐしゃぐしゃにしたかっただけだ。
酒の種類なんて気にせず頼んだから、記憶に少しも残っていなかった。
ああ、なら。目論見はある意味成功したのか。ぐしゃぐしゃとまでいかずとも、ぐらぐらぐらいにはなってる。なんて考えて、うっすら笑う。
実際、夜の街道を歩く私の頭はぼんやりしていて、いい年して腕を引かれている羞恥もまったく気にならなかった。
「何をへらへら笑っちょるんじゃ」
「さあ。酔っ払いなんて、意味なく笑うものでしょ」
帽子の下からの不機嫌な声は、彼の部下が聞けば顔色を変える類いだ。
海軍に入ってからずっと訓練を共にし、能力を伴った壮絶な口論もしてきた私にとってはまだ笑える程度だ。
サカズキのいらいらに、空気が熱くなる。
込み上げる可笑しさに、遊ばせていた腕でコートの端を握った。
「海、見に行かない?」
「毎日見てるもんを、なんでわざわざ見に行かんといかん」
「昼と夜じゃ顔が違うわ。隣にあんたがいるかいないか、でもね」
「……」
「ほら」
押し黙った肩を押す。
マリンフォードは海軍の本部が腰を据えていて軍事面が目につくが、それ以上に町独特の景観も美しい。
ここから見える海岸線が、一番自分には馴染みのある景色だ。
無垢な正義に胸を高鳴らせ門を潜った頃から、同僚たちと切磋琢磨し地位を高めてきた今日まで。
この島から見える水平線に太陽が沈み、また昇るのを眺めてきた。
夜の海は月の明かりを受けて、静かに波打っている。
この季節は少し肌寒い。
コートはどうした。というサカズキの言葉に、私は声に出して笑ってしまった。
酒を飲みに行くのに、そんな大仰なものを背負っていたら飲んだ気にならないじゃないか。
波打ち際にブーツの先だけをつけ、砂が流され戻る様を眺める。
何も変わらない。
この景色だけは、あの頃から何一つ変わらない。
「どうせ後からセンゴクさんから連絡あると思うけど、来週から本部を離れるわ」
「なに?」
「暫く、色々な支部を回るつもり。期限は決めてないから、いつ戻ってくるかも分からないから」
ほどほどに元気にしときなさいよ。
爪先で波を蹴り上げる。
靴越しに触れているだけだというのに、力が抜けていくような感覚がするのだから、私たちは余程海に嫌われているらしい。
「どういうことじゃ」
「そのまま受け取りなさいよ。他に余計な意味なんて何もないでしょ」
「本部で、ここで登り詰めるんじゃなかっちょったのか」
「諦めたわけじゃない。でも、少しやりたいことができたの」
火柱が、赤々と海軍の旗を染めていた。
船を沈めるよう指示を出したサカズキの背が、あの日、酷く遠かったのを覚えている。
今まで薄々肌に感じてはいた。それでも気にしないふりをしてきたものが、反らしようもないくらい目の前に突き付けられた瞬間だった。