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□塾講パロ(ドゥオver)
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 質問コーナーの机の下に、一冊の水色のノートが落ちている。
 自習時間も終わり、室内の電気を消して最終確認をしていたドゥオは、生徒の忘れ物かと拾い上げて裏表を確認した。
 名前はない。出入りが多いのだから、それくらい書いておけばいいものを。

 以前、そう受け持ちの生徒に言ったところ「小学生じゃないんだから」と何故かこちらが笑われてしまったことを思い出す。
 最近の高校生の感覚というのは、彼には理解できなかった。

 ぱらぱらと中を確認する。
 ここに落ちていたというなら、塾内の誰かの物だろう。文字から人を判断した方が得策だ。

 拾ったのは数学のノートだった。
 きっちり定規を使って正確に書かれた図形が、マーカーであれこれ色分けされている。
 数式や要点をまとめる字は整っていて、几帳面なのが伺えた。

 使い始めたばかりらしく、ノートは数ページ以外は全部白紙だ。
 だが、ドゥオにはこの字に見覚えがあった。

 よく質問コーナーを利用している、女子生徒の字だ。
 数学がどうにも苦手らしく、理数が担当のドゥオの元にいつも申し訳なさそうに参考書を持ってやって来る。
 覚えが悪いわけではないが、苦手意識が拭えないらしく、教えてる間中幼い顔は困ったような八の字眉のままなのだ。

 つい癖で、ノートに書かれている解法を上からざっと流し見していたドゥオは、ふと見つけた自分の名前に目を止めた。
 ページの上の余白、来週行われるプレテストの日程が書かれている脇だ。


『ドゥオ先生の言葉を思い出せ』


 そう簡潔に記してある。
 あまりに自信がない彼女は、いつもテストの前から気持ちが負けてしまっていた。
 そんなものでは受ける前から落ちているようなものだ。
 日頃やれることはすべてやっているのだから、自信を持て。
 できないと思うなら、受験なんてしなければどうだ。

 前回の模試の結果に落ち込み『こんな私が理数系に入るの無謀なんでしょうか』と泣きそうになっていた彼女に、ドゥオはそう言ったのだ。
 後々その一部を見ていた同僚に、本当に辞めたらどうするんだと詰め寄られたが、それならそれで仕方がない。

 結局受験なんて、自分との戦いだ。
 自分に勝てないなら、最初から他の人間に勝ち目などない。

 言いたいことは分かりますが、他の言い方考えたらどうでしょう。
 三階の個人授業受け持ちの銀髪眼鏡の講師は、そう苦笑していた。

 こんなものの言い方のせいで、よく、ドゥオ先生は冷たいと言われる。
 彼自身は全く気にしていなかった。
 そう言えばこのノートの持ち主の少女は、泣きそうな目で自分の言葉を聞いていたな。
 あの後、他の校舎に回されていたせいで暫く会っていなかったが、どうやら彼女はドゥオの言葉から‘冷たい’の一言で逃げなかったようだ。

 ページの端が擦りきれた参考書を抱えて、自分の前に来ては、眉を寄せて説明に耳を傾ける姿が懐かしかった。
 今日は来ていたんだろうか。見かけた覚えがないのだが。
 内心首を傾げ、ドゥオは綺麗に整ったノートの文字をゆっくり指でなぞった。


***


 やってしまった。
 迎えの車に乗り、鞄を探っていた私はそこにあるべき物がないことに、慌てて運転席に身を乗り出した。


「ごめん、塾に戻って! 忘れ物しちゃった!」


 今日家で復習しようと思っていた範囲を書いていたのに。
 手帳がなかったから、プレテストの日程も書いてしまっていたし、何よりそこに付け足してしまったものを誰かに見られては不味い。
 さっと自分の顔色が変わるのが分かった。

 別に書いてることは普通のことだけど、それを書いていた時の私は普通の状態ではなかったのだ。
 端から見ればそんなもの分かりようもないけれど、張本人の私にとっては、自分の文字から感情が溢れ出してしまいそうで怖い。
 誰にも見つかってませんように!


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