05/21の日記

17:11
或る美術展の起床
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或る美術展の起床


 外の世界をメアリーはわくの中からながめている範囲でしか知らない。それは彼女が飾られた場所によってずいぶんかたよっていたけれど、共通して見える景色はいつも人の目だった。

(美術品、は見られることでしか価値をえられない)

 それは絶対唯一、彼女が外の世界に対して理解していることだった。きれいなじゅうたんの敷かれた美術館や、大きなお屋敷のろうかに飾られている間だけ、彼女は絵の中から外の世界で息をすることを許されるのだから。
 だから圧倒的に彼女は外を知らなかった。想像と、彼女の作者であるゲルテナ(つまり父親)の残してくれたわずかな本(しかも彼女が読めるのはその中でさえびびたるものだった)を広げ、たくさんのことを夢想した。スケッチブックは次々と埋まって、彼女は外を具現化という形で、彼女自身の現実にしていった。

 真っ赤に照りかがやくタイヨウ。
 ツキの影を映す湖面。
 いつか見た色とりどりのチューリップの花。
 それから。

(ともだち、がほしい)




「めありー てんらんかい はじまるよ ?」
「そうだね、今度は誰があそんでくれるかなあ? 今度こそ、外に行けるかなあ」
「めありー そとにいきたいの ?」
「行きたいよ、ずっと言ってるでしょ。こんなところにずっといるなんて、わたしはいや」
「めありー わたしを おいてくの ?」
「……ん、どうかな。どうだろ」
「つれていってよ」
「そうだね、連れていけたらいいね」

 膝の上をよじのぼる、小さな青い人形の頭をなでて、メアリーはふ、と息を吐き出した。

「でも無理だよ。だって二つ、存在を交換しなっきゃいけないの」
「こうかん」
「そうだよ。わたしのぶんと、お前のぶん、ふたっつ、交換しなくちゃいけないの」
「それって だめなこと ?」

 無邪気な問いかけが胸に痛い。
 メアリーは見た目は未熟で、知識もなにも、子供のままだったが、長い間一人で居続けた分、精神年齢だけはばかに高かった。
 自分がスケッチブックから生み出した歪な青い人形に愛着はある。絶対的に、自分を裏切らない友達だとも。
 だが。

(それって、ともだち、っていうよりも)
(わたしとお父さん、みたいなものじゃないの?)

 そんな疑問が彼女の胸にはついて回っていた。
 メアリーにとってゲルテナは絶対だ。作品として完成して以降、全く、愛情など向けてもらえなかったが。それでも。
 青い人形にとっての自分。自分を生み出してくれた存在。は、きっと、外でいう、親子の関係にとてもよく似ている。
 だから。友達。のようで。友達。にはなれない。

「あのね、わたし知ってるんだよ」

 このでたらめな美術館の仲間は、仲間のことしか愛さない。
 今まで引っ張り込んできた「外」の子供は、みんな仲間に「歓迎」されて命の証を失った。
 では失った子供はどうなったのか。

「命って、それだけでアイデンティティなんだよね。だからみんな、個性を失って、無個性になっちゃうの」

 メアリーにはずっと不思議だった。
 そもそも父が作った「無個性」という作品は女しかいないはずなのだ。赤に青に黄色のワンピースを着た、真っ黒な体の無個性しか。
 それがある日、男の無個性が現れた。ネクタイだけをその身につけて。そう、まるで。
 まるで、人であった証を残しているようだ。
 そう思った時にメアリーは納得した。
 ああ、みんな私たちと同じものに成り下がってしまったのだ。或いは。成り上がらざるを得なくなってしまったのだ。

「むこせい すき だよ ?」
「うん、わたしも好きだよ。とっても楽しいもん。お姉ちゃんも、マネキンも、みぃんな大好きだよ」
「じゃあ なんで そとにいきたいの」

 外に行きたい。
 それは昔から持っていたメアリーのアイデンティティだ。父の残した本の中で見た世界は、そして額縁の中から断片的に見た世界は、とても美しくて。なんでもあるけどなんにもない、命がかけらも住んでいないこの父の残した世界よりも、ずっときらきらして見えた。

「いろんなものに、出会いたいの」

 と、ぽろりと口からこぼれ出た。

「甘いお菓子をいっぱい食べてみたい。空から降る白くて冷たい雪に触れてみたい。香り立つ花の匂いを嗅いでみたい。いろんな人と話してみたい。それでなにより、大好きな友達といつまでも一緒に居たい」

 無個性として命も気持ちも全部失って。この世界に来た子供たちは、昔何を手にしていて、ここで何を失ったのか。それすらメアリーには分からなかった。想像と現実はこうも噛みあわない。
 この世界で外に行きたいと望むのはメアリーただ一人ばかりで、誰もこの世界から出ようとしないから、自分が外に出たらどうなるのかも分からない。

(けどきっと、わたしのかわりに誰かがわたしになるんだろうね)

「もうじきまたお仕事だよ」
「びじゅつかん」
「そう、美術館。お父さんの絵だけの、美術展」
「めありー の おとうさん」
「私のお父さんはすっごくすっごくすごいんだから!」

 罪悪感はいつだって少しだけ胸を占めている。だがそれをメアリーは押しつぶした。
 外に出たい。友達に会いたい。
 それだけが今のメアリーを守る願いだった。

「だから、お父さんの世界を、目いっぱいお披露目しなくちゃね」



 ざわざわと人の波が近づいてくる。

 ――『ようこそ ゲルテナの世界へ』
 ――本日はご来館いただき誠にありがとうございます。当館では現在【ワイズ・ゲルテナ展】を開催しております。
 ――ゲルテナ氏が生前描いた怪しくも美しい絵画たちをどうか心行くまでお楽しみくださいませ。

「え? 先に観てるって? もーイヴったら……仕方ないわね。いい? 美術館の中では静かにしてなきゃダメよ? ……ま、アナタなら心配ないと思うけど、他の人の迷惑にならないようにね」

 そんな言葉を貰った一人の少女が一人、ゆっくりととりどりの作品の中を歩いていた。

(きーめたっ)
 メアリーはふふっと微笑んむ。

 少女は美術展で一番大きな絵画『絵空事の世界』の前に佇もうとしている。


▼ おいでよ イヴ

 

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