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□めぐりあい
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めぐりあい
CACE1.ある嘘つき青年の甘言
繰り返してつぶやいていたのは、しあわせ、の四文字。
あのころのぼくにはまだそんなものはまったく欠片も見えなくて、どこかで死んだようなフリをして生きていた。
今思えば、きっと達観したフリをしたかっただけ。
なんでもは知らないくせに、なにかを確信しているフリをしたかっただけ。
だから、思い出すだに、頭を抱えたくなる。
ましてや、そんなモラトリアムを体現したかのような鏡の向こう側の、幼い姿が目の前にあるのなら。
そこに困ったように立っていたのは、髪は地毛で真っ黒。
そのくせ、瞳は既に鮮血を染めあげたような深淵の赤、右頬にはまがまがしい刺青の、中学生の少年だった。
学ランの袖は僅かにあまっていて、まだ背丈と服の大きさが合っていなかった。
すれ違いざまに、ぼくにぶつかったその少年は、燃えるような目をさっと伏せて、軽く礼をして謝った。
「ねえ」
思わず、引き留める。
過ぎ去ろうとした少年は、途端に面倒くさそうな表情で振り返った。
インネンをつけるヤクザのおにーさんだとでも思われたのかもしれない。
ぼくは片手をあげてにっこりとほほえんだ。
「おにいさんのこと、助けてくれない?」
というのは、絶賛同居中のフリーター27歳への仕事帰りのおみやげを選ぶことだった。
仕事で一週間ほど空けていた骨董アパート改め骨董マンションの六階を一人きりで守ってくれていた、はずである。
ご当地お土産は購入済みで、あとは、ご機嫌直しの甘いお菓子。
本人のミニマムが目の前にいるのなら話は早い。中学の彼が好きだというものを買って帰ればいい。
「井伊さんだっけ? なんか企んでます?」
「そう思うなら付き合うことなんてしないで帰ればよかったのに」
「これ見よがしにスイパラのチケットなんて振りかざしといて、何が帰れば!? 妙に知人ぶるし!!」
「まあ君とぼくの間には浅からぬ縁があるわけでしてね。君があと五年もしないうちにわかることかな」
「何ですかその確信持ったかのような」
本人のミニマム――もとい、汀目俊希くんは、そういいながら、苺のタルトにフォークを突き刺した。
ぼくはコーヒーを啜りながら、隣の席に置いたお持ち帰り用の箱を見た。
中に入っているのは四つのケーキ。いずれもディスプレイの前で俊希くんの目がきらきらと輝いた品々である。
さて、と思う。
この俊希くん、明らかに身なりが煤けているのである。
当時は零崎の家(といってもいいのかぼくには分からない)に住んでいたはずだが、殺人鬼のおうち。
日々どう暮らしているのか気になる。苦労しているには違いないと思うのだけれど。
「俊希くんさ、行く宛がなくなったらぼくのうちにおいでよ」
なんて言って、コーヒーをソーサーに置いて微笑む。
俊希くんが口に運び掛けたタルトをぽとりと落とす。
とっとっと、と三拍の空白。
「井伊さんは人さらいかなんかなんです?」
と、俊希くんは思い切り顔をしかめる。いやいやそんなことはないよ、とぼくはゆるやかに片手を振る。
「君によく似た人を知っているんだ」
「俺に似てる奴なんて俺しかいねーと思うけどな」
「おお、真理だ」
間違ってないぜ!さすがだね!! と、胸中。
まあお食べよ、ともう一度ケーキを勧めなおして、ぼくは丁度フルフルと震えたケータイを取り出す。
「はいもしもし、こちら請負人の戯言遣い」
『おいこのやろ!今日帰ってくるってきいてたのにまだ帰ってこねーのかよ!』
「もう少ししたら帰るよ。ちゃんとお土産買って帰るから、いい子にしてて待っててよ、人識」
『いい子はごめん無理だった。めんどうごとを拾いました』
「うん?」
『チューガクセーくらいのいーたん』
「げっ」
『お前こんなちっさいころからこんなんかよ。どんだけ感情死んでるの19歳の頃のがまだ社交性あったんじゃね?』
「いやいやいやいや、否定はしないけど!で、そのぼくは今現在なにしてんの!?」
『いーたんのベッドの上で寝てる。いやさ、保護したはいいけどすげー熱だし行くとこないみたいだったから昨日から連れ込んでるぜ』
「連れ込む。浮気?」
『凄まじく心外です』
「うーん、とりあえず了解。わかった、もう少ししたら帰るから面倒見てやって」
『はいはい任せとけ』
なるべく早めによろしくー、との言葉を最後にぷっつりと電話が切れる。
目の前の俊希くんが、目を白黒とさせながら様子をうかがっていた。
「無理矢理付き合わせといてごめんね、俊希くん。用事が出来ました」
「井伊さん、俺の裏っ側の事情知ってたりする?」
「うん?」
「人識って言った。電話の向こう側の相手」
「……あちゃ」
やらかした。
どうしようかな、と僅かに逡巡する。俊希くんはいつの間にか苺タルトを食べ終えていた。
「嘘ついたら殺して解して」
「並べて揃えて晒してやる、ね。知ってるよ。ぼくはそうやって君と出会ったからね。だけど、俊希くんにはまだ先のことだ。だけど、まあ、覚えておいで」
不穏な空気を発し始めた俊希くんに、ぼくは慌ててそう口を開く。
俊希くんが僅かに眉をひそめた。
「ぼくは君のことをいつだって守ってあげる。何かあったらいつでもうちに来るといい」
と、請負人としての名刺を俊希くんに渡す。そして、立ち上がった。
「ここの支払いはぼくが済ませておくから、好きなだけ食べて帰って。ごめんね俊希くん。それじゃあ、また」
コートとケーキの箱をひっつかんで、お金を払って、外にでる。
店の外からちらりと見れば、俊希くんはぼくの渡した名刺をじっと見つめていた。
(ここのケーキは格別甘いから)
おいでよ、汀目俊希くん。ぼくはいつでも歓迎してあげる。
と、つぶやく。
さあ急いで家に帰らなければ。
愛しの人識と、やっかいな俊希くんの対になる「ぼく」が待ってる。
モラトリアムがぎしぎしと軋みをあげてる。
ぼくの幸せはいつだって不安定で、だけど手放すには惜しいものだ。
それを守るためなら、ぼくはどんな言葉だってこねくり回してあげる。