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□古池や
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 私が中学一年の時にさ、ちょっとだけ仲が良かった三年生の先輩が死んじゃったの。冬休み入ってすぐだったんだけどね。年賀状書きますねーって、約束してたのにさ。気がついたら新聞と一緒に挟まってる……えっと、なんだっけ、ほら。ああそう、お悔やみ情報って紙。あれに、先輩の名前がさ、無造作に載ってたわけですよ。享年15歳って。

 若いよね、若すぎ。だってその紙、他に載ってる人みぃんな、七十とか八十とか、もしくはそれよりもずっと上のおじいちゃんおばあちゃんなんだよ? その中にさ、先輩だけ、明らかに異質でさ。すっごく怖かったよ。うん、忘れられないや、あの時の気持ちは。だって、ついこの前まで一緒に会話してた人がさ、いきなり死んじゃったことになってたんだもん。

 え、死因? そりゃもちろん知ってるよ。教えてもらったもん。……ああ、病死。確かにね。それだったら優しいよね。
 違うよ。先輩は、飛び降り自殺。自分の住んでるアパートの、四階から、飛び降りたんだって。まるでそれが普通のことみたいに。自然に。衝動的に。

 なんでそうなっちゃったのかは、私には誰も教えてくれなかった。実はいじめられてたんだって言う人もいたし、受験のストレスだって言う人もいたよ。ホントのとこは、わかんないや。遺書を、全く残してなかったから。でもそうだな。私はなんとなく、疲れちゃったのかな、と思った。先輩、凄く穏やかに笑う人だったんだよね。人の気持ちまでゆったりさせるような。でも、今思うとさ、穏やか過ぎたなって。まるで、おばあちゃんが浮かべる表情だったなって。……ああ、ごめんね。話がそれちゃった。

 ……だからね、今でも持ってるんだよ。宛先まで書いて出せずじまいの、先輩への年賀状。デフォルメした虎の絵と、金色のマーカーペンで書いた、謹賀新年の文字。うん、しっかり覚えてる。

 なんかね、捨てられなくなっちゃった。記憶がもうおぼろげになっちゃって、先輩の顔も声も曖昧なのに。名前と、お悔やみ情報をみたときの気持ちだけ、ずっと渦巻いてるの。

 あの先輩、ちゃんと天国に行けたのかなぁ。自殺したら地獄に落ちるって聞くけど、今も苦しんでるのかなぁ。現世で十分苦しんだのに、そこから解き放たれたはずのあの世で、お前は親不孝者だから地獄行き! なんて言われて地獄に落ちちゃうんだよね、自殺者って。やだなぁ、誰か蜘蛛の糸垂らしてたらいいのに。なんなら私がしっかり生きてしっかり死んで、先輩に糸垂らすのに。あれ、何十年後の話?

 ……え。……ああ、ごめんね、変な話をしちゃったね。


 もう、五年も前の、話だよ。







 中学校に通っていた頃、僕の学校は――正確には、僕たちの学年は――随分と荒れていたよ。いわゆる「不良」の生徒――ああ、この場合の「不良」を僕は単なる「問題児」という意味と共に、「良い悪い」ひいては「欠陥不欠陥」という意味で捉えているんだけどそれはまあ置いといて――が校内を闊歩し、やりたい放題好き勝手していた。先生たちはその対処に追われ、授業は遅れるだけ遅れた。その中で、僕はひとり、ひたすら本を読むか、自学をするか、寝ているかだったと思う。

 忘れられないエピソードとして、中学二年の時にあった、こんなものがある。


 僕の通っていたその中学の校舎裏には、小さな池があった。何匹かの鯉が狭そうにくるりくるりと泳ぎ回っている、本当に小さな池だった。たまに給食のパンの残りを持ち出した生徒が、放課後こっそりとちぎっては鯉に与えているところを、僕は幾度か目撃したことがある。

 その池に、ある日灯油が撒かれた。冬の寒い日だった。田舎の小さな学校だから、ストーブは教室前にどん、と構えた古い石油ストーブ。週に一度、火曜日に給油することになっていた。その日、珍しく「不良」の生徒が給油係を買って出たのだ。普段、掃除には絶対参加しなかった生徒だから、先生は喜んで任せたらしい。

 後のことはもう予測がつくだろうけれど、「不良」の生徒は灯油置き場で貰ってきた灯油を教室に運ぶことはせずに、その小さな池の中に注ぎ込んだのだ。発覚したのは、実行された翌日。パンを与えに来た生徒が見つけたのである。いつもならくるりくるりと狭そうに、だけどそれでも楽しそうに泳いでいるはずの鯉は、灯油にまみれてぷかぷか、池の水面に浮いていた。時折、縁石にぶつかって僅かに音を立てて沈み込み、そしてまた浮き上がってきた。

 その様子を、僕は目の前で見ていた。そう、幾度か目撃したことがある、というのはパンを与えている生徒は一人ではなく、そこに僕も含まれていたからなのだ。暗黙のうちに数人で持ち回りしていたパン係の、たまたま僕の日の前日。鯉は灯油によって死んだのである。

 その後、実行犯の「不良」がどのような叱責をされたのかは僕の知り及ぶことではないのだけれど、事の顛末は悲惨だった。

 まず、倉庫に収納されていたプールでゴミを拾う用の網で、鯉の死体を全て掬い上げた。この時、作業をしていた先生がうっかり手を滑らせて、掬い上げた鯉の一匹をまた、池に落とした。ぼちゃん。本来ならあるべき生命を持たない物体が飛び込む音。無機質で、ただ重いだけの音。体の芯から、ぞわりとした。先生は僕の様子に全く気付かなかったようで、苦笑してまた掬い上げた。今度は落とさない。鯉はそのまま、飼育小屋の鶏や兎の共同墓地に埋められることになった。鶏に食べられてしまうのではないだろうか、と僕は思った。

 次に、池の水を全て抜いた。あっという間に干上がった池の底で、灯油にまみれてらてらと光るどす黒く染まった苔を見た。池は汚染されていた。

「掃除したら、また水を入れるんですか?」

 と、聞くと、先生はゆっくりと首を横に振った。「不良」の生徒の再犯を思えば、もう干上がらせたままにしかできなかったのだ。まあそうだろうと予測は立っていたから、特に残念がりはしなかった。ただ、哀れだった。なにが。鯉が。縁石が。苔が。池が。

「あなたたちの世代が落ちついたら、また池になるかもしれないけど」

 と、先生は溜息をついた。そんなことはありえない、とでもいいたげな表情だった。実際、結局三年の二月末、受験が本当に切羽詰まってくるまでそういう生徒はそういう生徒であり続けたので、どうしようもなかったんだけど。

 高校に入って一年半くらい経った頃、つまり去年なんだけど、ふらりと中学に立ち寄ったことがある。池の水は相変わらず干上がっていた。

 ああ、もうずっとこのまんまだろうな、となんとなく納得した。


 結局、このエピソードで僕は何が言いたかったのかというと、そんな中学時代だった、という断片を提示したかっただけなんだけど。それだけではどうにも味気ないので、他にもう一つだけあげるとしようか。

 命なんて、そんな風に誰かの一存で簡単に散ってしまうのだ、ということだ。

 まるで刹那の花のよう。そのままにしておけば或いはもう少し咲き誇っていたかもしれないのに、摘み取ってしまえばあとは枯れていくだけ。その選択肢はいつだって、この心、この指先ひとつなんだから。







 死、かぁ。死、なぁ。あんまり特別な死には出会ったことがないよ。つーかそれが普通だろ。普通に体験するとこなら、身内の病死とか、老衰とか、そんなもんなんじゃねーの? 少なくとも俺はそれしかしらねーけど。

 どんなって、趣味悪いよな。んなこと聞くなよ。俺にだってどういったもんかわかんねーよ。そこそこ俺を可愛がってくれたばーちゃんが、病気で入院して、見まいに顔出してるうちにどんどん痩せ細ってって、最後にゃ点滴で命つないでるだけで意識なんかまったく混濁して通じなくなって、で、そのまんま。お陀仏。

 言い方が冷たいって? いや、だってどうしようもねーじゃん。事実だし。それしか言い様がないし。

 ……これでもさ、すっげー悲しかったんだぜ、当時は。飯食ってると、ばーちゃんはもう食えないんだなって思ったし。体動かしてると、ばーちゃんには動かす体ももうないんだよなって思ったし。

 でもさー、そのうち慣れてくるんだよな。ばーちゃんがいないのが当たり前で、そうなると、悲しいって感情がだんだん欠落してくるんだよな。

 これって冷たいって言えんの? 自然の摂理っつーか、前に前に進んでるってことにはなんねーの? ほら、よく言うじゃん、死んだ人が天国から見守ってる。

 だからっつって、見守ってる本人のこと思い出して四六時中悲しんでたって、なんも変わんねーわけじゃん。停滞って奴だろ。


 つまり、なんつーんかね。久方の? たまーに思い出してさ、昔聞いたいい話でもしてさ、笑ってやんのが、一番いいんじゃねーのかな。







「先輩が死んでそろそろ五年で、とっくに先輩の年齢を追い越しちゃったりなんかもして、それでもさ、なんかひたすら、死ぬって何だろうなって思うんだよね。だってさ、私の中にこれだけ強烈なインパクト残しててさ、ホントに先輩って死んだのかなって」

「それは相模の主観だと思うけれど。だってこの世にもういないって点で、どうしたって死んでるんだから」

「まーそりゃそうだけどよ。割り切れるかどうかって、別問題じゃん?」

「それをきっぱりもう割り切ってる笹川が言うんだ」


 放課後。課外の終わった空き教室。人影が三つ、並んでいた。三つの机。てんでバラバラにおかれた参考書。ぼそぼそと話していたそれぞれがどこか疲れた表情を浮かべ、また、少しだけすっきりとした様子だった。


「譲木の中学の池ってさ、まだ干上がってんの?」

「さあ。流石にいまは中学行くほど余裕ないから。そんな時間あったら受験勉強するよ」


 と、譲木はもう話に加わることさえ面倒だとでも言いたげに、日本史の参考書を開く。

 相模と笹川は肩をすくめると、同じようにやりかけの問題集に手を伸ばした。


「受験終わったらさぁ」

「うん」

「先輩のお墓に、報告してこようかな。ごーかくしました!って」

「受験ストレスで死んだかも知れない先輩に?」

「そう。私みたいな馬鹿でも乗り越えられたから、次生まれ変わるときは諦めず頑張ってください!ってことで」

「そりゃ皮肉っつーかなんつーか」


 まーいーか、と笹川。

 そーでしょ、とうなずく相模。


「んじゃ俺もばーちゃんとこに報告だ。っつか当たり前か」


 それから思いついたように譲木の手にしていた参考書を取り上げにんまりと笑う。


「んじゃあれな。譲木も合格したら池見に行くってことで。俺らも行くし」

「別に笹川に同行してもらわなくても構わないんだけど」

「いやいや、見てみたいじゃん? 譲木クンの学校」

「あっ、それ私も行くよ。ゆーとーせーの譲木の中学が劣悪とかおもしろいし」

「今はそうでもないとは聞いたんだけど……」


 返せ参考書、と譲木の指先が笹川が持ち上げるそれに伸びる。背の高い笹川は意地悪く腕を伸ばす。散々からかってから、ようやく譲木に返してやれば、譲木は笹川を睨みつけた。


「まあ、死後のことは死後考えるとして」

「んじゃそういう話最初から持ちかけてくるなよな、相模」

「いいじゃん、有益だよ。考え方が見えてくるもの」


 不意に開けたままの窓から一匹の蜻蛉が飛び込んできた。

 教室を旋回して、外に出ていこうとして、思い切りガラスにぶつかって転げる。打ち所が悪かったのだろうか。ぴくぴくと足先を動かしてそれっきり、蜻蛉は動かなくなった。

 笹川が立ち上がって蜻蛉に近づいていく。死んでいることを確かめてから、二人に向かってこう言った。


「さてお二人に質問です。この蜻蛉の亡骸、放置するのと外に出してやるの、どっちをとる?」




 

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