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□テオーリアの夢
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 目を瞑ればいつだって鮮明に思い出せるのだ。彼女の一つ一つの言葉も、行動も。

 僕の一番大切なものはきっとあの日、あの赤い少女に捧げた。



テオーリアの夢



 人が死ぬときに最期まで機能するのは、聴覚らしい。だから、老衰や病気でなくなる人間は、その枕元にしがみつく寄り添い人の声を最期まで聞くことができるのだとか。

 そんなことをなぜ僕が覚えているのかというと、これは至極単純な話だった。

 僕は、自分が殺す相手に幸せに笑って死んでほしいのである。

 わかっている、とんでもないエゴイズムであることも。そんな気持ちは誰も救わないことも。


「それでも、最期は幸せであるべきだ」


 自分から殺しておいて。

 自分であるべき未来を絶っておいて。

 僕はそんなことをのたまっている。



「お前のそのわけ分からん美学はでもまあ、尊敬には値するっちゃね」

「……アス」


 死した少女の目蓋をそっと閉じると、背後からアスの呆れたような声が聞こえた。

 立ち上がって、燕尾服についた埃を払う。隣に置いたままのコントラファゴットを持ち直して、それから振り返った。

 アスは釘バットを肩にしょって、困ったように笑っていた。


「もう何年経つっちゃよ、お前が限定殺人するようになってから」

「まだ、十年と少し」

「すっげーよ、トキ。俺だったら誓ったその日に破っちまうっちゃ」

「アスがそこまで意識の弱い人間とは僕には思えないな」

「意識じゃなくて意志が弱いってことっちゃね。しっかしトキ、実際どうなんだ? そんな限定的な殺人で、殺人衝動ってのはやり過ごせるものなのか」

「……そんな生温いものじゃないと、アスには言うまでもないと思ったんだがな」

「まっ、そりゃそうっちゃね。まあ、なんつーか、菜食主義は、伊達じゃねえってことっちゃな」


 と、アスが首を振る。僕は黙って頷いた。


「ところでアス、いったい何の用で僕に会いに来たんだ」

「あーそうそう、忘れるとこだったっちゃ。預かりもんがあってな」


 ちょっと待つっちゃよー、とアスはズボンのポケットに手を突っ込んだ。それから、しわくちゃになった封筒を取り出した。


「預かりもの。誰から?」

「しらん。けどまあ、悪いもんではないっちゃよ。俺の知り合いからの伝言ゲームみたいに渡ってきたんだけど」

「……まあ、アスがそうまでいうのなら、そうなんだろうな。預かろう」

「ああ、じゃ、確かに渡したっちゃよ」


 アスの手から僕の手に封筒が渡る。薄っぺらで便箋の一枚もあるのか疑うような封筒だった。

 アスはうん、と背伸びをして、用は済んだとばかりに僕に背を向けた。それから二歩歩いたところで、思いついたように立ち止まった。


「お前に殺される奴は、俺やレンに殺される奴よりちっとばかし幸せだな」

「うん?」

「ヒトが最期まで出来ることは聞くことだ。お前みたいな音楽家に殺されるなら、俺たちに殺されるより、少しだけ救いがあるっちゃよ」


 と、アスはひらりと手を振る。今度こそ言葉もなく歩き去った。

 その姿が見えなくなるまで見守って、僕は溜息を付いた。


「救いなんて、あるわけがないだろう」







 やーやー曲識クン元気にしてる? あたしは超絶元気っつーか元気以外の選択肢がねーぜいえー。

 ぶっちゃけ特に取り立てた用事はねぇし、この手紙も適当に誰かにうっちゃるつもりだから曲識に届くとは限らねーんだよなー。

 あっはっはっ、あたしのやること意味ねー。でもまあいいか。あたしはあたしの悪運を信じるまでさ。

 あたしは。人類で一番強いんだからな。

 そう、思い出したよ。

 あたしな、名前がついたんだよ。んでもって大人になった。

 すっげーよな。まだお前と共闘したの、つい数分前みたいなのによ。

 あたしは強くなったぜ、お前はどうだ?

 今度会うときがもし来たら、そんときは楽しみにしてろよ?

 よし、あたしが言いたいことはそんだけだな。文字にすっと意外に少ねーな。

 んじゃ、縁があったらまた。






 とんでもない悪筆で綴られた、形式も何もない、日記のような手紙だった。

 二度と三度と読み返して、僕はそっと目を閉じる。

 ツインテールの苛烈なまでに赤い少女が瞳の奥で豪快に笑っていた。


(僕の見たい笑顔は結局そういう笑顔だ)


 無茶に体を盗られて微笑む子供ならたくさん見てきた。そう、僕が強いてきた。これからも変わらない。

 だけど、ああ、そうか。


「知ってるよ、哀川潤」


 お前がもうとっくの昔に子供じゃないことなんか、理解ってたよ。

 だけど、僕の中のお前は変わらず幼いままで、そのくせ最高に強いんだ。


「僕が死ぬときはお前が笑っていればいいなんて思ったら、贅沢だな」


 お前の声に満たされたまま死ねたらきっと僕は最高に幸せな殺人鬼だ。


 人の五感で最期まで機能するのは、聴覚。ならば。

 きっと僕に音を奏でる声があるのは、音を感じる耳があるのは、お前のためだ。

 僕は、お前のために歌って、お前のために死ねる。


(それは零崎への裏切りではないはずだ。だってみんな、大切なものがあるからこだわってる)


 目を開ける。手にしていた手紙を畳んで、燕尾服の胸ポケットにしまった。

 それから、目の前の事切れた少女の指を組む。


「    」


 歌ったのは、賛美歌のようなひどく厳かな歌。

 もしも、少女の心がまだこの声を聞いているのなら、と、僕は。


「いつか、また」


 菜食主義は変わらない。

 あの赤さにもう一度触れるまでは。


 その日を夢見て、僕は少女に微笑んだ。








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