no title 4

□君を取り巻く生まれと誉れ
1ページ/1ページ




君を取り巻く生まれと誉れ


 取るに足らないくらいの小さなものだったと思っている。

 後悔なんてかけらだってもっちゃいないし、今思えばあの生活に「生きる」という人間本能的な目的はまったく含まれてなどいなかったのだから。

 だから、誰にだって気に病んでほしくない。

 ましてや、僕に「生きること」をその身を賭して教えてくれた君には、なおさらに。






「破壊衝動というか、自滅衝動というか、きっとあのころ僕は自分のことが嫌いだったんだ」


 図書にうずもれた部屋の中で、紫苑は膝を抱えて床に座り込みながら、そうぽつりとつぶやいた。

 その手にはなみなみと白湯を注いだマグカップが握られていて、彼はゆっくりと一口、嚥下した。


「まあ、自分のことを好きだって言い張れるやつなんてそんなにそんなにいないと思うけど。しかし、あんたがいう言葉にしちゃあ珍しい。なんかあったのか?」

「いいや、特には何も。何もないからこそ、考えてしまったのかもしれないな」


 ベッドの上で古書を読んでいたネズミが振り返る。怪訝そうに顔をしかめて見せれば、紫苑は申し訳なさそうにほほをかいた。


「四年前、君と邂逅したあの日に僕はきっと生まれたんだよ。それまでの僕は生きてなんかいなくて、君と出逢って初めて僕は僕自身として生まれなおしたんだ。あの大雨の中で僕は確かに、そう感じたんだから」

「そりゃあ早計ってもんじゃない? 俺はあの日に確かに救われたわけなのだけれど、それがあんたにまで当てはまったとは到底思えないね。現にあんた、ロストタウン落ちしたって飄々と都市に忠誠を誓っていたじゃないか」

「それはそうだけど」


 細かいなあ、ネズミは。


 と、紫苑はまた白湯を啜る。ネズミは小さくため息をつくと、ベッドから立ち上がりつかつかと彼のもとに歩み寄った。


「あんたが思ってるよりも俺は感謝してるんだ。一生つかったって払いきれないくらいの恩を俺はあんたからもらってる。あの日はあんたの誕生日だったらしいけれど、紫苑。間違いなくあんたは俺に無償で最大級のプレゼントをよこしてくれたよ。まったく、いい迷惑だ。おかげで今あんたはこんなところにいる羽目になってるし」


 俺は俺で、すっかりあんたに捕まっちまってる。


 と、口の中でもごもごとネズミは言った。紫苑の耳にその言葉は届かない。

 きょとんと首をかしげた紫苑は、自分の間近までやってきたネズミに向かって、マグカップに添えていた手を伸ばす。さらりとした長い黒髪に触れて、二度三度と梳いた。


「君は変わらないな」

「は?」

「皮肉屋なところも、その強い意志のこもった目も、全部変わらない。変わらないままで、僕は安堵してる」

「俺が全く変わってないように見えるならあんたの目は節穴だよ」


 時間は流れるんだ。どう過ごしたって変わらないままではいられない。

 そう流れるようにネズミが言う。紫苑はわずかに口角を釣り上げた。


「自分のことが嫌いだったんだ」

「うん」

「嫌いというか、無関心に近かったのかもしれない。あの頃の僕は結果しか手にしていなくて、まるで機械のように「都市の望むようなソレ」だったから。君に出逢って、それではいけないことがわかった。あの日ほど、ココアの甘さを身に染みて感じた日はないよ」

「それは随分安上がりな「自分との邂逅」ですね、陛下」

「馬鹿にしてるのか」

「全然。…………紫苑」


 自分の顔の横に伸びたままの手を取ってネズミは紫苑を引き寄せた。白湯の入ったマグカップがころころと床に転がる。残りはわずかだったようで、床に少しだけ透明な液体を振りまいて、止まった。

 ネズミは軽く紫苑の頬に巻きついた赤い帯状痕をなでる。ぴくりと、紫苑の肩がはねた。


「あんたがここに来たことを後悔してないことは知ってる。だから、そのうえで言わせてくれ。

 俺は、あんたに出逢えてよかったよ。心の底からそう思う、この部屋中の本の中に眠る神々に誓ってもいい。

 だから紫苑、あんたが生きていることを誇りに思ってくれ。誉れだ。あんたはもうNO.6に従事しているわけでも操られるわけでもない、一人の、人間なんだろう?」

「………うん、そうだね」


 ゆっくりと紫苑が頷く。その真っ白な髪がわずかな部屋の光に照らされて輝くのを、ネズミは見ていた。


「誕生日、おめでとう」

「……今日は別に誕生日じゃないよ?」

「四年前、あんたに言えなかった言葉だ。今更だけど、受け取っておいて」

「うん、ありがとう」


 紫苑の顔に、まっさらな笑みが浮かんだ。

 それを見て、ネズミは満足げにほほ笑む。


 四年越しに伝えた言葉は、出逢いの日を象徴するかのようだった。





 君が肯定するのなら、僕は自分の生きている今この瞬間に胸を張ることができるんだ。

 間違いなく、今この瞬間、僕は僕と君のために生きている。


 僕だけの生じゃない。君に確かに与えてもらった、かけがえのない生だ。


 僕が生まれた生まれと誉れが、どうか君にも同じように伝わりますように。






▼生に感謝を君に誉れを

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ