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□親指姫パニック
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親指姫パニック
「普段の君もかわいいんだけど、今の君は十二分にかわいいからとりあえずあれだ、写真撮らせて」
「お断りだバカ野郎。つかおい、その手に持ってんの何だ、どっから持ってきた」
「電気屋さんのくじ引きで当たってね。リカちゃん人形の服。せっかくだから着ようか」
「阿呆か!ぜってぇ着ねぇぞ!」
「とはいっても君、今服の代わり、チョコレートの包み紙じゃん。そんなに元のサイズになったときに僕に食べられたいならそのままでもいいけど」
「ド変態め」
「お褒めに与り光栄です」
「……か、はは、ったくよぉ、ほんと、戯言だぜ」
「いやいや、傑作だろ」
事の起こりは全面的にどちらに責任もない、と二人は後に語る。
梅雨が明けて照りつける日差しはもう凶悪だった。夏が来たんだなーと、溶け掛けた思考で考えながら、人識はぐでんと四畳間に寝っころがった。人の生活領域の裏をかくように建てられた骨董アパートはとにかく通気性が悪い。入り口を全開にして、窓を網戸さえつけずに開けたところで、そもそも風が入ってくるようなアパートではなかった。
あ゛ーづーい゛ー、と人識はごろごろ畳を転がる。
扇風機くらい買ってこい!と戯言遣いをアパートから蹴り出して、まだ、三十分も経っていなかった。
「なんか、納涼……」
そうだ、冷蔵庫を開けっ放しにすれば少しは涼しいだろうか、とまたもやとろけた思考。ごろごろごろごろ、と四度ばかり転がれば、すぐに冷蔵庫にたどりついた。迷わず開ける。案の定、大した食材は入っていなかった。
「あー涼しー」
冷気に顔を半分つっこみながら、人識は至福の表情を浮かべた。ひょっとしたら戯言遣いが見たこともない陶酔の顔だったかもしれない。
一分も涼むと少し冷えた思考が、開けっ放しはあかん、と警告してきた。名残惜しいが閉めなければならない。
いやもう少しだけ、それが少しで済んでたまるか、あとちょっと!ほんとそう一分だけ!、今涼んだのが一分だろが!
と頭の中の天使と悪魔のやりとり。結局やりとりの合間に一分がまた過ぎて、人識はしぶしぶ冷蔵庫の扉に手をかけた。そこでひょっと気がついた。
「チョコレート!」
それはクリスマスカラーの包装紙に包まれたチョコレートだった。空っぽの卵置きに無造作に置かれたそれに、人識の目は一点集中する。
どうせあの戯言遣いは甘いものなど食べはしないのだから、と一瞬にして計算が働いた。食べないやつの手元にあってもしょうがない。俺が食べてやろう。
今思えば、そもそも甘いものの類を食べない戯言遣いの冷蔵庫にこんなものが入っていることを人識はもう少し疑ってかかるべきだった。夏バテした脳味噌だって、もう少しうまく働かせることができたはずだった。
ぽいっと口の中にチョコレートを放り込む。もぐもぐもぐ、と咀嚼。
そして人識の意識は遠のいた。
戯言遣いが帰ってきたのはそれから一時間ほど経った後だった。
その腕には新品の扇風機の入った大きな段ボールが抱えられている。戯言遣いは汗だくだった。もともと移動は徒歩が基本である。家から少し距離のある電気店まで歩いたところで脱水症状を出さなかっただけ行幸だった。
「零崎、ただいま」
開け放したままの玄関にどさりと段ボールをおろし、部屋を見渡す。人識の姿は見えなかった。
「あれ、零崎?」
探そうにも四畳間一部屋のおんぼろアパート。まさか押入の中にもぐりこむようなバカでもあるまい。
どうしたのか、と戯言遣いは思わず首を傾げた。
「ぜーろざきー?」
なぁ、と手うちわを扇ぎながら呼びかける。
しばらくして、か細い声が聞こえてきた。
「いーたん、こっちこっち」
部屋の中からだ。しかして、戯言遣いには人識の姿が認識できない。
え、零崎透明人間になるスキルでも持ってんの、いつのまに。と思わず口に出した。
「それならよかったんだけどよ。俺、縮んだわ」
下見て、下。と、ちょこちょこと影が動いた。戯言遣いがゆっくりと下を向く。
まるで親指姫のような、小さな人識が、そこでぴょこんぴょこんと飛び跳ねていた。
リカちゃん人形の服は奇しくもボーイッシュだったので、着せてみると案外ふつう通りだった。それぞれ回想を終えたところで、戯言遣いはさて、と手を打った。
「まあ、冗談は頑張って明後日の方向へさておいておくことにして」
「頑張って!?」
「まじめな話、そのチョコレートはこの前まで居候してた春日井さんの置きみやげだからね。まともなもんじゃないとは思ってたんだ。だから放置してたんだけど」
「じゃあ捨てろよバカーーー!!!」
「捨てたら捨てたでどっかからバレて呪われそうだったから」
「なんて女なんだ春日井とやら。ぜってーお近づきになりたくない」
「君に近づく女は全部僕が無為にしてあげるよ」
「何そのヤンデレめいた洒落になんねー言葉」
「君のためならヤブサカじゃないかな」
「うわぁぁああんもうこいつと鏡やめたい!」
「君と僕との間の鏡面を取り除いたら肉体関係しか残らないね」
「愛は! どこに行ったのですか!」
「え、零崎は僕のこと愛してるの?」
言質はとったよ、と言わんばかりに戯言遣いが微笑む。さぁっ、と人識の顔が青くなった。あわてて踵を返して距離をとろうと思うも、手乗りサイズの歩幅はたかがしれている。ものの数歩でひょいとつまみ上げられた。
宙づりにされると、まさしくサイズの小さな人識には畳がとても遠い。思わず恐ろしさにぎゅっと目を瞑った。
「い、いーたん」
「ん?」
「下ろして」
「ごめん、聞こえないや」
と、戯言遣いは人識をそのまま自分の眼前まで持ち上げる。さすがに摘むのでは苦しいと配慮して、手のひらに包み込んでいた。
「うん、やっぱいいね」
「は?」
「親指姫な零崎? ポケットに入れて常に持ち歩きたい感じ。かわいいよ」
「俺は! イヤだよ!!」
こんなサイズじゃ満足に動けないし。
やりたいこともできないし。
なにかをどーにかすることも不可能だし。
「なにより、おまえに満足にさわれないし」
ぶすくれた、いっそぶっきらぼうな声音は、しかし真っ赤に染まった頬ですべてを伝えていた。
その小さな手が戯言遣いの頬へのびる。次いで、小さな小さなリップ音が響いた。
「やられっぱなしの俺じゃねーんだぜ! 残念だったな!!」
どうだ!と言わんばかりに人識はすがすがしいまでの笑顔を見せた。数瞬間をおいて、我に返った戯言遣いは小さくため息をついた。
「君が食べたチョコレート、効力は丸一日なんだって」
「……おう?」
「明日きっちり返してあげるから、君にしてやられた分は。残念だったね、そのサイズじゃぜったいうちから出れないし、君の服は僕が預かってるから元のサイズに戻ったら問答無用で僕に食べられるしかない」
「……お前それ狙って冷蔵庫にわざとチョコレートつっこんだりしなかった?」
「よくわかったね。春日井さんがおもしろそうなの作ってるからって実は譲ってもらいました」
「ここまでの流れぜんっぶお前の手のひらかよ!!」
「うまいね、君はまさに手のひらの上だ」
「うまくねえし!! あーあーもう! 負けた!!」
好きにしろよ、と拗ねた声で人識。
ごめんごめん、とちっとも反省していない戯言遣い。
さて、とりあえず扇風機、開けようか。と、戯言遣いが膝をつき、畳に人識を下ろそうとする。そのとき、ぽそりと人識がつぶやいた。
「別に、普通に言ってくれりゃそれなりには考えるっつの馬鹿」
チョコレートの効果が切れるまであと二十三時間あまり。
戯言遣いの苦難はむしろここからだった。
▼手のひらの小悪魔姫