no title 4
□残像エイドス
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残像エイドス
思えば。
退屈が自尊心を上回ったが故の暇つぶしのはずだった。
どうせ、最後はあっさりと凪いでしまえば構わない、お遊びだと。そう思っていた。
例えば。
お前の目がこの僕を真っ直ぐに映すとき、そこにどんな感情が浮かぶのだろうという興味。
呆れながらも僕にナイフを突きつけるその表情への愉悦。
――取り違えるなよ。
胸の奥から警告音。アラート。聞こえない振りは簡単だった。
取り返しがつかなくなるまでは。
「昔な、こいつとなら死んでもいいやってやつがいたよ。あーいや、こいつになら殺されてもいいや、かな。まあ思っただけでさ、実際のところはレクリエーションな殺し合いの連続だったんだけどよ」
「ふうん、意外だな。君にもそう思えるくらい想った人がいたなんて」
「おいおいお前はいったい自分の鏡をなんだと思ってんだよ。お前等ほどの共依存では無かったとは言え俺だって通った道だぜ」
「共依存?」
「お前と、青色」
共依存、と呟くと、その通り、と零崎は笑った。からりと氷水の入ったグラスを揺らす。ざわざわとした人の声が、急に耳について聞こえた。
「まあ否定はしないよ。僕は友を愛しちゃってるから」
「かはは!! 胡散臭ぇなぁ相変わらず。まあいいさ、俺も、アイツを愛しちゃってたってこったからな」
それから零崎はふと真顔になって、僕をまじまじと見つめてきた。
「愛ってのはわかんねーよ、戯言遣い」
なんせ俺には心がないんだ、とまた笑う。自嘲に見えた。僕はハンバーガーをかじりながら、そうかもね、と安っぽく答えた。
「で、出夢くんは君に何を残して何を奪ったって話なの」
「……俺、出夢のことだ、だなんて言ったか?」
「いや。生前、出夢くんが話した人と君が一致しているように思っただけだよ。でも、やっぱりなんだ」
「……うっぜえ奴だな、殺したくなる」
「幾ら引退した殺人鬼とはいえ、冗談にならない台詞はよせよ」
「引退、ねぇ。まー間違っちゃいないけどよ。そりゃ妙な言い回しだな」
ぐい、と氷水を飲み干す。氷をかじる音がヤケに高く響いた。
「殺人鬼にゃ引退なんてないぜ、殺人犯じゃあるまいし。意図的じゃあない、性質で形質で質料だからな」
「ふうん? その辺の機微は僕には分からないけど」
「まあそうだろうな。それが俺と出夢の違いでもあったってことだよ。尤も、俺に殺人衝動はなかったけどな」
殺意はあっても。殺人衝動は始めから。
はみ出し者の、零崎一賊。
「だから取り違えたんだろうなぁ。今ならそう思うよ」
と、零崎はしみじみ言った。その言葉が、それだけの月日を表していた。
「お前とも出会って足掛け八年。出夢とは中三時からだからもう十年越えたか。かはは、時間経つの、はえーな」
会いたいなぁ、と唇だけが動くのを僕は見た。
立ち上がる。ちゃり、と車の鍵を鞄から取り出した。
「会いに行きなよ。墓の場所は分かってるんだろ」
「なまじ分かってるから行けないんだよ。泣きそうで」
「泣いてこい」
「それじゃまるで俺に心があるみたいじゃねーか」
「鬼も人も全くないわけがないだろ」
「それをお前が言うのかよ、欠陥製品」
ああいうさ。
間に合わなかった物をせめてヒトカケラ取り戻すために。
それは僕の欠片じゃないけれど。
僕の向こう側の一破片なのだから。
トレイを片づけて外に出る。ちらりと振り返ると零崎は肩をすくめた。バーカ、と微笑む。
それから僕の後に付いてきた。
「僕が死ぬときはきっと妹のが先に死んでるんだよなぁ。嫌だなぁ」
と、いつだったか出夢は言った。
幾度目かの殺し合いの間だったかも知れない。妙に感傷的な言葉だった。
「でも人識は僕が死んでも飄々と生きてそうだね」
「そりゃ俺はお前のことなんてどうでもいいもん」
ひどいなぁ、と出夢は笑う。ちっとも言葉と噛み合っていなかった。
俺は緩く笑って、出夢の頭を乱暴に撫でた。
「まあ、一筋くらいの涙は流してやらんこともねーけど」
「殺人鬼の癖に?」
「あー、んじゃ、零崎人識じゃなくて、汀目俊希が」
「ぎゃっは、いーのかよ、汀目俊希は一般人なんだろ」
「んじゃ匂宮出夢も一般人になれよ」
「……それ、本気で言ってんの?」
わずかに言葉に険が籠もった。
匂宮出夢の価値は、殺し屋、だけだと思っているからだと、そう思った。
「僕はなににもなれないよ。殺し屋だけだ。人を食う、殺し屋だよ」
「……じゃあ、いつか俺も食い殺されんのかもな」
そういうと、出夢は目をしばたいた。
「なに、人識ってば、僕に殺されちゃっても構わないの?」
「抵抗の末にお前に負けて死ぬなら悪くないかもなってだけだ」
「……人識は死なないよ、僕が保証してやる」
「そりゃ、どうも」
ならお前も死ぬなよ。
妹と一緒になって死ぬなよ。
と、言いかけて、飲み込んだ。
あの日のことは、今でもよく思い出す。
人の死んだ数とその場所への恨みは比例しないのかも知れない。
巨大な石碑を抱いた姫百合学園は、今では立派なお嬢様学校だった。
その学校の隅の小さな桜の木。その下に出夢くんは眠っているはずだった。
「欠陥製品」
「ん、なんだい人間失格」
「俺さ、出夢のこと好きだったよ。今でも、ずっと好きだ」
「うん」
「多分、一生変わんないと思う」
「うん」
零崎はその木の根元にしがみついて、一粒だけ、涙を流した。
およそ普通の人のような、真っ直ぐなクリアカラーだった。
「取り違えても間違えてても」
「間違ってないよ」
「え」
「自分たちで選んだ別れだったんだろ。僕が家に帰ろうと決めたのとおんなじたよ。それが君にとって不服な結果であれ理不尽な結果であれ、それを選んで突き通したのは出夢くんであり、君だよ。だから」
僕もしゃがみこんで手を合わせた。
零崎は小さく首をかしげた。
「こうやって今になって惜しむのも、愛の形なんじゃないの。君の言う、共依存みたいにさ」
僕が友と離れなかったみたいに君と出夢くんが離れられないなら、もうそれはそれでいいじゃないか。
と、そんなつもりだった。
意趣返しにも似ていたかもしれない。
「……かもなー」
と、すっきりとした声で零崎が言った。桜の木を見上げる。
青々と茂る桜の葉が、出夢くんの髪の色に似ている、と僕はなんとなく思った。
「ただ取り違えたとはいえ後悔はしてないぜ。反省はしても、迷惑だとだけは思いたくなかったから」
そうつぶやいた。
この手から人識の手を放して、もう何年になっただろう。
陳腐でなんにもならないどこにもいかない心だけが、たぶん今の僕を支えている一つになっているから。
だから僕は笑ってこういうのだ。
「ずっと愛してんよ、バカ」
▼思い出を強さに