no title 4
□はろーはろーりありー。
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はろーはろーりありー。
真っ白なキャンバスに六角形を描き潰していく。
あか、あお、きいろ。
三色のいのちのいろ、を混ぜて、捏ねて、混ぜ繰り合わせて。
その果てにいつだって見るのはあんたの一匙の涙なんだ。
――――君に出逢えてよかった
きーんこーんかーんこーん――…
終業のチャイムがなってネズミはんん、と背伸びをした。欠伸が漏れる。数学の授業はあまり得意じゃない。なんとなく書き散らかしたノートと開きっぱなしの教科書をがざがさとバッグに詰めて立ち上がった。あと十分もしたら部活が始まってしまう。
ネズミの所属する演劇部は所謂「体育会系」と言うヤツで、終業とともにタイムトライアルでスタートしていた。もう三年にもなる。一応花形役者であるネズミが部活に送れて顔を出すわけにも行かない。
大きく息を吐き出すとネズミはさて、と教室の扉に手をかけた。
「ネズミ、ホームルーム」
「いつもパスしてるだろ」
「じゃなくて、今日配布物あるから」
「じゃああとで持ってきてくれよ」
「わかった」
背後から呼び止める紫苑の声に、ネズミはひらりと手を振った。
夢を見た後はいつもそうだ。
なんとなく紫苑と顔を合わせるのが決まり悪くて、適当に誤魔化してしまう。
(六角形ってなんだろうな。三色が色の三原色だってのは分かる。全部の初めになる三色だから。それにあんたの涙も分からない。そもそもあんたは俺の前で泣いたこともないのに、どうして俺はあんたの涙を鮮明に思い浮かべてる?)
桜も葉桜になって久しい六月末の廊下は、湿気と熱でむわりとする。その中に足を突っ込んで、ネズミはせかせかと校舎西棟特別室、演劇演習室へと急いだ。
「おはようございます」
「おはようイヴ、今日もはやいな」
「後輩に遅れをとるわけにもいかないんでね、急いだ」
にこりと微笑むと先に来ていた演劇部顧問の力河がやれやれと笑った。
どさりと荷物を降ろし、ロッカーに放り込む。制服の下に着込んだTシャツと短パンに素早く着替えれば、ネズミは直ぐに発声練習に向かった。
「紫苑と何かあったのか」
「うっさいおっさん」
「荒れてるな」
「別に」
あえいうえおあお。かけきくけこかこ。させしすせそさそ。
(六角形。嫌いな形だ。というか俺は六、という数字自体が嫌いなのだろうけど。それを紫苑の涙に当てはめるってのは、それは俺が潜在的に紫苑を嫌っているから?)
まめみむめもまも。やえいゆえよやよ。られりるれろらろ。
(いやでもそんなことはなかったはずだ。12の時から、小学校から知った仲で、いまさら好きも嫌いもあるものか)
あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ。かきくけこきくけこかくけこかきけこかきくこかきくけ。
(それこそ現実味がないし、そもそもあれだけ一緒に居て情が沸かない方がおかしい)
紫苑とはじめて会ったのは小学校六年生の秋だった。
保護者の仕事の都合でこの町に移り住んできたネズミにまっさきに話しかけてきたのが紫苑だったのだ。
『君がこのクラスにきたのも、きっと何かの縁だよね。ぼく今日誕生日なんだ。よろしくネズミ』
『……えーと。おめでとう?』
『ありがとう!!』
初対面で自分の誕生日を言い連ねてくる紫苑にネズミは戸惑いながらも嬉しかったのだ。
花のような笑顔を向けて笑う少年が、ネズミにはまぶしいほど優しくて。
なにぬねのにぬねのなぬねのなにねのなにぬのなにぬね。はひふへほひふへほはふへほはひへほはひふほはひふへ。
(もう高三だ。あれから五、六年。妙な夢は、あとどのくらい)
「なあイヴ」
「なんだよおっさん邪魔すんな」
「やる気ないなら今日は帰ったほうがいいんじゃないか?」
「……はあ?」
「身が入ってないんだよ身が。やるだけ無駄だろ。大丈夫だ一日休んだくらい誰も責めねぇよ」
つらつらとした発声練習と考え事を分断されて、ネズミは大きく眉をひそめた。
力河は性格に合わない厳しい表情を浮かべている。ネズミのロッカーを開けると荷物をぼん、とネズミに向かって放り投げた。
「紫苑と話でもして来い」
「……なんでそこで紫苑が出て来るんだよ」
「大体お前がそんな表情をしてるときは紫苑がらみなんだよ。なんでもいいから喋ってすっきりして来い。通し稽古は明日だ」
だから今日はお前が居る必要はない。
と、そこまで断言されればネズミに返す言葉はなかった。しぶしぶとつい数分前に脱いだばかりの制服を着なおす。まだ肌の温みが残っていた。
「イヴ」
「あ?」
「俺はお前のことは大嫌いだが紫苑は好きだ」
「知ってる」
「でも」
「なんだよ」
「そーやって人間らしく悩んでるお前は昔よりよっぽどいいぜ、イヴ」