no title 4

□夢を殺せ
1ページ/2ページ


夢を殺せ


「何度も夢を見た。君が二度と僕の前に現れない夢。二度とこの手に触れさせてくれない夢。君がいない夢。夢だってわかってたってさ、やっぱり僕は、それで冷たいところに沈んでいくんだよ。

 君が変わらないでくれと懇願した、何者か自分でもわからない、黒くて冷たくて深い水底に沈むんだ。ねえ、君は、本当に、僕の傍にいるの」


 そう言った紫苑の瞳は光を全く差していなくて。深紅の中の光彩は暗く深く沈んでいた。

 縋るように伸びた手の動きがまるで獲物を絡めとる蛇のようで。思わず後ずされば、あは、とぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。


「やっぱり僕は変わっちゃったね、ネズミ」



 ※ 



 四年ぶりに帰ってきたNO.6はだいぶ様変わりしていた。

 壁がなくなり、内部だけでなく各ブロックもきれいに整備され、まるで過去の惨劇はなかったことのようだった。

 矯正施設跡には美しい緑を湛えた市民公園が広がり、かつて人狩りを行った西ブロックの市場は商店街になっていた。

 俺は超繊維布を巻きつけ直して、真っ直ぐに紫苑の住む家を目指した。

 入り組んだ裏路地を数本右へ左へ行き、階段を下りるとどこからともなくふわりと甘いパンの香りがする。

 (この場所は変わってないな)

 そう思って僅かに浮き足立った。


「こんにちはー」


 パン屋の前で脚を止め、すぅっと深呼吸をしてから何の気なしに入る。

 からんからん、と高い来店のベルの音が響いた。


「はぁい、少しお待ちください」


 店主の少しのんびりとした声。言われるままにショーウィンドウに並ぶパンを見ながら待つ。

 しばらくすると、彼女は厨房のほうから白い小麦粉を頭に被って出てきた。


「火藍さん、前髪に小麦粉ついてる」


 白い三角巾からもれた髪に指を伸ばす。さっと払うと、紫苑の髪と同じ質感が手に馴染んだ。

 彼女は目を白黒させてどうも、と言ってから、はっとしたように少し大きな声で俺の名前を呼んだ。


「ネズミ!!」


 ちち、と火藍の肩にツキヨが駆け上った。四年ぶりの再会だ。

 ああ、久しぶりだな、と頭を掻いてやるとツキヨは僅かに目を細めた。


「あなた、今までどこに行っていたの?」

「全国各地ふらふらと。NO.1から都市の外から荒れた大地に広い海と、一通り。えーっと、ああそう、クラバット、ある?」


 あと、おそらくあんたの旦那と会いました。とは流石に言いがたく、口を閉じる。

 彼女はそう、と得心したように頷いてから、厨房の奥を指差した。


「今焼いてるところよ。少し待ってて」


 もうじきだから、と続けていって彼女はじっと俺の目を覗き込んだ。


「あの子を止めて」

「……え」

「紫苑のことよ。あなたなら、きっと止められるわ」


 その表情がやるせないものに変わった。

 私にはもう、あの子の気晴らしくらいしかできないわ。

 切々と訴えかける目と、正反対に飛び出るあきらめの言葉。

 どういうことか、と聞き返そうとしたら、ぴぴ、とオーブンが音を立てた。

 ついでに、からんからん、とまた来客のベル。


「火藍、クラバット焼けるって聞いたからおこぼれ預かりに。シオンにとびっきり甘いのよろしく」

「わかってるわよイヌカシ。シオンも、ちょっと待ってて。イートインに行ってて頂戴。あ、ネズミも一緒に連れて行ってて」

「ネズミ? ……って、え、お前さんいつ来たんだよ」

「今さっきな。ふぅん、ずいぶん大人びたな」

「まあ。ほら、シオン挨拶だ。話してやったろ。狡猾でムカつくやつでペテン師で最悪、ネズミの野郎だ」

「こんにちは。……あのね、ママね、ほんとはいっつもさいごに、でもホントはやさしいってゆーんだよ」

「ばっか!! 余計なこと言うな!!」

「それはそれはどうも、イヌカシ。お前にそういってもらえるとは光栄だ」


 ベルも鳴り止まないうちにレジまですっ飛んできたのは、イヌカシとすっかりおしゃべりになったシオンだった。

 俺の姿を見るなり、げぇっと露骨に顔をしかめたイヌカシと、きらきらと目を輝かせるシオンは対照的で、眺めているだけで面白い。


「シオン、クラバットの味見、する?」

「するーっ!!」


 火藍に手招きされて、シオンがたっと厨房に駆けていった。

 瞬間、イヌカシの空気が一変した。


「火藍からどこまで聞いた?」

「……紫苑のことか」

「あったりまえだろ」

「あの子を止めて、と」

「そんだけか」

「ああ」


 こい、と階段を促される。

 紫苑の部屋と、それからイートイン席に通じる階段だった。きし、と僅かに軋む音。

 イートインの席は外のだんだん冷えてく空気と夕暮れの茜色に満ちていた。


「お前さんがいなくなってからのここの変化は、どの程度把握してる?」

「風の噂とここに来るまでに見た様子しか知らないな。噂じゃ、頭の切れるトップが民主政治敷いてるって聞いたけど」

「じゃあそのトップって誰か知ってるか」

「…………まさか」

「ああ、そのまさかだ」


 紫苑だよ。

 と、イヌカシは酷く沈んだ声で言った。


「まさか、かつてのNO.6と同じようになっているのか? 絶対的君主として、紫苑が?」

「なわけねーだろ。ちょっと落ち着け。相変わらず甘っちょろくて到底できそうもない理想を見てるよ。

 いつまでたったって俺にとっちゃ少し頭が切れるだけのおぼっちゃんさ。俺のシオンとかわりゃしない。

 ……そうじゃなくてさ、お前さんやエリウリアスとの約束を忠実に守ろうとして、紫苑が死んでいってる気がするんだ。

 そう、あの火の中を車で逃げるとき。おっさんに命令したときの、あの暗い底冷えする目。あれが増えた。

 ――これを」


 イヌカシはポケットに手を突っ込むとなにやら一枚の古い紙を取り出してきた。

 それから無言で俺に手渡してくる。

 広げると、そこには都市再生委員会の中での不正や裏金、それからそれを行ったものの末路まで書かれていた。


「粛清」

「そ。そんな感じだな。もちろんその全部が全部を紫苑がやったとは言わないさ俺だって。けど、この一番エグイやつ」


 とん、と上から三番目。三年ほど前の不正のデータをイヌカシは指差した。


「陽眠って」

「前にNO.6を倒そうとして火藍ママのとこに出入りしてたあの人。お前さんを手術してくれたセンセーのグループのリーダーさんだよ。

 この人、旧NO.6の金を不正に手に入れてNO.5の銀行に個人遺産として溜め込んでたんだって。軽い金山ができる量。

 結果それがバレて、粛清されちまった。確か、一生委員会が必要な面倒を見てやる代わりに表舞台に出てくるなって」

「体の良い軟禁だな」

「それを決めたのが紫苑だって」


 イヌカシは紙をひったくるように奪い返すとびりびりと破った。


「噂?」

「……噂、ね」

「確証はとれねぇよ。紫苑に直接聞けりゃいいけど、あいつガード固いから俺の犬も噂しか拾ってこれなくて」

「ガードが固い」

「要職だからな。紫苑自身がつけてるんだかつけさせられてんのかは知らないけど、一人でいるのなんか滅多にねーよ。

 というか、紫苑が一人でいると思い込んでるときも半径200m以内には絶対SPがいる状態?」

「……なんつーか」

「うん、なんつーか」


 あれだろ、と苦笑い。

 ぞわりと背筋を駆け上がる底冷えする悪寒。


 (あんた一体どこに行くつもりだ)


 まだ姿を見ていない紫苑にそう問いかける。


「今日は紫苑、帰ってくるよ。もうすぐじゃねーかな。

 ……一目見ればわかるよ。火藍の言葉の意味。昔と、違う目をしてるから」


 
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ