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□花冠に誓いを
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花冠に誓いを
※漫画六巻限定版「美しき日々に花を」微ネタバレ。
時間軸外伝。トーリ視点。色々捏造。
紫苑委員の執務室には、真っ白なシロツメクサと百合の花で作られたブリザーブドフラワーの花冠がある。
それは、年を経るごとに一つずつ増えていって、NO.6の崩壊から三年経った今では、三つの花冠が壁に大事そうに飾られているのだった。
なぜ、花冠なのですか、と聞いたことがある。
紫苑委員は、んん、とちょっと考えるように視線を上向けて、それから、ふんわりとした笑みでこう答えたのだ。
――僕の大事な友人が、よく被っていたんだ。
「……はーるがくる、はながさくー」
ある日、〆切ぎりぎりの書類を持って(本当に急いでいてあわてていたので)ノックもなしに紫苑委員の執務室に飛び込むと、彼は書類仕事をしながら歌を歌っていた。
その様子があまりにも切なくてきれいだったので、声をかけ損ねる。息を殺して歌を歌い終わるのを待って、あの、と声をかけなおした。
「あの、紫苑委員」
ちょっと、不味いところに出くわしてしまったかもしれない、とそう思いながら声をかけると、彼ははっとしたように顔を上げて、ごめん、と呟いた。
「そこに置いておいて。あとはやっておくから」
「わかりました。……ところで、なんの歌ですか? 聴いたことがない」
妙に心に染み付く歌だった。けして上手くはない。歌詞もあやふやなようで、所々鼻歌に変わっていた。
紫苑委員はちらりと花冠を見やって、トーリ、と名を呼んだ。
「君は祭に参加したことはあるか?」
「祭、ですか」
「そう」
「……聖なる祝日、くらいでしょうか」
「やっぱり、そうだよね」
僕だってまだ、祭を開けるほどこの都市を改革できているとは思えなかったから。
と、紫苑委員は自嘲気味に微笑んだ。
「この歌はね、花の祭の歌なんだ」
「花の、祭」
「そう。春が来ることを祝う祭だ。風は芳しく、大地は青々とその姿を色づかせ、なんというか希望に満ち溢れた季節だろう。この歌はそんな季節が訪れたことを祝う祭の歌なんだ。
昔、友人が歌っていたのを一度だけ聞いたことがあって、ね。もうじき春が来るだろう。なんだかそわそわしてしまって、歌いたくなったんだ」
そう語りながら、彼の瞳はずっと花冠に向いていた。
大事な友人がかつて歌った春の歌。
それだけにしては、向ける視線がどうにも優しくて、切なくて、熱っぽすぎた。
その視線は自分には絶対に向かないだろうなあ、と思って少しばかり苦笑い。
別に、紫苑委員の特別になりたいわけじゃない。
「僕が、一方的に誓っただけなんだ。友人にも話したことがないんだけど」
「はい」
「いつか一緒に、本当の祭をこの土地でやろうって、そう決めているんだ」
いつか彼がこの地に戻ってきたときに祭を行えるように、今はこうやってよりよい都市を作り上げるんだ。
そう言って、紫苑委員は微笑んだ。
「祭は、人の心が自由じゃないと思い浮かびもしないものだろう?」
「……そう、ですね」
西ブロックが「花の街」と呼ばれていた時代からこの地にいるものさえのぞけば、実際のところ元NO.6の住民に祭を知るものはいない。
聖なる祝日は、国民の義務であったし、祭というよりも式典だった。
――大いなるNO.6に万歳。聖都市NO.6に永久の発展を。
思い出すだに虫唾が走る。
あれは祝う気持ちなど一ミリだって存在しない、ただの虚構だったではないか。
「前に」
「はい」
「この花冠のことを聞いたね、トーリ」
「ええ」
それがどうしましたか、と言う前に彼は壁から一番古い花冠を外して持ってきた。
「忘れないためなんだ」
「え、と」
「友人が歌った希望の歌を忘れないための。友人の姿を忘れないための。
お守りなんだ。
彼が戻ってこれるだけの美しい都市を作り上げられるように。
それだけじゃないな。
今はもう会えない僕を愛してくれた彼女を。僕にもう一度チャンスをくれたあの美しい神様を。西ブロックで彼と過ごす中で手に入れた、すべての記憶と経験を。
見失わないための、枷だよ」
年に一つずつ増えているのは、時間の流れを忘れないためだけど。
と、真剣な目だった。
よりよい都市を作るためなら、何事も厭わない彼の、とても強く冷たい目だった。
ざわりと悪寒が背筋を駆け抜ける。
枷、といった。
だが、どうだろう。それは、本当に枷にしていいものだろうか。
「紫苑委員」
「ん」
「今日はもう終わりです。お休みください。あとはやっておきますから」
「でも」
「このところ徹夜続きでしょう。あんまり無茶しては終わるものも終わりません」
彼は、目的のために手段を選ばない、の域にまで達してはいけないのだ。
温和で優しい視点を失ってはいけないのだ。
それでこそ、紫苑委員がここにいる価値なのだから。
そう思う。
ぐいぐいと背中を押して執務室の出口に追いやると、紫苑委員はふっと口元を緩めて笑った。
「わかったよ、トーリ。ありがとう」
そうしてまた、花の祭の歌を口ずさんだ。
そう、あなたはそうでないといけない。
「遥か未来を信じるものたちの為に、あなたはそのままでいなければ」
つぶやくと、彼はきょとんとした目をして、部屋を出て生き様にこういった。
「ふふ、トーリはネズミとおんなじことを言うんだね」
その言葉がどのような意図で放たれたものかは知らない。
花冠を壁にかけなおして、書類をまた、新しく進め始めた。
▼花が咲く日まで。