no title 4

□勿忘草のさようなら
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勿忘草のさようなら


 手のひらから抜け落ちた身体を覚えている。手のひらをぬめった血液の感触を、手のひらを覆った血液の温度を、力強く抱き締めた最期の抱擁のキツさを、憶えている。


『愛してくれてありがとう』


 エースはそう笑って死んだ、のだ。自分には手の届きそうもない遙かに遠いところに行ってしまったのだ。

 いや、きっと追いかけるのは一番、一等、簡単だった。だって。命を絶てば良かったのだから。無様にその心臓を海軍の前に晒せば良かったのだから。


 単純明快。たったそれだけ。


「サボが一番、エースが二番……。船出の順番だった筈なんだけど、よ」


 これじゃあまるで。

 と、ルフィは兄の最期を覚えている右手を握り締めた。


 死出の旅路の順番じゃないか。


「冗談辞めろよなぁ……。エース」




 アラバスタで三年ぶりにあった時のエースの姿をルフィはどうしても思い出せなかった。思いだそうとすれば、その姿は最期の笑顔にスライドしていくのだから、致し方ないとも言えた。

 満面の笑顔が似合う兄だったと記憶している。仏頂面の時も多かったが、どんな時でも自分に寄り添ってくれた兄だった。


「最近さ、思った事があってな」

「うん」


 エースが17歳になり船出する数日前の事だったと思う。貰った漁船を改装し、海賊旗を手縫いしていく様子は如何にも楽しそうで、ルフィはこれから取り残される三年を思い少しだけぶすくれていた。

 知ってか知らずか、麦藁帽子を深く被ったルフィの頭にエースはぽん、と手を置き帽子ごとくしゃくしゃと撫でた。


「お前の兄貴になるために生まれたのかもなぁってよ」

「……エース、どーしたんだよ」


 思えばその当時のエースにはまだ翳りが見え隠れしていて、年下のルフィも意味が分からないなりにその不安を感じていた。

 今から見れば簡単なこと。エースは自分が生きていることを、誰かに純粋に許可して欲しかった、のだろう。

 勿論その頃のエースは自分のそんな気持ちには気付いていなかったし、ルフィにそれを見抜く心眼は無かったのだが。


「何となく、言ってみただけさ。……ルフィ」

「おー」

「何処で何してても、兄弟の絆だけは絶対だ。この先お前に何があっても、逆に俺にどんな不幸が訪れようと、絶対に気持ちは一人じゃない」

「んー……?」


 兄の言葉を必死で受け止めようと、ルフィはうなり声をあげながらぐりぐりとこめかみに指を当てる。

 そのうちパッと目を光らせて力強く頷いた。


「一人足んねーよ、エース!!」

「は?」

「最初に出航したのはサボだ! サボだって心は繋がってるぞ!!」

「……ああ、そうだったな」


 ししししっと特徴的な声を漏らして笑うルフィに、エースは僅かに表情を緩ませる。

 ああ、そうだった、と小さく頷いた。


「俺とエースとサボ! 三人で兄弟だったからな!!」

「あーあー、ったく、お前には適わねえよ、ルフィ」


 縫い上がった海賊旗は風にそよいで笑っていた。





「……海賊王に、俺は、」


 覇気を会得するための特訓。レイリーの指導は実に厳しく、日中エースの事を思い浮かべる暇は無かった。

 だからこそ、休養中に浮かぶ兄の姿は余計に鮮烈で、未だ包帯を巻きっぱなしの右手は空気に触れるのを畏れていた。


「………皆に、会いてぇなぁ」


 自ら二年後と定めながら、やっぱり頼りたくなるのは仲間で、何度目になるか分からないその呟きはルフィ自身の耳に入る前に噛み潰した。


「愛してくれてありがとう、か」


 酷いよなぁ、とルフィは思う。

 いっそ憎まれ口を叩いてくれた方が辛くなかったのに。あのエースが、泣いて、泣いて、笑うから。嬉しそうに。満足そうに。笑うから。

 心の中にしがみついて離れない言葉だ。


 私のことを忘れないで。


 そんな意味を持つ花があるのだと、どこかで聞いたことがある。

 名前は覚えていない。ただ、とても悲痛な言葉だと、思った。花が重みを持つ。人の別れを持つ。


「言ってること、おんなじじゃねーか」


 そもそも、俺はエースの事、絶対忘れないけど、さ。ずっとずっと大好きだから。


 島の季節は極寒の冬から初春に移り変わりつつあった。48季。まだまだ、網羅には程遠い。

 火の番をしていたレイリーが、顔を腕で覆うルフィに微かに笑いかけた。


「……見てろ、エース」


 胸は痛かった。ずたぼろだった。

 それでも、と伝う涙を拭ってルフィは無理矢理に目を瞑った。夜が明ければまた特訓が待っている。


「海賊王に、俺はなる……!」


 固く固く心に誓った。

 だから寝る。と続いた言葉は少々間抜けだったけど、それが自分なのだ、とルフィは笑う。


 島の端っこに忘れられたように咲く花は、一輪の勿忘草だった。






▼背中を追ったこの道を
(今度は一人で走ってく)

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