no title 3

□三匙
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三匙


 さて、と彼は王将を盤上から弾いた。ばちん、と小気味よい音を立てて地面に落下したそれを、彼は無言で踏みつける。何度も、何度も。小さな木製の駒はいくら踏みつけても割れることはなく、ただ足跡だけをその身に残していく。

 は、と彼の口から絶望にも似た息が漏れた。その瞬間を狙ったように、間延びした声が彼の耳に入った。


「やめなよー赤ちん」


 と、声の主は彼の足下にしゃがみ込むと、王将を拾って丁寧に汚れを拭き取る。彼――赤司征十郎はそれでやっと、口を開いたのだった。


「……止めるな紫原」

「んーでも王将って赤ちんじゃん?王様が王様貶めちゃ駄目でしょー」


 威圧感を伴った赤司の声をもろともせず、紫原はそう反論し、拭き終えた王将を赤司に向かって放った。空中ですっと手をやり赤司はそれを受け止める。はあ、と今度こそ彼は胡乱気に息を吐いた。


「……お前が俺に当たるのも珍しいな。言いたいことがあるなら早めに言え」

「んー別にないけどー。……あ、やっぱあるかも」


 紫原は制服のポケットから板チョコレートを取り出すと包み紙を破ってがじりと噛み付いた。


「黒ちん、いつまでほっとくのかなーって。どうすんの?」


 ギラリと紫原の目が光る。

 赤司はゆっくりと首を振ると、こう一言だけだった。


「……考え中、だ」






 画鋲の山だった上履きは少々姑息な上履きに進化していた。見た目は何もいじられている様子がない上履き。

 黒子は何の疑いも持たずにそれを履いて、コンマ一秒でひどく後悔した。足の甲に面する生地に、べったりと瞬間接着剤が塗り込められていたのである。


「靴下まで被害に遭いました」


 うへぇ、と苦い顔を見せた白井に黒子は小さく笑んでみせた。接着剤のついた部分には触れないようにしながら慎重に靴下を脱ぐ。

 浸透したそれが素足に貼り付いて肌をピリリと引っ張った。


「こっちはなんやら昔のテツヤだぜ。画鋲地獄」

「……すみません、君まで巻き込んでしまって」

「全然構わないって。……けどまあ、そんだけあちらさんがお怒りなのはわかったけどな」


 白井は自身の上履きにこれでもかと言うほどに敷き詰められた画鋲を一つ一つ取り除きながら笑ってみせた。

 ひそひそと話す生徒たちの声が聞こえている。自分たちを揶揄する言葉とひたすら混乱している雰囲気。

 あーやっぱそうなるんですね、と黒子は小さく呟いた。


「――…今まで我関せず組だった奴がさ、段々敵陣営に回り始めてんだよ」

「……はい」


 例えばクラスメイト。黒子が虐められる訳がない、と、虐められる理由がない、と。励ましてくれた友人は今、口を利こうとはしない。申し訳なさそうに視線を逸らすか、嘲るように唇を釣り上げるか。

 どちらにせよ黒子の精神を削るには十分すぎた。


「厄介だねえキセキの世代ってのは。自分のこと持て余しちゃってんのに、周りに影響力有りすぎ」


 あーあー、と、使い物になりそうにない上履きをゴミ箱に放り投げながら、白井はそう言った。


「……この学校は、実力主義ですから。強い者の言葉が力を持つ。当然です」

「……うん、この学校の、ヤなとこだ」

「あー黒ちん白ちんおはよー」


 二人が苦々しく呟いたとき。背後からゆるっとした声がかかった。

 ぴくりと肩を震わせ、恐る恐る黒子が振り返ると同時に、彼はぐりぐりと手のひらを黒子の頭に押しつけた。


「……おはようございます紫原くん。痛いです」

「うん、痛くしてるもん。あっ、白ちんもー」

「あー……どーも」

「このままオレに捻り潰されちゃえばいーのになー、二人ともー」

「それはごめんです」

「遠慮しとくわ」

「アララ、やっぱり駄目ー?まーでも」


 と紫原は手を離して飴玉を一つ、口の中に放り込んだ。ガリっと噛み砕き、新しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべる。

 ぞっと。二人の肌が粟立った。


「俺が潰さなくても皆が潰すよねー」


 新しい飴の袋を開けながら、じゃねえ、と呟き紫原は教室に入っていく。

 はあっと、大きく息をついた。


「紫原、怖ぇ」

「純度百パーセントですからね……」


 まだ何も実害がないだけ僥倖です、と黒子は言った。それ以外、言葉はなかった。


「もしも僕がバスケ部に戻ると言えば」

「やめろテツヤ。それは優しさでも救いでもない、ただの、逃げだ」

「……すみません」


 ――今戻れば、昔のようにプレイができるだろうか。


 そんな言葉を黒子はどうにか嚥下した。

 一度手から離したものは、二度と帰ってきはしない。






王手:黒色さん、いますか?

黒色:お久しぶりです、王手くん。

黒色:どうかしましたか?

王手:まあ。

王手:少し相談したいことがあります。

王手:お時間いただけますか。

黒色:どうぞ。

王手:前にも幾度か相談に乗って貰った、部活のことなんです。

黒色:ああ、確か王手くんはサッカー部でしたね。

黒色:その後どうですか?

王手:黒色さんのアドバイスのお陰が、無事今年もノルマクリア果たしました。

王手:ありがとうございます。

黒色:僕は何もしてませんよ。

黒色:頑張ったのは王手くんです。

黒色:部活勧誘ノルマ40人って鬼畜ですよね……、お疲れ様です。

王手:そう言っていただけると、ありがたいです。

王手:それで相談というのが。

黒色:ええ

王手:部活内虐めなんです。

黒色:……虐め。

王手:……黒色さん?

黒色:あ、いえ続けて下さい。

王手:僕らには唯一無二の仲間がいたのですが、つい数週間前に諸々の事情があって彼が一足早く部活を抜けたのです。

黒色:はあ。

王手:僕は引き留めませんでした。

王手:何故なら彼の精神状態はギリギリでこれ以上心労を掛けたくなかったからです。

黒色:理解できます。

黒色:正しい判断だったと思いますよ。

王手:ですが問題はそこからでした。

王手:良くも悪くも彼を好いていた他のメンバーは彼が黙って部活を抜けたことを快く思わず、その憤りと方向を間違えた愛情から彼を苛むようになったのです。

黒色:それは、

王手:僕は彼にこれ以上負担をかけたくない。

王手:ですが僕が動くことでまだギリギリ保っているバランスが崩れることを恐れています。

黒色:難しいところですね。

王手:丸投げするようで良くないのは理解の上お聞きします。

王手:僕は、





「どうすれば良かったのでしょう……ですか」


 黒子は画面上に羅列された文字を見直し、大きく溜息をついた。


「違う、彼はサッカー部の王手くんだ」


 だからコレは僕をおもんぱかった赤司くんの幻想だ。第一、あの赤司くんが他人に、しかもネット上の見ず知らずの人に、こんな相談を持ちかけるわけがない。境遇がにた話なんて幾らでもある。

 黒子はぐっと唇を噛みしめると、キーボードに置いたままの手をゆっくりと滑らせ始めた。








▼毒の三滴


 

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