no title 3
□明けぬれば
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明けぬれば
明けぬれば暮るるものとは知りながら
なほ恨めしき朝ぼらけかな
零崎は呟いて細い肩からずり落ちた掛け布団を持ち上げた。僕は起き上がって朝食の準備をしていたのだけれど、発言が気になり、手を止めて零崎のほうへ向き直る。
短歌のようなものを呟いていたように思い聞きなおすと、零崎は不機嫌そうに首肯した。
「んだよいーたん、知らないのか、百人一首」
「生憎中途退学でER3システムに移動になったからね。古典には弱いんだ。どんな歌なんだ?」
「恋」
「へ」
「だから、恋。恋愛のれんの字」
……いや、一度言われれば分かるけど。
零崎の端的な答えに驚き聞き返しただけだったのに、彼は随分と気分を損ねたようで、肩に掛け直したばかりの布団を頭まで被った。
んぁー、と欠伸。布団に潜り込む零崎は猫のようで、僕は後ろから抱きしめた。ばっと振り返った零崎の頬には少しばかり赤みが差していた。昨夜の情事を思い出す。
零崎が占領していた布団の半分を失敬して僕も潜り込み、むきだしの白いうなじに噛み付いた。
「ふぎぁっ!! 何しやがる欠陥、まだ足りねーのかよ変態っ」
「僕に無防備を見せる君が悪い」
「うっさい、こっちは疲れてんだよ。少しは寝かせろ不親切」
「君が気になるような事言うからだろ」
そういうと、零崎が言葉につまって顔をそむける。どうやら、僕に聞かれて欲しくなかった短歌の様だった。
尚更気になり、振り向かせるべく画策。首筋をなぞって、髪の毛を撫でてくすぐって、最後にストラップのついた耳にキス。黙って耐えていた零崎は、そこで屈して思い切り振り返った。
「いーたんの変態」
「そりゃ重畳」
「褒めてないからな?!」
「で、意味は?」
観念した様に大きく溜息をつき、ぼそぼそと言った。
「……夜が明ければ必ずまた日が暮れるからまた貴女に会えることは知っているけど、明け方が来れば貴女とは一度お別れをしなくてはならないから、朝はとても恨めしい……って感じ」
「へぇ……。君がそんなロマンチストだとは思わなかった、というか、そんなん知ってたんだな」
「中学までは普通に通ってたんだよ。そん時に授業でやったんだ。ふと思い出しただけだし俺はロマンチストは嫌いだ」
零崎はそうぶすくれる。
全く、可愛らしい事を言ってくれるなぁ、と僕は半ば感心しながら零崎の髪をすいた。これだけ派手に脱色しているのに、痛んだ様子の無い実に触り心地のいい、柔らかな髪だった。
「欠陥、腹減った」
「うん、もうちょっと」
「腹減った腹減ったはーらーへーったぁー!!」
「君は胃袋キャラ通り越してただの駄々っ子か!」
催促が駄々になった以上、流石に僕も朝食作りに戻らなければいけない。( なんせ零崎に一方的に負担をかけているのだから当然の義務ともいえる )
名残惜しくも今度こそ布団から抜け出し、作業を再開する。
今日の零崎はオヒメサマなのだ。丁重に扱ってしかるべき。
「なぁ欠陥」
「朝食ならあとご飯炊いて魚焼くだけだけど」
「意外と純和食派なんだな……ってその話じゃなくてよ」
魚を焼き網の上に乗せながら返事を返すと、零崎は少しばかり考えあぐねるように俯いてから、口を開いた。
「欠陥は、ずっとこのボロアパートに住むつもりか?」
「……別に、何も決めてないけど」
「じゃあ」
掛け布団を体に巻きつけて、ちょこちょことシンクの前に立つ僕の元に来る。狭い四畳間。数歩で僕の服に手が伸びた。
「とんでもなく馬鹿らしくて傑作とも言えるような戯言なんだけど、さぁ」
零崎は大きく深呼吸して服の裾をきゅっと掴み、言った。
「一緒に暮らそうぜ、いーたん」
……『一緒に暮らそうぜ、いーたん』
その言葉を意味どおりに捉えるのに、たっぷり十秒はかかった。頭の中をぐるぐると言葉が回って、僕はようやく口を開く。
「……本気?」
「だから、戯言っつったろ」
「あぁ、うん、そうだったね」
戯言だ、と言いながら俯く零崎はきっとやっぱり本気だった。
焼き網から生物の燻った匂いがしてくる。そろそろ裏返さないと魚が焦げるなぁ、なんて逃避染みたことを思う。
別に、その言葉が嬉しくないわけではない、のだ。むしろ恋人としては嬉しいし、気まぐれの権化のような零崎が気紛れじゃなく真っ直ぐに、しかもこの僕に、そんな言葉をくれたことは幸せ以外の何でもない。
ただ。引っかかった。気負ってしまった。僕が、他でもない僕自身に。
今現在を持って僕は玖渚友の所有物に過ぎないのに、そんな僕が人並みの幸せを享受していいのか、と。
「なほ恨めしき朝ぼらけかな」
「……零崎」
「分かってんよ、不可能なことくらいな。だっていーたんは結局あの蒼の所に戻らざるを得ないからな。俺だって、妹なんか出来ちゃっててんてこ舞いだし。……かはは、戯言一つも流し切れないなんてお前らしくも無い、しっかりしろよな戯言遣い」
変な事言ったな、悪い。と、零崎は笑った。笑顔の素敵な殺人鬼の、その笑顔は、何故かとても痛々しかった。
明け方が来れば貴女とは一度お別れをしなくてはならないから、朝はとても恨めしい。
そんな言葉が思い出された。虚構と虚像と虚言が、短歌と同じように僕らの間を塗りつぶして笑う。
「……僕は案外、腰抜け間抜け、なんだよな」
「知らなかったのかよ、だっせぇ」
「でも」
ぴー、ぴー、と炊飯器が炊き上がりを知らせた。少し焦げた魚を皿の上に乗せて卓袱台に運び、部屋の奥に置いたままの服を零崎に放り投げる。
眉をひそめながら零崎は服を着て、水を汲む僕からコップを奪い取りごくごくと飲み干す。どかりと腰を下ろすと、真正面から僕を見据えるのだった。
「でも?」
「君の嫌いなロマンチストでいいかな、零崎」
零崎の頬の刺青にそっと手を伸ばした。さらりと撫でると、零崎はくすぐったそうに目を細める。
「きっといつか、君を迎えに行くよ」
零崎は虚を付かれた様に目を見開いてから、相好を崩した。
「期待してんぜ、オウジサマ」
▼ 浪漫に魅入られた