no title 2
□日限りの平穏
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日限りの平穏
西ブロックの市場はいつも騒然としているが、その日は極めつけだった。
もう薄暗い夕方にも関わらず市場は活気に、というか忙しさから来る殺気に包まれている。
この日のために仕入れたんだと言わんばかりの普通の食材(腐っても黴びてもいないと言う意味では高級食材だ)がずらりと店頭に並び。
喧騒はいつも以上に激しかったが発砲する者はなく、偶に食べ物をかっさらっていく子供にも見て見ぬ振り。
紫苑はコートの襟をピタリと閉じて、先行くネズミの背中を懸命に追いながら首を捻った。
「なぁ、ネズミ。今夜は何か催し物でもあるのか?」
「まあ……あると言えばあるし、無いと言えば無い」
「煮え切らないな。……でも、悪い事じゃないみたいだ」
「当たり前だろ。都合が悪いときに慈善事業なんて出来るか」
そう言うネズミの手には既に紙袋が三つほど抱えられている。
いずれもNO.6内で売られているものと遜色なく新鮮な食材だった。
肉は干されず生肉のまま、魚は煮付けにされて、果物は瑞々しい。
寧ろクロノスレベルだ。
紫苑はそんな事を思ってくすりと笑った。
「さっさと帰るぞ。これ以上人が増えたらまともに歩くのも大変だ」
「ああ」
ネズミの部屋は西ブロックの密集地帯からはいくらか離れている。
市場を抜けた瞬間に早足になったネズミを、紫苑は懸命に追った。
「久し振りだ、こんな豪華な食事は」
「ロストタウンのメシは」
「此処の普段に比べたら全然いいけど、あそこは一品料理だから」
「成る程。嫌だね格差社会ってヤツは」
「本当に」
くすくすと笑うネズミの表情は嘲りに似ている。紫苑は苦笑を浮かべると厚焼き卵を一つ、口の中に放り込んだ。
「あ、馬鹿。まだ食うなっつったろ」
「え、あ、悪い」
「はぁ……。紫苑、外に出るぞ」
「こんな時間からか? もう真っ暗だろ?」
「いいから。黙って着いてこい」
「うん……?」
促されて電灯一つ無い暗い夜道に出る。
辛うじて持った灯りは頼りなく、つっかえそうになるたびにネズミが忍び笑いを洩らしながら紫苑の腕を引いた。
暫く歩くと、NO.6の中から漏れ出るLEDが足下を照らし始めて、紫苑は漸くほっと溜息をつく。
ネズミは小高い丘までくると、そこで腰を下ろした。紫苑も倣う。
NO.6の壁が、真正面に見えた。
「この辺が一番よく見えるんだ」
「何のこと?」
「まぁ、お楽しみ。
……なぁ、紫苑」
声に導かれて、紫苑の目にネズミの姿だけが映る。
だが、ネズミが見ているのはあくまで真正面の壁で、いっそ憎々しげだった。
「うん」
「俺は、NO.6を憎んでいる。知ってるな」
「勿論」
「でも、」
つい、とネズミの指が滑ってNO.6の壁を…、いや、その少し上の方を指さした。
一拍おいて光の花がぱんっと咲く。
「何事にも例外はある」
花火。
紫苑は、あ、と言葉を紡ぎかけた口を開きっぱなしでそれを見つめた。
そうか、と寒さでしびれかけた頭が納得する。
「Happy new year 紫苑」
次の年が幕を開ける一月一日を祝う花火。
ロストタウンの繁雑な街並みの中でいつしかそれを眺めることも無くなっていた。
紫苑はネズミと花火を交互に見て、それから顔を綻ばせた。
「ありがとう、ネズミ」
「勘違いするな、西ブロックの恒例行事だからだ」
「うん。それでも、感謝してる。
……壁があろうと無かろうと空はいつでも平等なんだな」
「ああ」
壁から顔を覗かせる花は、壁を丁度花瓶の代わりにして気高く儚く夜空の上に咲き誇っている。
色とりどりに瞬いては消えていく光に思い馳せ、紫苑は感嘆の溜息をついた。
「綺麗だな」
「あんたもな」
「え」
間髪入れずに返ってきた返事に思考停止する。
ネズミは紫苑の真っ白な髪をさらりと撫で、額にキスを落とす。ぴくりと肩が跳ねる。熱が集った。
ふふっと息を楽しげに忍ばせてネズミは立ち上がる。
「光が反射してるんだ。紫苑自身が光ってるみたいで、悪くない」
「ネ、」
「そろそろ帰るか。
夕方買ったヤツ、西ブロックなりのおせち料理なんだ。まあ、年始めくらいゆっくり旨いもん食おうって腹なんだろうけど。
……紫苑」
「うん?」
ほら、と手を差し伸べられて紫苑はきょとんと首を傾げた。
じれったいと言わんばかりにネズミが彼の手を引いて立たせる。
勢いは殺されずぐらついた紫苑の肩をネズミが支えた。
顔の距離が、いつも以上に近い。
「あ、なんか」
困ったな、とでも言いたげにネズミが肩を竦める。
「ん?」
「むらっ気。キスしていい? 恋人にする深いヤツ」
「……そういうのっていちいち許可取るものじゃないと思う」
「……あんた本当に天然。勝てる気がしない」
溜息混じりに近付いた唇は触れ合って直後、深いキスに飲み込まれた。
なんど繰り返しても慣れない紫苑は為されるがままで、息継ぎが出来ずに胸にしがみつく。
背後ではまだ花火が立ち上る音が連続的に聞こえて、NO.6内の熱気と自分が交わるようだった。
「今年も、よろしく」
熱っぽい頭では陳腐な言葉しか思い浮かばず。真っ直ぐにネズミを見つめる紫苑の瞳は快楽で揺らめき。
だが笑顔だけはいつもの通り温かくネズミの心を簡単に解する。
「こちらこそ」
なんだか照れくさいような。
あらぬ方向に目を向けて、それから帰るぞ、とぶっきらぼうに告げる。
「旨い飯が待ってる」
「そうだな」
二人はそうして帰路につく。
背後に上がる花火は最後の輝きを残して闇に散った。
その日限りの温かな世界が、二人の胸に降り積もる。
▼全ての優しさを積もらせた
年賀企画でした。リクエストしてくださった方には元日に送ったものです。
ありがとうございました。