no title 2

□この部屋で、夏を
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「そう言えば、」


 ネズミはふっと思い出したように呟いて、部屋の中を見渡した。

 紫苑はキョトンとして首を傾げ、彼の言葉の続きを待つ。


「忘れてんの、記憶力だけがあんたの長所じゃなかったっけ?」

「だから、何のことだ」

「ほんと鈍いな、紫苑。

 スペシャルヒントだ。今、外でしきりに鳴いているのは?」

「馬鹿にするなよ。そんなの、蝉に決まって………、」


 そこで紫苑はふるふると身体を震わせ、ゆっくりとネズミを見上げた。


「君と、この部屋で、夏を迎えた」

「その通り。ったく、自分で言っといて忘れんなよ。

 ……期待してたのは俺だけか」

「え、ネズミ」

「何でもない、忘れろ」


 早口で言葉を紡ぎ、ネズミは目線を逸らした。

 紫苑はにこりと微笑み、ネズミの背中に抱きつく。

 案の定逸らされた目線は一瞬にしてまた絡みあい、したり顔の紫苑にネズミは溜息を吐いた。


「調子に乗らないで頂けますか、陛下」

「乗らせたのは君じゃないか」

「……離せ」

「嫌だ。君の温もりがこんなに近いのに、離れるなんて勿体無い」

「…天然なのか故意なのか。末恐ろしいな、あんた」

「君に育てられた」

「……それは俺のミスだな」


 えいや、と威勢がいいようで腑抜けた声と共にネズミの身体が傾ぐ。

 パサリと積み上げられた本が崩れた。


「キスしていいか」

「いちいち聞くなよ。

 何、俺がもし嫌だって言ったら止めてくれるわけ?」

「君の嫌がることは極力したくない。…けど無理だろうな」

「だろ?

 どうぞ陛下。貴方の御心のままに」


 ネズミがそっと瞳を伏せる。

 躊躇いがちに重なる唇に眉を寄せ、しかし段々と深まる口付けに身を委ねた。


 蝉の声が聞こえる。

 ああ、やっぱり夏なんだ。


 浮遊感の中漠然と考える。

 結局戻ってくるのはいつもこの場所なのだと思い知った。それが果たして自分にとって、紫苑にとって、いい方向になるのか、と云うことは別として。


 唇が離れた。


「紫苑、言ってなかった事がある」

「なんだ?」


 まあ、 いいじゃないか。

 側に居られることはやっぱり心地良くて、お互いが導になることも可能で。


 そうしたら、伝えるべき言葉はネズミの口からするりと飛び出した。


「俺も、 あんたを愛してるよ。……紫苑」







▼願わくば来夏も



 

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