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□塵箱と原稿
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塵箱と原稿


 扉は閉ざされた。帰る道などどこにも無く、かといって新しい道を探そうにも塵箱の中には所詮塵しか詰まっていない。

 ムカつくくらい降り続く雨は一向に止まないし、たまに見せる晴れ間も、気まぐれに姿を現してはすぐにどんよりと戻ってしまう。


 立ち直れ。“アリス”を救ってくれ、と。


 そう言って送り出してやった俺は未だに迎えに来ようとしない、“原作者”を待っては空を見上げる。

 不毛だなあ、と思いつつも諦め切れない俺はやはり馬鹿だ。

 結局、この塵箱のような世界にいる限り俺は誰も救えないし、俺自身が救われることも無い。

 どうしようもないバッドエンドを迎えたのになお俺は存在しているし、そうして己を楔にして二人の幸せを願おうとしたのにそれすらまだ達成されてない。

 忘れた頃にやってくるトラブルメーカーはいたずらに俺を引っ掻き回して去っていくし、それを追うことは俺にはまだ適わない。


 アリスだった頃が懐かしい。


 帽子屋とくだらない喧嘩してチェシャ猫と帽子屋が言い争いしてるのを眺めて、突拍子も無いゲームに付き合って白ウサギを追いかけたり、公爵夫人と茶を飲んだり女王様に言いくるめられたり。

 だけどそれすらもう。



「アーリスちゃん、どうしたの、センチメンタル? 似合わないね」

「お前……また人が声掛けて欲しくないタイミングで」

「えぇ? 僕には寂しいから構って、って感じに見えたんだけど」


 ふと頭を上げるとそう言って覗き込むチェシャ猫の姿があった。

 いつものように憎たらしいくらいの笑顔を浮かべて俺を見ている。

 睨み返すのもなんだか馬鹿らしくて、小さくため息をついた。


「うっせぇな。何か用か?」

「別に何も無いけど。アリスちゃんとお話でもどうかなーって」

「うぜぇ」


 空を見上げ、やはり止むことの無い雨に陰鬱な気分になる。それならまだチェシャ猫と話してた方が幾分ましだとばかりに招き入れ、糖分の一切入っていない紅茶を出した。


「帽子屋さんが飲んだら怒りそうな紅茶だね」

「あいつの飲むもんはもはや紅茶じゃなかった」

「確かに」


 くす、と笑って、チェシャ猫は秒針が回るばかりでちっとも時の進まない時計を指差した。

 カチ、カチ、

 壊れた時計は狂った世界を現すようにただただ無関心に回り続け、この場にとどまっている。


 俺も同じだ


 何故だかそう感じる。考えあぐねていることを見透かすように、チェシャ猫は俺より先に口を開いた。


「違うよ。アリスちゃんは、自分で選んだんだ。自分を楔とすることで“先生”と“アリス”の幸せを掴ませる事をね。

 無関心に此処にいるわけじゃないでしょ? 待ってるんだよね、先生を」

「……どうだかな。実際あれからもうどんだけ時間経ってんだか知らないけど、この国も何一つ代わり映えしないし、ルイスキャロルも原稿を書いてるんだか狂人に堕ちたんだか。

 なんにせよ俺の感知できる話じゃないだろ」

「それはそうだね。

 此処は塵箱。原稿とは紙一重だけど、決して交わることの無い世界だ。

 でも、本当に何も変わっていないんだと思う……?」


 含んだような言葉に俺は小さくため息をついた。

 毎日毎日、この国の終わりまで歩いた。長さなんて伸びないし、名前だって未だに無い。何も変わりなんてしていなかった。

 それを、違うというのなら。


「お前は、何か分かったのか? 」

「僕? そうだなあ、今分かるのは」


 そう言ってチェシャ猫は小さく後ろを振り向いた。


 ちりん、ちりん、

 
 来店を告げるベルが鳴る。

 真っ黒な帽子、顎部分の僅かな髭、真っ黒なスーツ……


「勝手に他人の未来を予測しないでいただけますかねぇ、この馬鹿アリスが」

「帽子……屋……? 」


 駆け寄って、思い切り頬を抓った。確かな感触。


「痛ってぇな、自分のを抓れ、自分のを!!」

「……なんで此処にいるんだよ、馬鹿じゃないのか、あんた」

「るっせぇな。もう少し現実から目をそらしたくなったんだよ、悪いか」

「これだから作家さんは、引きこもりは」

「悪かったなぁ、引きこもりで」


 僅かに空気が固まって、直後、ふ、と笑みが浮かんだ。

 懐かしさが込み上げて、どうしようもない。




「今分かるのは、ね? アリスちゃん」




 ―――まだ君はゴミになりきれないってことかな。


 
 そっと囁いて、チェシャ猫は俺たちの間を擦り抜けて出て行ってしまった。

 
 ゴミになりきれない、失敗作。

 
 上等だ。

 『不思議の国のアリス』が完成に至るまで、俺はせいぜいルイスキャロルをこまらせてやらないと、な。




▼羽ペンを執るまで

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