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□口付け
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露草と口付け


「確かに雪村の姓を継ぐのは綱道が死んだ今、本当のお前一人になってしまった。

 東の鬼の名を消し去るのはあまりに惜しい、が、俺はお前を我が妻にすると決めている」


 そう風間がまくし立てたのは、彼と千鶴の婚礼前夜だった。

 彼の意図が全く読めない千鶴は、小さく首を傾げる。

 そんな彼女の様子に気付いたのか否か、彼は彼女の手を取ると、真っ直ぐに彼女を見つめた。


「あ・・・・・・あの?」

「俺が頭領で無ければ考えてやらんことも無かったが、頭領である以上、この姓を変えることも出来ん」

「ええと・・・・・・何の話・・・・・・ですか?」


 やっとの事で話の合間に割り込んで、彼女はそう尋ねた。

 二人の間にわずかな沈黙が走る。

 やがて大きな溜息を付き、風間はむすっとした表情でそっぽを向いてしまった。


「風・・・・・・じゃなかった。・・・・・・千景さん?」

「・・・・・・お前には話が通じないのか」

「通じるも何も今の話の何処に本筋が、」

「わからんのならもういい」


 話は終わりだといわんばかりに布団に潜り込む風間を見つめ、千鶴は先程の話を思い返した。

 どうも要領の得ない話だったせいか、考えが纏まらず苦戦する。

 指折り数え、順序だてて考えていた彼女の頭に不意にひらめくものがあった。


「苗字・・・・・・・・・?」

「だから、始めからそう言っているだろう」


 振り返りもせずにそう言った風間に千鶴は思わずくすり、と笑みを洩らした。

 その声に反応した彼は不機嫌そうに顔だけを彼女に向ける。


「何を笑う」

「いえ、その、だって!!」


 つぼに入ったのか、彼女の笑い声はますます大きく、響いてゆく。

 口元に当てる手が細かく震えていることに気がついて、彼は眉を潜めて言った。

 

「わかった、そのままずっと笑い続けていろ」

「ちがっ、・・・・・・違うんですって!」


 大きく息を吸って吐き、彼女はようやく笑い声を収めた。

 布団から出ている風間の手を握り、たどたどしく言葉を紡ぐ。


「その、嬉しかったんです。・・・・・・千景さんが心配してくれたのは、私の在り方ですよね・・・?

 私が、雪村の姓を名乗り続けるなら、籍を入れる事は難しくなる。だって、千景さんは、頭領だから」

「・・・・・・ああ」


 風間は繋がれた手を引っ張り、千鶴を布団の中に引き込む。

 慌てふためく彼女の口を塞ぐように小さく口付け、それから口を開いた。


「俺たち西の鬼の一族にとっても、雪村家は重要なものだったのさ」


 千鶴の脳裏に思い浮かんだのは、雪村の地に酒を注いだ彼の表情。

 千鶴は風間の手を握る力をそっと強める。


「だから、お前の好きにするといい。どんな結果でも、俺はお前の意見を尊重しよう」

「そんなの、今更ですよ」


 間髪入れずにそう答え、驚いたように目を見開いた風間を見て、ぷぅ、と頬を膨らませる。

 それから子供に諭すような口ぶりで、当たり前と言い切るように、明朗に話を続ける。


「私は、千景さんのお嫁さんになるんですよ? これで雪村の姓のままのじゃおかしいじゃないですか」


「・・・・・・・・・お前は」


 掛け布団が大きく揺れる。放られたそれを目で追っていた彼女に影が差し、ぐらりと安定を欠いた。

 風間は千鶴を組み敷き、優しげな微笑を湛えている。

 常人であれば情事にもつれ込みそうな体勢ながら、双方にその意思は無い。


「千景さん・・・・・・?」


 不思議そうな声に頷いて、さらりと彼女の髪をなでた。

 くすぐったそうに笑みを浮かべた彼女に安堵し、風間は短く呟いた。


「後悔は、しないな?」

「勿論です」


 言外に含まれた不安を消し去るように、千鶴は迷い無く答える。

 それは既に長い時を過ごした夫婦のようであり、お互いを認め合っている証でもあり。



 ―――愛しい



 胸に湧き上がる思いもそのまま、風間じゃ千鶴を抱き起こし、その唇に接吻をする。


「明日」

「はい」

「お前を誰よりも幸せな妻にしてやろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・千鶴」



 小さな唇に優しい誓いを。

 これから先の未来に願いを。

 花のような笑顔を見せる千鶴を、風間はそっと抱き締めた。




▼愛し愛しと紡ぐ歌






漫画版:露草と口付け

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