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□桜色
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桜色が空の下


 暖かな春の日差しに手を伸ばす。

 そよぐ風に一枚の淡い花びらを見た。

 思い出す、優しくて幸せな随想。


「あの日の桜も、柔らかく散っていたな」


 そう、あれはまだ俺たちが分かたれる前の―――・・・










「言っとくが羽目外すのは今日この限りだ。けじめはつけろ、いいな?」

「説教はもういいですから、早く音頭とってくださいよ土方さん」


 屯所に咲き誇る桜。

 花見をしよう、と提案したのは近藤と千鶴だった。

 渋面の土方も局長には弱い。幹部隊士達の盛り上がりも揺らぐ彼に拍車をかけて、そしてついに花見は実行に移された。

 お猪口を手に取った土方は、沖田の水を差されたことに不快感を覚えつつ、苦々しげに杯を持ち上げる。


「乾杯」


 その声に隊士達の賑やかな声が追随する。程なくして飲めや歌えやの大騒ぎになった。

 元々酒に弱い土方は、お猪口の酒を飲み干したきり、騒ぎから離れ、一人桜を見上げていた。

 ふ、と、口元を緩める。何だかんだといってもこの空気を彼は嫌っていなかった。


「左之さんっ、一丁立派な腹踊りをっ!」

「抜かせ平助っ! これは俺が切腹をした証でなぁ、」

「まあいいじゃねぇかよ、左之ぉー」


 離れた席からはいつもの三人組の楽しそうな声が聞こえる。大酒呑みの三人だから、既に酔っ払っているのかもしれない。

 その様子に苦笑しながらゆるりと話し込むのが、沖田に近藤、斎藤と山南。

 そこで土方は一人人数が足りないことに気がついた。


「……千鶴?」


 提案者である彼女の姿だけがどうも見当たらない。

 不思議に思いあたりを見渡しても、彼女の薄紅色の袴は見えない。


 逃げたか


 浮かび上がる疑念。だが土方は一瞬でそれを打ち払った。

 彼は既にあの少女にそのつもりがないことを知っていた。


「まあ、いいか」


 そのうち姿を見せるだろう、と先程とは違う桜を見上げた。

 そして気づいた。


「お前、何して……」


 千鶴は木の上にいた。

 隊士たちの騒ぎをその位置から楽しげに眺めていた。


「んなとこにいたら、危ないだろうが。降りて来い」


 土方が声をかけると、千鶴は困ったように笑った。


「その、」

「……? なんだ、どうかしたのか?」

「………高く昇りすぎたみたいで……その………降りられなくなりました」


 最後のほうは顔を背け、自嘲するような笑みだった。

 土方は彼女に向って大仰な溜息をつく。

 う、と彼女が顔を青くするのが見て取れた。怒られると思っているのか、身を固くしていくのが土方にもわかる。


「酒の席で説教はしねぇよ。……仕方ねぇ、飛び降りろ、受け止めてやる。」

「え、その、あのっ」


 青かった顔が瞬時に朱に染まる。狼狽っぷりが面白いほどに見て取れる。

 やがて呟くような、すみません、という言葉を聞き、土方は千鶴に向って手を伸ばした。


「すみませんっ、すみませんっ!!今行きま………っ?!!」


 彼女の手が枝から滑る。

 頭から真っ逆さまに落ちていく。


「千鶴!!」

 
 土方はどうにか抱きとめると、放心した彼女の安否を確かめる。

 飲めや歌えやの騒ぎも、只事ではない土方の剣幕に静まり返った。


「おい、大丈夫か?!」

「…………あ、……はい」


 彼女の眼に光が戻ってきたのを見て、土方はほっと息をつく。

 そんな彼をからかったのは、やはり沖田だった。


「あっれぇ、土方さん、そんなに千鶴ちゃんのことが心配だったんですか? 意外だなあ」

「総司、これは」

「あ、そっか、あれですね、「しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道」って感じですか」

「おまっ……ああもう、後で覚えてろっ!」

「もう忘れましたぁ」

 
 己の句が下手であることは百も承知の土方だ。

 じとりと沖田を睨みつけ、それから千鶴を呼び寄せた。


「酒を注いじゃあくれねぇか」

「あっ、俺も俺もっ!」

「じゃあのその次頼むな、千鶴」

「差支えなければ、俺にも頼む」


 土方の後に、藤堂、原田、斎藤が続く。

 千鶴は嫌な顔一つせずに順々に酒を注いでいった。

 それからしばらくして、土方はぽつりと呟いた。


「たまにはこうするのも悪かねぇな」

「はい」


 いつの間にか傍らで千鶴が微笑んでいた。

 
 やはり悪くない


 もう一度そう思って、目の前を通り過ぎる花びらを手に取った。


「土方さん」

「……ああ、ちょっと物思いだ、心配すんな」


 小さな頭をぽん、と叩いた。


 この穏やかな時間がいつまでも続けばいいと、そう願う。

 舞い散る桜を眺め愛で、皆と過ごす時が、土方にとって最も好きな時間であったから。

 手のひらの淡い花びらの未来を思う。


「桜、か」










 もうあれから数年過ぎ去っていた。箱館戦争が終結し、平和が訪れた。

 だが、今の平和にかつての仲間たちはいない。

 土方はふと呼ばれる声に振り向いた。


「思い出しますか、皆のこと」


 何もかもを理解したかのように彼女――…千鶴は小さく微笑んだ。

 土方は頷いて、彼女をそっと抱き寄せる。


「だけどまだ、お前がいる」

「ずっとお傍にいます。――永久に」


 真剣な眼差しが土方を射抜く。

 ぱちぱちと目瞬き。それから彼は優しく笑った。


「全く、敵わねぇよ、お前には」





▼思い出は廻る





桜色が空の下:漫画版です。原作を遥かに凌駕してくださいました。ぜひ見に行ってください!

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