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□Hello,my place
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Hello , my place
「小さい頃に何になりたかったのかっつ―とほら、普通はサッカー選手とか野球選手とか、そういう夢見がちなもんだったりするだろ。幼稚園の卒園式なんかよ、きらきらした顔でみんなおんなじこと言ってんだぜ。そんなかでさ、ちょぉっとばかし浮き過ぎてたのが俺なんだよなあ。確か俺の卒園式に来たのは兄貴だったんだけどよ、俺、兄貴が思わず涙するようなことを言っちまったはずなんだよ。まあ、もう何言ったのかなんて覚えてないんだけどな。かははっ、しっかり記憶してたはずの兄貴が亡くなった今となっちゃあ、その真実も闇の中。いや、墓の下だな。いやもう、ほんっと、傑作だぜ」
と、肩をすくめた零崎の表情をぼくはよく覚えている。最後にあった時、もう数年前のことだ。手のかかる妹とおさらばしてきたんだ、と彼はからから笑って、そんな昔語りをした。
何でもないようなふりをして、その実、ほんの少しだけ後悔しているかのような、妙な笑顔が浮かんでいた。
あの時。根無し草と自分のことを評しておきながら。結局、根っこはちゃんと、家族の元につながっていたんじゃないか、と思ったのだ。
「いっそ泣いてくれたりしたらさ、ぼくだって動きやすかったのにね」
独り言をつぶやく。
請負人として仕事をこなすデスクの上には、今は大量の二十数年ほど前に廃園になった幼稚園の資料が並んでいた。
◆
あの兄貴が死んだとき、きっと俺は悲しかったのだろう、と今になってそう実感している。他人を庇ってあっさり他の殺し屋に殺されるだなんて、馬鹿なんじゃないのかと思ったのが、最初の感想だったのだけれど。
人は進退を繰り返して前に進む。鬼である俺もきっと例外じゃなかった。
世界中をほっつきまわって心を探している間に、俺もちょっとばかし成長していたらしい。
「で、根無し草わざわざとっつかまえてなんか用かよ、欠陥製品」
「ちょっとした野暮用だよ。いいじゃないか、人間失格」
某年某日、俺が宿にしていたホテルに戻ってくると、部屋の中で欠陥製品が待っていた。なんて手を使ったのか、不法侵入もいいところである。
数年ぶりにあった彼は少し背が伸びて顔つきも以前より大人びた気がする。ぱりっとしたスーツを着こなす姿は、まるで社会にきちんと適応したかのようだった。
ちくしょう、俺はほとんど体も精神も成長しなかったってのに、うらやましい。
ともあれ、俺はとりあえずソファにどっかりと腰を下ろした。
「俺は用事なんてねーし、お前に探されるようなこともしてないつもりだったけど」
「そうだね確かに。ぼくが勝手に突っかかってるだけなんだ」
「は?」
「うん、君と適当なことをいうのもやぶさかじゃあないんだけど、先に本題に入ってしまおうか」
君に。見せたいものがあるんだよ。
と、欠陥製品は小脇に抱えてた書類袋のようなものを俺に向かって放り投げる。受け取ると、あけてみろと言わんばかりにこくりとうなずかれた。
「今の君にとって必要なものかもしれない」
「今の俺に?」
胡散臭いなと思いつつ、少しためらってから開けてみる。一冊の文集と、一枚の薄っぺらな紙が入っていた。
なんのことかさっぱりわからないまま、取り出す。カラフルなクレヨンで描かれた文集に、ある既視感を覚えた。
「君の、幼稚園の文集だよ」
「……は?」
「昔、君から聞いた与太話さ。君は家族の絆なんてものを軽視していたようだったけれど、ぼくにはそれが真実、君の心そのものだったとは思えなくてね。どうにもこうにも気になったから、お節介だとは思ったんだけど、調べてみたんだ」
君が大切にしていたものは。鏡の裏側で、ぼくが預かってたよ。どんなに否定したって、君が逃れられなくて、本当はほんの少し、愛おしんでいたものだ。
と、柔らかな声音が耳朶を打った。
馬鹿じゃねーの。と、胸の内。
俺は何も大切になんかしてなくて、ちょっと感傷に浸ったくらいのことを一々上げつらわれても、困るというのに。
そう思うのに、言葉は出てこなかった。
「君が探してた心ってのは、結局君自身の中の思い出と、君自身の気持ちの問題だからさ。……僕だって変わったんだ。君だって変わっちゃいけないわけじゃない」
開いてみろと言われた気がして、文集を開いてみる。ヘタクソな文字で書かれた俺の拙い、文章にも満たないような作文は、それでもしっかりとした痕跡を残していた。
かぞくのこと。
そりゃあ、兄貴だって喜ぶに決まってる。ずっと忘れていた。
俺がいつ殺人鬼になったのかもう思い出せないのと同じで。確かにこのころ持っていた心を、いつから見失ったのかも俺には。
「か、はは。傑作だな」
こんなころが俺にもあったのかよ。と、呟いた。信じられないし、馬鹿みたいだと思った。
「こんなんが、俺のハジメかよ」
「そうだよ。君は一周回って、元に戻って来たんだよ」
長旅、お疲れ様。
と、欠陥製品は軽く俺の肩に触れた。
◆
「自分のこと、認めてやって」
と、そんなことを口にした。零崎は大きく目を見開いている。しばらくしてその深淵よりも紅い瞳から、ひとしずく、なんの歪みも濁りもない涙がこぼれ落ちた。
ぼくは言葉もなく、彼の細い肩を抱いた。壊れ物のようだと、ふと思った。
零崎の行動原理は昔からわけがわからなくて、一見してみると軸が通っているのに、通してみるとてんで何も繋がっていない。それが零崎人識という人物のアイデンティティだとぼくはずっと思っていたし、これからも変わることがないだろうと思っていた。
だけど、それはあくまで「ぼくの知るところの人間失格である」零崎人識で。ぼくが請負人として少しずつ「欠陥」を埋めていったように、彼もまた一進一退しながら、成長してきた。
「俺はさ、欠陥」
「うん」
「あのクソ兄貴と同じくらいの年になったら、今まで見えてなかったもんとか見えるように何のかなって思ってたんだよ。けどよ、全然違った。兄貴が見てたのは兄貴の視点から見た世界でさ、俺の見ているもんなんて昔と何ら変わりはしないんだよ。そんなんでさ、こんな、今も昔も死にたい気分抱えたまんまでさ、この先どーやって俺は生きていくんだろうな」
傑作だぜ、と零崎はもごもごとした声色で呟いた。
ぼくは、馬鹿だなあ、と一言だけいって、すっかり伸びて黒い地毛になった髪を梳いた。
「無理して変わることなんてないだろ。君がしなきゃいけないのは君自身のレールの上を歩くことで、お兄さんのレールを歩くことじゃないし」
願わくば、そのレールのすぐ隣を僕にも歩ませてほしい、だなんて。そんな戯言めいたことを僕は考えているわけなのだけれど。
いつだったか、そう、零崎と出会った五月の日。零崎は自嘲気味に微笑んで、自分の道は他人に敷かれてそれ以外見えなくなった、選択肢を失ったレールみたいなものだと、そんな感じのことを話した。
誰だって、誰がしかの、何がしかの恣意の間に生きている。
「じゃあ、さあ」
零崎はぼくの手をはねのけて、真正面に向き合う。
「俺の傍にいてくれよ、戯言遣い」
俺の隣で、俺のレールの添え木になってくれよ。正しいところに何か導いてくれなくていいから、俺が俺でいられるように傍にいてくれよ。
と、息を継ぐまもなく、零崎は言い切った。
ぼくは頭の中でその言葉を反芻する。わあっと、身体中にじんわりとした熱を覚えた。
「もちろん」
うまい言葉が見つからなくて、そういって零崎をまた引き寄せる。言葉にならないだなんて、戯言遣い失格もいいところで、だけど封じ込めた零崎の体温が温かかったからそれもどうでもよくなった。
零崎の手から、書類袋が落ちた。思い出で埋まったその服をは、とさりと軽い音を立ててソファの上の落ちた。
「君の心も居場所も、君自身のものなんだから。……おかえり」
「…………ただいま」
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