■年の差パラレル 3

□夏 名残り
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 今年(07年)の夏は本当に本当に暑い夏だった。短いだろうと見込まれていた梅雨が、ちょっぴり長引いたその上、あちこちに甚大な被害を出すほど降ったりし。しかもそのまま、肌寒さが尾を引いたので。長期予報を裏切って、そんなに暑くはならないんじゃあと、しきりに囁かれた七月が立ち去ったその途端。一気に気温は下がることを忘れての急上昇。結果としては予報官の面目躍如、いやいやそれをも上回り、40℃以上という最高気温の記録も難なく更新したほどに、文字通りの“記録的な”猛暑酷暑の夏になった。

 「それまでの
  記録を持ってた山形の人たちが、
  インタビューされて
  ちょっと口惜しそうにしてたのは
  笑えたがな。」

 「そうそう。
  教科書とかの記載が
  変わるらしいからな。」

 「山形にも頑張ってほしいですねとか
  言ってる人がいたけど、
  何をどうやって頑張るんだろか。」

 ゆく夏を惜しんで、というよりも、明日から新学期が始まるのだというところからの話題逃れ。彼らには少々不似合いな、そんなことをば口にしつつ、ぞろぞろと部室までの道中を運ぶは、それぞれがなかなかに鍛えられたる体躯をした、若々しい盛りの男衆の群れ。まだ陽は高い方だけれど、それでも時刻は夕方のそれであり、ほんの昨日、合宿先から戻ったばかりという身なので、今日のところは、こっちの気候への体慣らしで終しまいというメニューを消化したのみ。当番がボールだのトレーニング用の器具だのを片付けているのを見やりつつ、さて自分も引き上げるかと、ベンチからスポーツバッグを掴み上げ、長い肩紐をよいせと引っかけたところで、

 「…よぉ。」

 気配に気づいて視線を上げると同時、少々表情が固まってしまう。汗まみれの砂まみれという、ちょいと汚れた恰好のこちらとは大違い。さらさらとしていて汗ひとつかいてはないだろう、真っ白いお肌のお嬢さんが。鎖骨もあらわになった胸元に、やわらかなシャーリングの寄った、いかにも涼しげな裾出しオーバータイプのデザインブラウスと、バミューダパンツという軽快ないで立ちにて、淡い色合いの髪を少しだけ涼しい風に揺らして立っており。

 「まだまだ暑いのに、
  凄っごいわね。」

 本格的なスポーツのトレーニングを、この炎天下にこなしているなんてと、スタミナにか気構えにか、感心して見せる彼女へと、

「高校球児なんざ、
 もっと凄げぇじゃんよ。」

 苦笑つきで言い返せば、まぁねと即妙にも微笑い返して下さる。賊徒大学アメフト部の、今はまだ一回生ではあるけれど、実質的には主将も同じ、そんな葉柱ルイさんへと気さくにお声をかけて来たお嬢さん。この春にひょんなことから知り合った、短大生のヨウコさんというお人で、

 「ヨウちゃんは?」

 いつだって この彼とワンセットでいるのがデフォルトだと言わんばかりのお言いようへ、ふんと鼻を鳴らすと、

「今日は来てねぇよ。
 戻ったばかりだから
 遅寝するって言ってたし、
 午後からは親父さんと
 出掛ける約束があるとか言ってた。」

「あら、そう。」

 楽しそうにくすすと笑ったのは、ぶっきらぼうな葉柱の言いようへか、それとも。今日はお父さんに坊やを奪られたんだと、事情が通じていればこそ、冷やかしたかったからなのか。

 「夏休み、
  あんまり構って
  くれなかったわね。」

 「仕方なかろ。
  合宿に行ったんだ。」

 「ヨウちゃんも連れて、ね。」

 「…まあな。」

 正直、ついてくるとは思わなかった。だって、あんなドラマチックなことがあったのだから。足掛け7年振り。妖一がまだまだ物心付くかつかないかというほど幼かった頃に、ふっとその姿をくらましたそのまま、何の音沙汰もないままだった父上が、やっぱり前触れもないままに家族の元へと戻って来たのが、この七月の終盤頃のことで。

 『どこで何してたか。
  一切 話さねぇんだよな、
  これが。』

 相変わらずの一丁前に腕を組み、鹿爪らしくも感慨深いお顔をして見せる坊やであり、とはいえ、

『訊きほじったのか?』
『…そんなこと、しねぇもん。』

 子供じゃねぇんだ、そうそう“なんでなんで”と訊きゃしない。そんな言い方をしてはいたが、

 “もしかして…。”

 あまり問い詰めると、困ってのその末、またぞろ失踪しやしないかと、あの子なりに恐れていたのかも。あんな性分だからして、またぞろすぐにでもどっか行くんじゃなかろうか、家へは居着かないのではないかなんて言ってはいたが、

“それを平気とは、
 さすがに思ってないってトコだろな。”

 何の不思議もない当たり前のこととして、ずっと一緒にいたのなら、親なんて鬱陶しいばかりだなんて思い始める年頃だろが。坊やの場合はその前提からして大きく違う。声や姿を忘れてもおかしかないほど逢えないでいたものが、やっと戻って来てくれたのだ。逆に離れがたいと思うことだろし、

 “それに、
  結構“子煩悩”そうな
  人だったしな。”

 それでなくたって、あんなに愛らしい坊やなのだ。言うことがいちいちおマセではあるが、しっかりしなきゃあと張り詰めてた懸命さからの裏返しだと、そのくらいはすぐさま気がつきそうな。繊細なことへもよくよく通じていての、聡明そうなお人だったし。だとすれば、

 “坊主のストライクゾーン、
  ど真ん中じゃねぇかよな。”

 坊やの周囲にいる大人の知り合い。葉柱とて、その全員をまでは網羅してないけれど、そのどのお人にも共通するのが、懐ろの深さ、許容の広さであり。やんちゃであろうが、専門分野へ偏っていようが、どの御仁も無茶苦茶に振り回すようなことはしないし、ゴリ押しや無理強いもしない。そのくせ、どんな我儘へも苦笑混じりに付き合ってやるぞという人々でもあるらしく。だからこそ、早く大人になりたい坊やにしてみれば、そんな彼らへいかに凭れないでいられるかが、大人への証明になりもしたのだろうと思わせて。

 ― 頼もしいまでの自立と、
   それを礎にした、
   他者への分厚い寛容と。

 それらを備えていてこそ“大人”だとするのなら。破天荒だの落ち着かないだの罵ったそのくせ、その要素、やっぱり持ち合わせていた父上を、知己の大人たちの上へ重ねていた妖一くんだったらしいと、葉柱にも今更ながらに偲ばれて。

 “だとしたら…。”

 やっぱ俺じゃあまだまだ追っつかねぇよなと、セットが少々乱れてた黒髪を、大きな手でかしかしと掻いてみせる。まだあまり面と向かって逢ってもないのに、そこまでのお人と悟らせたほどのお方と、まだまだ青二才な自分とが、肩を並べようだなんて滸がましいのは百も承知だが、あまりに間近いところに現れたこととそれから、自分と彼とを比較する立場にあるのが、あの坊やだってこと。それがどうにも、悩ましくてしようがないらしい葉柱で。

 「…あのさ。」

 不意に黙り込んでしまった葉柱の、そんな内面の葛藤、どう読み取ったものなのか。こちらさんもまた坊やに似ている容姿なものの、ちょっぴり目許がやわらかく、その分、与くみしやすい気性を匂わせるヨウコさん。かけた声へと結構あっさり、こっちを向いた葉柱へ、

「えと…。」

 その眼差しを…ちらりと泳がせたのは、言ったものかどうしようかと、この期に及んで迷ったせいだが。とはいえ、一旦 口にしておいて、でも引っ込めるのも何だしと、今度は自分への失笑を噛みしめながら言葉にしたのが、

 「ヨウちゃんが
  葉柱くんへ凭れないのは、
  対等でいたいからだと思うよ?」

 「あ?」

 だからさ、と。今度はやんわり、淡い色合いの玻璃玉みたいな瞳の据わった目許を細めて、

 「ヨウちゃんの顔を見ちゃあ、
  何か言いたそうな顔しては
  溜息ついたり、
  してたんでしょ?」

 「う…。」

 誰がそんなコトしてっかよ、見てもないのに勝手なことをだな。誤魔化してもダメ、ヨウちゃんが言ってたもん。

 「あのね。
  合宿で自分がいない間、
  お父さんが勝手しないようにって、
  お母さんやあたしとか
  阿含とか雲水とかと一緒のところを
  写メで撮って、
  ヨウちゃんの携帯へって
  毎日送らせてたのよ、あの子。」

 「あ。」

 そか、そういうことをしとったんか。やっぱ不安ではあったらしいのなと、改めて感じ入っているところへ、

 「心配してたよ?
  夏バテかなって。」

 「…。」

 「勿論、
  そんなのとは違うんでしょ?」

 「………。」

 お父さんの動向が微妙に心配ではありながらも、本人は葉柱の合宿先へついて来た妖一。目を離すとどこ行くか判らない父上よりも、手放しでは置いとけないと思われてるってことじゃんよと。それもまたチクリと来たけれど、

「だから、さ。」

 何かしら吐露してくれそうな葉柱だとあって。声にはしないまま、それでも“うんうん”と頷いての、そんな態度でヨウコさんが促せば、

「あいつ、
 何かコトを起こそうって時には、
 阿含へ声かけてるじゃねぇか。」

「………はい?」



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