■年の差パラレル 3
□忘れたくとも思い出せない、ジレンマがトラウマになる前に…
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静かでシックな店内へは、絶妙な配置になった幾つもの大窓から、直射日光ではなくの柔らかな余光がたくさん取り入れられていて。漆喰壁の褪めた白を引きしめているのは、柱や窓枠や床板のみならず、テーブルやベンチタイプの椅子、カウンターなどなどという調度までをそれで統一した、深みのあるチャコールの濃色。
白と焦茶のみという、殺風景なほど他の色彩がない中にあって、窓辺に据えられた鉢植えのベンジャミナの緑が何とも清々しく映えている。モーニングの時間帯からそろそろランチの時間帯へ移行しようかという頃合いだったが、学生層が夏休みに入ったせいなのか客の姿はまばらで。4人掛けだろうボックス席に、ちょこりと小さな子供が一人で座っていても、ギャルソンのお兄さんは何とも言わずにおいててくれている。
常からも客にこびるような空気や色合いはない、どんなに閑散としていても逼迫した雰囲気はしない、何とも淡々としたコーヒーショップであり。何でも、定年前に脱サラした壮年の店主が暇つぶしにコーヒーを淹れたいがため、開いているような店だからとは、いつだったか たった一人の従業員であるギャルソンのお兄さんから聞いた話。そんなお店であるがための、いかにも流行らぬ静かさをありがたいと思うような客層しか来ない中、まだ小学生だろう小さな男の子が贔屓にしているというのも、これまたなかなか異色なことだったが、
“…遅っせぇなあ。”
何もいきなり飛び込みで入ったのが切っ掛けだという訳ではない。彼を此処へと連れて来た“先達”がいたことから、出入りするようになった店であり。
今日はその“先達”さんつながりの誰かさんとの待ち合わせを構えている坊やだってのに、オーダーした冷たい豆乳オーレがグラスの半分になっても、肝心な相手は姿を見せず。自分との待ち合わせに遅れたことが一度もなかった相手なだけに、どうしたんだろかと街路へ向いた窓やドアの方ばかりをしきりと眺めやってた坊やだったのだが、
「…妖一くん。」
清潔そうな白いシャツに黒のベストとパンツという“ギャルソン風”ボーイ服を着たその上へ、縦に長くてシンプルな、深緑のエプロンを首からかけたお兄さんが、坊やのいるテーブルの傍らまでやって来て、
「今、阿含から電話があってね。
行けなくなったって
伝えてくれって。」
「え〜〜〜?」
何だよそれと、いかにも不満そうなお顔になったのは、此処で逢おうと指定したのが向こうだったから。馴染みとはいえ、このところの日頃の生活圏からは微妙にちょいと方向が逸れる場所だったので、
“ルイに
午前は行けなくなったって
わざわざ連絡入れたのに。”
そりゃさ、メール入れたのはこっちからで、しかもいきなりだったけど。じゃあ此処で待っててって返事を寄越したくせによ〜〜〜、と。口許きりりと引き絞り、一体どうしてくれようかと綺麗な額へ青筋立てかかった坊やだったのだけれども、
「そいでね?
ウチのオムライス、
奢るからって。
食べてくでしょ?」
「あ、うんっ!
食べるっ!」
通っていた大学では学園祭の美青年大会の通年チャンプだったという噂もある、このギャルソンのお兄さんの、それはそれは優しげな笑顔とそれから。メニューには載ってないけれど、マスターが趣味でボチボチとレパートリーを増やしつつある、洋食やグリル料理のあれこれと。それが、この店の常連たちの秘やかなお目当てでもあって。
「マスター、
オムライスも作るんだ。」
「うん。
先月あたりからやっと、
玉子でご飯を
巻けるようになってね。」
拙い成長っぷりをくすすと微笑ったお兄さんへ、こちらもお取っときの笑顔で応酬しての、さっきまでの不機嫌もどこへやら。やったやったとはしゃぐところは、やっぱり子供の無邪気さがちらり。そんな坊やの傍らに居続けのお兄さんだったが、彼らがいた席から望めるお外の通りを、小さめのバスが通ったのを見やると。
あれれ、もうそんな時間かと呟いて。中腰になっていた身を起こすと、こちらも小粋な格子戸風ながらも、ガラスの嵌まったドアへと向かう。厨房に通じているカウンターに声を掛け、かららんとドアの上、小さなカウベルがついているのを鳴らして外へ。しばらくすると、その腕へ小さな男の子を抱えて戻って来、
「…っ、ヨーイチ。」
こっちを目ざとく見つけての、名指しをしてくれた男の子。妖一坊やよりずんと小さい、三つか四つか。黄色い帽子に、半袖のオーバーシャツと半ズボンというカッコなところを見ると、幼稚園だか保育園だかから帰って来たらしかったものの、
「あれ? まだ夏休みじゃないの?」
坊やを抱えたまま当然のようにこちらへと戻って来たお兄さんへ訊けば、
「うん。何か、先生方の研究ってのかな。幼児の団体行動における何とかかんとかってののデータを取りたいって、付属の大学の先生から依頼があったらしくって。」
そいで今日まで、通園させられてたんだよねぇと。抱えて来た男の子へ話しかけ、足元へと降ろしてやれば。そのままトコトコ歩んだ坊やは、少し大きいお兄ちゃんになる妖一くんのお隣りへ、よいちょとよじ登るようにして腰掛けてしまい、
「お。自分で登れるか。」
こないだまでは出来なかったのにと笑ったお兄さんへ、うんと頷いて見せる可愛らしい男の子。そんな三人が固まっている場へと、
「待たせたの。」
深みのあるお声と共に、焼いた玉子の甘くて香ばしい匂いとケチャップの匂いがやって来た。唯一のギャルソンさんが此処にいた以上、勝手にトレイが飛んで来るはずもなく、
「あ、すみません。
油売ってしまってて。」
「いいさ。
他に客人がおるでなし。」
どこぞの学者さんでもあったのだろかと思わせる、泰然とした落ち着きっぷりが渋いとばかり、女子高生から秘かに人気の、オーナーシェフことマスターが直々、出来立てのオムライスを二人分、運んで来て下さって。ミネラルウォーターの入ったガラスの水差しとグラス、スプーンにサラダ用のフォークをそれぞれの前へと並べて下さる。ごゆっくりと言い残して去ったマスターの、後ろへ束ねた髪を垂らした広い背中を見送って…さて。
「今更訊くのも何だけど。
ウチの子も此処で
食べさせていいかな?」
「いいよvv」
この尖んがり坊やがここまで機嫌がいいなんて滅多にあるこっちゃないぞと、彼を知る方々が唖然としちゃうんじゃないかというほどの上機嫌。何たってこちら様の小さな坊やは、染めてもないのに金の髪した色白の男の子で、妖一坊やとどこか似ており。それもそのはず、
「そうそう。
ヨウコちゃんが
こっちに出て来てたよ?」
「おや。
そんな話、届いてないけれどもね。」
小さな坊やのお口へと、ふわとろの玉子とケチャップライスとをスプーンに乗っけては運び、手際よく食べさせてやっているお兄さんが、妖一くんからのお話へかっくりこと小首を傾げて見せる。
「そっか。
シチ兄にも話してないのか。」
何でそんな水臭いことしてるのかなあと、怪訝そうな声を出しつつも、今はいっかと美味しいオムライスの攻略に集中することにした妖一坊や。ヨウコという名前だけで話が通じている、こちらのギャルソンのお兄さんもまた、金髪に玻璃玉のような瞳というところが妖一坊やとそりゃあよく似ており。それもその筈、実は血縁同士であるらしく。
「何だったら
ヨウコちゃんも連れておいでよ。」
「うん。いつかね。」
まぐまぐとオムライスを幸せそうに頬張るお顔が、何とも言えず可愛らしくて。
“ヨウイチロウも、
とっとと帰ってくりゃ
いいのにねぇ。”
我が子の一番可愛い盛りを見守らなくてどうするかと、失踪してもう随分になる誰かさんのこと、ついつい切ない気分で思い起こしてしまっていたりする、茶房“もののふ”の七郎お兄さんだったりするのである。