オトメイト

□2人きりの時間
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彼にそういわれて、記憶を辿り、ついこの間の出来事を思い出した。

それは恋人同士なのだから二人でいる時間には【様】を付けないでほしいと言われた事。

そして、恥ずかしげに
【一さん】と呼んだ彼女を見て彼の笑みがいつも以上に嬉しさを秘めていた時を思い出す。

「あ……」
「千鶴。今はこの部屋に俺とおまえの二人だけだ。だから、呼んでくれないか。おまえの声で、俺の名を」

ぎゅっと握られた手。
そして近い距離にドキドキを隠せない。

立場を考えれば、決して抱いてはならぬ感情だということも互いに理解している。だが、その気持ちとは反対に惹かれ合い恋情が芽生えていった。この気持ちを止める術を彼らは知らないから。今、この微かな時でも二人きりの時間はただの恋人として過ごすことができれば、と願う。


「……一さん」
「ああ。それでいい」



「それじゃあ、私はこれから用事があるので、そろそろ戻りますね」
その言葉を聞き、彼女がこの部屋に来てから時が随分と経過していた事に気がつく。
「引き止めて悪かったな」
「いえ、一さんは気にしないでください」
柔らかい笑顔を添えて微笑むと「そうか…」と納得してないみたいにぽつりと呟いた。
ドアノブに手を掛け、何かを思い出した様に千鶴が声を漏す。
「どうしたのだ?」
一がそう問うと千鶴は振り向いてこう言う。
「一さん、おはようございます。まだ、ちゃんと言っていなかったので……」

千鶴はそれだけ言うとパタ、とドアを閉めて仕事場に戻っていった。

「……あれは反則ではないのか?」
彼女が去って、部屋に残された彼の口からぼそっと紡がれたその言葉はこの広い部屋に消えていく。
残された一は口元に手をあて、顔が赤くなるのを感じた。


彼女から彼への言葉一つ一つや仕草でさえも、全てが幸福に繋がり心を満たしていくのを彼は感じる。
それは、彼女に出会うまで知らなかった感情。


これは、些細な幸せを感じた早朝の出来事だった。


END
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