日和

□厭な夢
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大きな梁が見える。むき出しで、樹皮がついたままの梁は黒くて、鱗状の表面はまるで巨大な蛇のようだった。
曽良は身を起こす。白い布団の上。

縁側は近い。逆側の襖は開いている。
田の字型の四部屋、仕切る襖は全て開いている。
口だ。仕切りがなければ口だ。
ならば喰われたか。何に。
この空間は広すぎる。一人でいるには広すぎる。

一人。

否、一人ではないはずだ。
立ち上がる。
雨戸を開けない事には。ここは暗すぎる。
寝間着のまま隣りの部屋へ行く。否今は広い広いひと部屋だけれども。
雨戸に手をかける。
押し開ければ何年も開けられていないような酷い軋みと共に雨戸は開かれる。
磯臭い。絶壁の下には灰色の海が白い泡を立てている。
見下ろせばいつでも飛び降りる事ができそうだった。
それは出来のいい水墨画が意思をもち、うねり、波打っているようにも見えた。
絵に飛び込んで死ぬ事はあるまいよ、曽良はそう思ったが海は確かにそこにあった。
それが絶壁の下の海水なのか断崖と波を上から描いた絵なのかはついぞわからなかった。

さして明るくならなかった部屋に戻る。
床の間の掛け軸は真っ白で何か描かれた様子もない。

縁側の猫間障子の擦り上げを開ける。
打って変わって明るくなった。庭が見える。
障子を開く。縁側に出るといつものように腰を下ろした。
否、いつもと違う。隣りが寂しい。


溜め息をひとつ。

下駄を履くとカラコロと音を立てながら庭の隅にある溝のあたりに近寄り屈みこむ。
溝というより小川だ。外の水田に繋がっているので絶えず透明な水が流れ続けている。

ぽとり、くるくる。

あぁ、目に痛いほどの青紫。
寸分の狂いもない五角形。
流れて来たのは桔梗の花。

ぽとり、くるくる。

曽良は立ち上がる。視線を横に移す。
「芭蕉さん」
納屋の方を見遣る。粗末な小屋の壁に開けた格子窓から細い腕がにゅうと出ている。

「芭蕉さん」

腕は壁際に咲いていた桔梗の花をぷつりと摘み採り、壊れ物を扱うようにそっと運ぶ。
まるで横に滑るような動き。
そのまま納屋の脇を通る溝まで滑ると

ぽとり、くるくる。


流れてくる桔梗の花。
曽良の足元を横切るが曽良はそれを目で追おうともしない。

ぽとり、くるくる。

次から次へと桔梗は流れてくる。
「芭蕉さん」

ぽとり、くるくる。

格子窓は曽良の脛ほどの高さの位置にある。
その異様に低い窓から肩から先、二の腕から指先までが生えている。
納屋の入口は塗り固めてあった。
「そこは隙間なくあなたで満ちている」

ぽとり、くるくる。

桔梗の花が流れて行く。
「僕はそれが羨ましい」

ぽとり、くるくる。

桔梗が流れる。

これはあなたの眼球。

ぽとり、くるくる。

桔梗の花。
あなたの耳

ぽとり、くるくる。

桔梗、あなたの鼻

ぽとり、くるくる。

桔梗あなたの足

ぽとり、くるくる。

あなたの首

ぽとり、くるくる

あなたの、心臓


ぽとり。


あなたの腕が落ちたら、おしまい。
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