日和

□【二万打】花を散らすと見る夢は
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ぼちゃん。
乱暴に投げ入れられた拳大の石。
や、水中で発した声は泡になってきらきら光る水面にのぼる。
光の差す水面がまた大きな音を立てて弾ぜた。
鱗を掠め、それは池底に沈んで行く。
乱れた波紋に細切れにされた光が鱗を鈍い銀に光らせた。
竹中は思わず水面に顔を出す。そのすぐそばに水飛沫をあげて石が落下する。
「驚いたわけじゃない。ただ少し石が大きくないか?」
「なんだ生きていたか」
三白眼の気怠げな青年。割と長身だが膝を抱えて小さくなっている。
傍らには先ほど投げ入れられたのと同じくらいの石がこんもりと積まれている。
何のため、と訊くまでもない。竹中を狙撃していたのは彼だ。
ぽんぽんと手の中で石を投げて弄ぶと再び投躑する。また派手に飛沫が上がった。
細腕の割に結構力は強いのか、などと竹中は思う。
「遊びたいのかい、馬子」
「真逆」
無表情のまま馬子は答えた。
「世間知らずの魚人に教育してやろうと思ってな」
竹中は首を傾げた。
「世間知らずか?」
「井の中の蛙ならぬ池の中の魚だな、お前は」
むっ、と竹中は顔をしかめた。
池の縁に手をかけると竹中は水からあがった。尾鰭からぽたぽた落ちる雫が草の上ではねるのを、馬子は実につまらなさそうな眼で見ている。
実際見ていてもつまらないだろうに。竹中は思うが口にはしない。
そう言ってしまえば馬子は目を逸してしまうだろう。
いくらつまらなさそうな目をしていても、好きじゃないものを好き好んで眺めるほど馬子は大人ではないことを竹中は知っていた。
そして目付きは蘇我の血だから仕方ない。
「池の外に出たぞ」
「だからお前は馬鹿なんだ」
馬子は今度は尾鰭の先を眺めている。
「そうか?」
「豊日に男童が生まれた」
「………?」
唐突な言葉に竹中は馬子の方に顔を向ける。
不意に馬子と目があった。馬子が目を逸らそうとしてタイミングを外した事など竹中には知る由もない。
「豊日に?」
「ああ」
「男の子が?」
「ああ」
「犬の子か?」
「いくら犬好きでもそれはない、多分」
「人間の子か?」
「多分、な」
「名前は」
「厩戸」
そこまで言うと、馬子はおかしなタイミングで目線を逸らした。
「なんて顔だ」
「?」
「そんなに嬉しいか、魚」

おかしな事を言うと竹中は首を傾げる。
「嬉しいさ、決まってるだろう!」
馬子は嬉しくないか、と問えば無表情だったその口許が僅かに歪む。
苦々しいような顔。
竹中が表情を覗きこめば、更に顔を逸らされる。
「馬子」
嬉しげに名を呼ぶ。
すると返事のかわりに拳が返ってきた。
こちらを見もしないで突き出された拳は軽く頭を傾けただけで狙いを外す。
「怒ってるのかい?」
「何故」
「殴ろうとした」
「お前がうっとおしいからだ」
「豊日の子が嬉しくないのかい?」
馬子は答えない。
「嬉しいね、馬子」
馬子はやはり答えない。竹中はふふふ、と声にして笑った。
「………帰る」
馬子は立ち上がった。竹中の目がそれを追う。
「帰るのか」
「お前と違って私は忙しいからな」
冷ややかな視線と声が落ちて来た。
「そうか」
竹中はまた笑う。
馬子は顔を上げた。
鉄仮面。幼い頃から変わらない。
聡明な彼は最近冷酷だとか悪性だとかあんまりな言い種で評されるようになった。
その認識に竹中は首を傾げるばかりである。
「ねぇ馬子」
「なんだ」
「ありがとう」
「……都に棲んでいる癖に朝廷の大事も知らないなど許されたことじゃないぞ」
「うん、ありがとう」
豊日の子かぁ…と竹中は感慨深く呟いた。
足早に去って行く馬子の背に、竹中は手を振る。

次に彼が『朝廷の大事』を運んで来るのはいつになるだろうか。
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