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月夜の下、町はひっそりと静まり返っている。しかしそれはただの静寂ではなく、生活する人々の息遣いを感じさせるものであった。

「くっそー! 放せぇええ!」
「こら! 静かにしないか!」

武蔵が時々騒いだりするが、山中からここまで特に問題なくやって来てしまった。というより、しっかり守られている。

暴れる武蔵と兵士が揉める声を背に、ルカは前方を見上げた。今はシルエットでしか見えないが、そこには城があるのだ。

「あの…本当に良いんですか? こんな夜更けにお邪魔して」
「構う事はない。第一貴殿のように無防備な者をあのような山中に放置する訳にも行かぬ」

前を行く武将に改めて問う。彼はあっさり案内してくれているが、戦国の世でなくともこの時間の訪問は失礼だろう。
そう思ったのだが、明るくあしらわれてしまった。

「えぇっと…ありがとうございます」
「なに、貴殿はあの不届き者を捕まえてくれたからな! それに…我らは姫様のお言いつけ通りにしたまで…」
「え? 何ですか?」

今、何か聞き逃してはいけない事を言っていた気がする。
だが、聞き直しても彼は教えてくれず、代わりにとばかり、松明を掲げた。

下からする水音に気付いて良く良く見れば、すぐ前に堀が横たわっており、そこに小さな橋が架けられていた。
堀の向こうには人が一人やっとくぐれる程度の戸があり、顔を覗かせた見張りの兵士がこちらに気づくと、同じように松明で橋を照らしてくれる。

「この橋を越えれば城はすぐ。足元に気をつけて渡るのだぞ」
「あ…はい」

ゆっくり先導されながらルカはそっと橋を渡る。現代なら手すりの一つも付いているだろうが、やはりここにはそんなもの存在しない。
暗くて良く見えない上、踏みしめた木が軋む度にビクビクして進むので、ルカより後ろは結構な勢いで列が詰まり始めている。
案の定、待ちきれなくなった武蔵が文句を言い出した。

「ルカ〜、お前遅いぞっ?」
「うっ、ごめん。だけど良く見えないんだもの」

正面口ではないと言っても、堀の幅や深さは恐らくそう変わらない。明かりが届かない為正確な水深は分からないが、長くて小さな橋では心許ないというのが正直なところだ。

武蔵に言い返しながらチラリと堀を見下ろす。
松明の火がわずかに反射して、そこだけ紅く染まって見える。が、それ以外はやはり暗い。
いや、むしろ…黒い。
得体の知れない恐ろしさを覚え、ルカは無理やり水から戸口へと視線を移す。
が、その瞬間視界を何かが横切ったように感じた。

「え!?」

驚いて再び堀を覗く。すると今度こそ間違いなく、何かがルカの頬をそっと撫でたのが分かった。

「……!」

声にならない悲鳴を上げ、その場に凍りつく。
異変に気付いた何人かが、ルカを見て「あぁ…」とどこか呑気に頷く。

「それは姫様の触手ではないか」
「しょ、触手!?」
「良く出てくるのだ、気にしなくとも危害はない」
「いや、気になりますよ…って、あ…」

そうこうしているうちにルカの身体は大きな黒い手に絡め取られ、宙に掲げられる。
そのまま凄い勢いで移動しだした。

「ええええ!?」

既に遥か後ろになった武将たちが何か言っている。聞き取れなかったが彼らに慌てた様子はなく、どうも雰囲気からして「頑張れ」と応援されているようだった。

「この状況で頑張れるかぁあ!」

身体に巻き付く黒い手は、もちろんルカにも記憶がある。これで一体今までどれだけの人間が生気を吸われ潰されてきた事か。
その光景を思い出し、ルカは蒼白になった。

いっそ気を失った方が楽だ。どこか他人事のように考えつつ、めまぐるしく変わる景色に目をやった。

触手は城の内部を移動中である。どこをどう曲がっているのかさっぱりわからないが、今のところ誰ともれ違う事なく、またルカ自身が放り出されて壁に激突するような自体にも陥っていない。
ただひたすらどこかを目指しているようだ。

「一体どこへ…」
「…………市の部屋に、行くのよ」
「あ、そうなんですか……………え!?」

静かな声が聞こえた。それも、まるで耳元で囁くような音量で。
ルカは恐る恐る後ろを確認する。
誰もいない――いや。

いた。

「ふふ…ご機嫌よう…光色さん」

そこは本来何かが埋まっているはずのない、普通の床である。だというのに黒く染まった床からは触手が伸び、そして今、一人の人間が出現しようとしていた。

長い黒髪が触手と同じように揺れ動く。悲哀を帯びた目がルカをじっとり見上げてきた。

「私は…市…宜しくね…」

ズルリというおかしな音を立てて、市が闇から這い出る。

「…宜しく、お願いします…?」

何だか、蜘蛛の巣にかかった虫にでもなった気分だった。
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