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ルカは警戒心を持っているようで無防備だ。それがこの戦乱の世でどれほど危険な状態なのか、未だに理解していない。
一体どのような環境で育ったらそうなるのか。そう思っていくら調べさせても、彼女の正体は一向に明らかにならない。
正体不明の女を懐に入れるのは危険すぎる。
手をこまねいているうちに、彼女の行く先々で世の行く末を左右する大きな戦が起こり始めた。
それは半兵衛にとって大変重要な事だった。
緻密に計算し、慎重に進めてきた計画が、彼女の一挙一足で覆ってしまう。彼女というほんの僅かな狂いが、大きな歪みになってしまう。
もはや選択肢など無かった。

今、目の前にいる彼女はそんな半兵衛の苛立つ内心などお構い無しで裁縫に熱中しているが。
危うい手つきに見えるが、下手という訳ではないらしい、と繕い終わった服を見て密かに感心する。

ふと、顔を上げたルカの目が半兵衛を見つけて目を丸くした。
先程から部屋の前に居たのに、ようやく気づいたのである。

「ごめん、何か用だった?」
「…いや。通りがかっただけだけれど…少し休んだらどうだい?」

もうかれこれ半日は縫い物をしている。余計な事をするなと言った本人ではあるが、倒れたりされたら今後の伊達との駆け引きに支障が出かねないのである。
半兵衛の提案を受け、ルカが不満そうに頬を膨らませた。

「あなたが休まないなら私も休まないわ」
「君は本当に馬鹿な事しか言わないね」

こちらはルカをこんな状況に陥れている元凶だというのに、彼女はこうして度々半兵衛の身体を気遣う。暢気なことである。

やれやれと肩をすくめてみせるが、彼女は既に手元の服に目を落としている。伊達から連れてきた時も洋装をしていたが、新たに一着作っているのである。それを着て逃げる算段でもするのかと尋ねてみたが、単に動きやすいからだと大真面目に返されて、彼女の行動の全てに裏があると疑うのは時間の無駄だと悟った。
何かに行き詰まったのか布を広げて短く唸り始めたルカ。眉間に皺が寄っている。
半兵衛は仕方なく彼女の部屋に踏み入った。

「…? 半兵衛?」
「動かないように」

少し距離を開けて座る。半兵衛はそのまま、身を横たえた。頭に柔らかな感触がぶつかる。ルカから声にならない悲鳴が上がったが無視した。
ちらりと視線を流した先で、顔を強ばらせた彼女の顔が見えた。

「僕が休まないと君が休まないんだろう」
「ちょ、だからって膝…っ!?」
「動かないように。あと固まりすぎで寝心地が悪い」
「我が儘!」

と文句を言いながら、上では裁縫道具をしまう音がしている。ふわりと体に掛けられたのは、先程繕い終わった上着だろう。
半兵衛はくすりと笑って目を閉じた。
横になって休むのは何日ぶりだろうと記憶を探るが、数えるのも面倒になるほど前の事だったので止めにした。

「ねえ、君は、もしかしたら先の世から来たんじゃないかと思っているんだけど…僕の検討違いかな」

突拍子もない事を言った、と自分でも思っている。しかし彼女は、半兵衛が病におかされている事を知っていた。川中島の戦いに豊臣軍が介入することも、接触したことなどないはずの三成のことも。

ルカの体がピクリと動く。だが、半兵衛に膝を占領されていてはどうせ逃げも隠れも出来はしないのだ。目を閉じたまま悠々と待っていると、小さな声で回答が届いた。

「…そんなようなものだって言ったら…どうするの?」
「そうだね……じゃあ、君は僕がいつ死ぬかも分かるのかな」

また気配が変わったのに気付いて目を開けると、泣きそうに目を潤ませるルカが居て、半兵衛は呆れた。

「何故君がそんな顔をする。僕が死ねば君はこの状況から解放されるんだよ。喜ばしいことじゃないか」
「私は…誰かが死んでくれて良かったなんて、思うような人間にはなりたくない…」
「それは未来の常識? それとも君個人の価値観?」

どちらにしても甘過ぎる考えである。自分が殺されることになっても同じことを言うつもりかと、問い詰めてみたくなる。

「分からない…誰かの死をこんなに身近に感じる事なんて今までなかったもの」
「そう」

危機感の無さはそのせいだと、彼女のその言葉で心の底から納得する。
彼女の目には、今にもこぼれそうなほど涙が溜まっている。半兵衛は見えない振りをして、本当にこのまま少し眠ってしまおうかと瞼を下ろす。

「…たぶん…たぶんだけどね、半兵衛」

泣きそうな声が、まどろみに沈む半兵衛の意識を震わせる。

「小田原の落城は、見れないと思う──」

どうとでも解釈できる彼女のそれはとても残酷な言い回しだと、皮肉に思う自分がいる。その裏で、どこか安心している自分もいる。

「…そう」

頬に落ちてきた雫は、とても温かかった。
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