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しばらく水の中でもがいて顔を出すと、そこはもう京の街の外だった。

少し呆然として辺りを見回すが、幾つもの重い足音が頭上を通り過ぎるのに気付き、咳き込みそうになるのを無理やり飲んだ。
そっと陸に這い上がってみると、鎧武者の集団が通りすぎていく。

そのまま彼らは京が誇る大門に向かった。
門の周辺は人が溢れ出し、大混乱に陥っていて彼らの接近にまだ気づいていない。

水を吸って重くなった服を引きずり、ルカは草蔭からその様子をただ見ていた。
彼らが何軍で、何をしに門に近づいているのか、混乱した頭で考える余裕などない。
そもそも、京が恐ろしい場所になってしまったこの状態を理解することが出来ていないのだから、当たり前だ。

やがて、門から溢れていた人々が鎧集団によって中へ押し戻され始める。

「!」

これから外へ出ようとする波と、押し戻される波、それから逃れようと横に逸れる波。
三方向の波が重なりあい、ぶつかりあい、悲鳴がさらに大きくなる。

「あ…」

足がすくむ。
彼らは、助からない。あのまま京の街に取り残される。
そしてそれが自分の力ではどうしようもないことを、ルカは悟っていた。

門が閉じる。
連鎖する悲痛な叫びに蓋をするように。

ルカの足は自然と動き出していた。
門が完全に締まる頃には全力疾走になっている。

あの武者たちは、京の人々を助けたりしない。あのまま、黒雲がもたらす謎の奇病の餌食にするつもりだろう。見付かればただでは済むまい。

しかし、焦れば焦るほど足がもつれ走りにくくなる。服も水を含んで張り付いてくるのだから当然だ。

「そこにいるのは誰だ!」
「ひっ…」

誰何と同時にルカの横を何かが飛んでいく。地面に落ちる音からして、刃物でまず間違いないだろう。
勿論ルカは止まらなかった。

「誰だと聞いているんだ! 止まれー!」

緊迫した状況だというのにどこか間の抜けた声が耳に届く。
絶対に振り返るものかと心に決めて走り続けるルカだったが、ふと、実はその声に聞き覚えがあるような気がしてスピードを緩めた。
が、あくまで走りながら言葉を返す。

「だ…誰ですか!?」
「だからそれはこちらが聞いて……いや待て、その声…ルカか?」
「あっ…朝倉さん!?」

ルカは止まった。
まじまじと顔を見つめて、何度もまばたきする。ついでに彼に足があるかどうか確認した。

朝倉義景。

彼は市の元に案内してくれた恩人であり、浅井軍で唯一親しくしていた武将だ。
織田が攻めてきた小谷城の戦の中で別れたきり、てっきり長政とともに討たれてしまったのだと思っていたのだが。

驚くばかりのルカに、彼はさらに驚くことを口にした。

「お市様ー! ルカがおりましたぞー!」
「へっ!?」

何故そこでその名が出てくるのだろう。
口を開けたままのルカの前に、黒い触手が現れる。

「わっ…」

襲いかかってくるかとつい身構えたルカに飛び付く華奢な感触。
ふわりと儚げな香りが漂い、懐かしさがこみあげた。

「お市様…!」
「ルカ…ルカ…会いたかった…」

市は泣いていた。つられるようにルカの目からも涙が溢れ落ちる。
なぜか義景まで男泣きしていた。

「探してたよ…ルカ。あのね…市に、力を貸して欲しいの」
「え…?」

涙声で切望する市に、ルカは戸惑う。

「お市様…私、何もできませんよ…? 何の力もないのに…」
「ううん…だって、市には、光が見えるもの…」
「光…」

確か、初めて会った時もそんな風なことを言っていた気がする。
彼女のペースに流されてその時に深く聞き返さなかったのを、ルカは今さらながら後悔した。

「この世の力と違うから…兄さまにも効くわ」
「この、世?」

相変わらず彼女の話は全体が見えない。一言たりとも聞き逃さないよう、ルカは無理やり頭を働かせる。

「私に、本当に力があるんですか?」

市が頷く。

「力がなきゃ…ここには来れないでしょう…?」

『ここ』というのはBASARA世界を指しているのだろう。やはり市は何かを知っているのだ。

「じゃあ、私はその力を使えば元の世界にも帰れるんですか…?」
「だめ…行かないで」
「いえ今すぐではなくて、可能性の話で」
「………………きっと、そうだと思うわ」

とてつもなく悲しそうに言って、彼女はルカの手を取る。

「でも…今は、市に力を貸して…ね?」
「は、はい…私で良ければ」

具体的にどうすれば力になれて、信長をどう阻止するつもりなのかは全く分からない。
だが京を襲っている謎の奇病だけでも何とかせねば。本当に、力があるとするならば。

不安ながら頷いたルカに、市がふわりと微笑む。そして、繋いでいる手を掲げて、祈りの言葉のようなものを呟いた。

「あ…!?」

途端にきた貧血に似た強い脱力感。
耐えきれず、ルカはその場に崩れ落ちた。
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