□7
1ページ/3ページ

芳しい花の香りがどこからかしている。
いや、どこからかというより目の前の美女からしている気がする。

真顔でそんな事を思い、ルカはハッと気づいて目を反らした。
真正面からまるで絵画の鑑賞でもするがごとく、かなり本気で見入っていた。相当に失礼な行為である。

怒られる前に謝ろうと畳に手をつくと、小さく含み笑いのようなものが聞こえてきた。

「…?」
「あら、ごめんなさい」

ちらりと顔を上げると、美女──濃姫は妖艶な笑みを浮かべてそこにいた。
その迫力にどぎまぎしながらルカは頭を下げる。

「いえ、こちらこそ…」
「構わないわよ。私だって今、あなたの事をずっと見ていたのよ?」

え、と改めて濃姫を見ると、彼女は楽しそうに目を細めた。

「くるくる表情が変わって、フフ、可愛いわね。蘭丸くんやお市が気に入ってるのも分かるわ」
「えぇっと…」

これが大人の魅力、いや余裕というものだろうか。対面してからずっとペースを乱されたままである。ルカは曖昧な笑みを返した。

「それで、だけど」
「はい」

笑みを消し、濃姫が口火を切る。ルカも表情を引き締めた。

明智光秀による謀反、いわゆる本能寺の変は織田信長の勝利で終わった。それは既に、この世界での揺るぎない事実である。

今日ルカは、謀反を知らせた者としてこの場に連れてこられた。
本能寺は損傷が酷いので、濃姫たちは別の寺に移っている。案内してくれた蘭丸は事後処理があると言って既に行ってしまった。

部屋に二人きり。しかも彼女とは、倒れた市を挟んでほんのわずかに会話しただけ。
魔王と対峙するよりはましかもしれないが、ルカの緊張はかなり高まっていた。

「まずは、お礼を言わせて頂戴。あなたのおかげでこちらは事前に準備ができたわ」
「…いえ、私は」
「知っていたのでしょう? あの男が謀反を起こすこと」

先回りする形で濃姫が遮った。驚くルカに彼女は続ける。

「上様が…あなたに仰った事、覚えているかしら?」
「あ…」

なにか、不可思議な言葉を投げかけられた気がする。宙を見上げて記憶を掘り起こしてみる。

小谷城で長政が討たれ、ルカの予期する未来が失われた時だ。
胸を突く痛みも同時に思い出し、ルカはうつむいた。

「あの…常ならぬ…ナントカって…」
「…そう。それよ。上様はあなたをこの世の者ではないと仰ったの」

今更意味を知って、ルカは驚いた。

「私はそれを実感した気がするわ。伊予には予言の得意な巫女がいるらしいけど…」
「私は…そういう類の者ではありません。今回の謀反を言い当てたのは偶然だったんだと思うんです」
「…それは、どうして?」

謀反があると蘭丸に告げた時は必死だった。しかし、それからずっと考えていた事がある。
ルカは深呼吸すると、打ち明け始めた。

「私は…確かにこの世界の人間ではありません。でも自分で来ようとした訳ではなくて、原因も何もわかりません」

こんなにはっきりと誰かに話すのは初めてだ。濃姫の反応を窺うと、彼女はやはり、と言いたげに頷きを返してくれた。
その事にほっとして、ルカはまた続ける。

「お市様は行き場のない私を拾ってくれました。そして私は…彼女にどんな未来が待ち受けているのかを知っていました」

迎えた結果と違う、良い方向に変わる可能性は十分にあった。
しかし実際は長政を救えず、市の心は崩壊してしまった。

「だから、あなたあんなに必死で市を守ろうとしていたのね…?」
「…あの時も今回も、私が頑張れば変えられると思ってました…でも違うんです」

未来が変わるとしたら、それはルカの力によるものではない。

「私が知っている未来は、この世界の必然ではなくて、ほんの一部の可能性に過ぎなかったんだって、分かったんです。私には、誰かの未来を変えるなんてすごい力はない…」

濃姫がそれに対して何か言おうとしていたが、ルカは首を振ってそれを止め、再び口を開いた。

「ですから、今回きっと私が何も言わなくても、皆さんはちゃんと勝っていたんでしょう」

そう考えれば、色々と説明がつく。もしかするとただ自分の都合の良い解釈をしただけかもしれないが。
しかしこの事に思い至った時、気持ちが楽になったのは事実。

今見ている道筋が、予め決められていた彼らの運命だった。
もしくはそれを上回る実力で魔王があらがった結果なのだ。

その道筋にルカの行動は含まれない。ルカは歴史を変える側ではなく、あくまで傍観者、力無きその他大勢に区分される側。

「私は何もしていないのと同じなんです」

そう告げると、濃姫は目を細めて何か考えているようだった。


次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ