閃光
□Remedy
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誰もが目まぐるしく働いているというのに、時間ばかりが過ぎて全くと言っていいほどはかどらない。
あれやこれやと指示を出し、報告を受け、次なる指示を伝える。
その繰り返しを一日中しているのに残っている仕事がたくさんある。
梓はため息をつきかけて慌てて飲み込んだ。
佐助も心汰もそれぞれ任務でここ数日間城をあけている。
その為、二人の仕事を自分と他の者とで割り振っているわけだが、常日頃忙しい忙しいと言いながらこの仕事量を完璧にこなす二人の優秀さを改めて実感させられている。
城内外の雑用から始まり、幸村に近い立場だからこそ耳に入ってくる重要機密のとりまとめや交渉事、幸村の世話も勿論入るし、部下や女中たちからの些細な相談などにも答えたりする…とにかく内容が多岐に渡り、その数が半端ないのだ。
「…はぁ」
留守を任された身として、決してため息はつくまいと思っていたのについに出てきてしまって、梓はがくりと肩を落とした。
この数日、無理を言って休みを貰っている診療所からもたくさんの書状が来ている。どれも薬草の調合などに関する質問や確認で、梓と言えどその場ですぐに返事ができる内容ではない。やはり一度戻らねば。
「…二人が居ないと全然駄目ね…」
帰ってきて仕事が溜まっていたら二人に申し訳が立たない。しかし二人がいないとどうにも回らない。今日は特に。
力量の違いを自覚したら、何やら頭がぼうっとしてきた。
色々詰めすぎて、煮えてしまったのだろうか。
はあぁ〜、と彼女らしからぬ大きなため息がまた漏れて、頭を抱える。
そこでふと気づいた。
いや、ようやくというべきだろう。
改めて自分の額に手を当てて、梓は呆然と呟いた。
「うそ…」
そう言えば吐息が妙に熱い。頭も重い。座っているはずなのに視線が揺れて定まらなくなってきた。
そんなまさか、と走る悪寒を無視して立ち上がるも、ふらついて壁に貼り付くだけ。
「………」
どうしよう。
焦りばかりが募って、梓は泣きたくなった。
そして、こんな時に限って会ってはならない人が来てしまうのだ。
どたどたと聞きなれた足音が近づいて、大きな声が頭に響く。
「梓〜!!」
声の主はいわずもがな、である。
彼は壁に寄りかかって固まる梓を発見するや、満面の笑みになる。
が、梓は慌てて手を上げた。
「なりません幸村様!!」
「…む?」
「近付かないでくださいませ!!」
彼が来てしまった以上、この際自分が熱を出していることは認めよう。
そしてこれがもし質の悪い風邪であったりすれば感染者を出すことだけは避けねばならず、幸村に移したなどという最悪の事態を引き起こす訳には絶対いかないのだ。
「な、何故…!?」
梓の必死の思いなどそっちのけで、幸村は真っ青になっておろおろし始めた。
それはもう、見ている方が心配になるほどに。
「な、何か梓の気に障るような事をしたか…っ!?」
「……いえ、そうではなく…駄目です、来ないで…っ」
いきなり拒絶されたので狼狽えているのは分かっているが、梓も弁明する余裕がない。
一進一退で廊下を進む事暫し。
梓は自分の敗北を悟った。平衡感覚を失い、体から力が抜ける。
大きく目を見開いた幸村が一気に距離を詰めてきた。
「だ、め…熱が…移っ…」
最後の抵抗もむなしく、言い終わる頃には幸村の腕がしっかり梓を捕らえていた。
日溜まりの匂いに包まれて、自然と瞼が降りる。
「梓っ…」
誰か、医者――!!
首筋に添えられた、いつもは熱いはずの幸村の手が、冷たく感じられた。
人の気配を察知して、梓の『忍』としての意識が勝手に浮上する。
瞼はまだ重いが、察知した気配が幸村のそれだと認識した瞬間目が冴えた。
「!! ゆき」
「動いてはならぬ」
ぽんと額に冷たいものを乗せられ、視界まで遮られる。
怒ったような声音に、ビクリと体が震えた。
「幸村様…」
「風邪だそうだ。無理に起き上がったりしてはならぬぞ、梓」
「はい…」
大人しく返事をして、そっと手拭いをずらす。
恐る恐る目を開けると、自室に寝かされているようで見慣れた天井が目に入る。
すぐ近くに、神妙な面持ちの幸村が座っていた。
この表情を見るのは久し振りだ。
つまりは、怒っているのである。
「すみません…」
「謝る事などなかろう」
「ですが、あの…」
「済まぬ、梓」
「え…?」
突然頭を下げる幸村。何の謝罪か理解できず、梓はしばらく幸村の顔を眺めてしまった。
睫毛が長いなぁなどと全く関係のない感想まで抱く始末である。
「えっと…幸村様…?」
頭を上げた幸村は真っ直ぐ梓を見つめている。
「具合が悪いのに無理をさせた。気づいてやれなくて済まなかった」
「…幸村様のせいではありません…私の自己管理が行き届かなくて…だから、」
「それは違う。朝から兆候があったのに、あの時気づいてやれなかったせいで、倒れるまで…」
そうだったのか、と梓は言葉を詰まらせる。だが自覚していなかったのだからやはり自己管理の問題だ。
何か言わなくてはと口を開いて、梓はハッと布団を被り直した。
「如何した、辛いのか!?」
「あの…あまり話したりしてもしうつしたらと…」
心配そうに身を乗り出した幸村から逃げるように、また掛け布団を引き上げる。
しかし、伸びてきた手が躊躇いなくそれを阻んだ。
見上げた先に、優しい微笑みがある。
「こういうのは、看病する者にはうつらなかったりするものだ」
「ですが」
「某がそばにいるのが嫌か?」
「そんな事はありません!」
「ならば問題ないではないか」
「〜〜〜っ」
これ以上墓穴を掘ったら熱が上がる一方だ。もう何も言うまいと、梓は口を閉ざす。
そこへ、幸村が質問を重ねてきた。
「梓は確か部屋に自分用の薬があると言っていなかったか? どこにあるのだ? 探して良いか?」
「あ、え、えぇ…っと、そちらの、文箱の横の…」
「これか?」
「包みに何も書いていないのが、熱冷ましで…」
「分かった」
幸村は一つ頷くと、傍らに用意された湯呑みにさっと薬をあけ、湯を注ぎ入れた。
ゆっくりと混ぜる手つきが丁寧かつ新鮮で、思わず見惚れる。
「少し起こすぞ」
「はい…」
そっと抱き起こされ、湯呑みを受け取る。梓が飲み終わるまで、幸村は黙って支え続けてくれた。
その安心感もあってか、先程よりも体が軽い。
「ありがとうございます」
「して欲しい事があれば遠慮せず言うのだぞ、梓」
後ろから抱きすくめられ、見つめあった状態でそんな事を言われても困る。
目を泳がせながら、梓はずっと気になっていた事を聞いてみることにした。
「あの…お仕事なのですが…」
自分が居ないのもそうだが、幸村まで抜けたとなったら政務に支障が出てしまうのは確実。
そう思ったのだが、対する幸村の回答は予想を遥かに超えていた。
「ああ、二人を呼び戻したから、仕事の方は気にせずとも良い」
「は…え!?」
いくら熱があっても二人って誰ですかと聞くほど思考は止まっていない。
しかし、佐助も心汰も、二人にしか出来ないからと本人たちが渋るのを幸村が自ら説得して送り出したというのに、こちらが回らないから戻れなどと、やはり二人に申し訳が立たない。
泣きそうになって堪えていると、幸村がにっこり笑った。
「良いのだ。梓が倒れたと聞けばどうせあの二人、何も手につかなくなるのだからな」
「そんな事…」
佐助は特に、任務となれば公私混同せずにきっちりこなす主義だから、部下が一人倒れたくらいでは動揺などしないだろう。
と、思ったら。
視界の隅でふわりと影が舞って、すぐ人の形になった。
「梓ちゃん大丈夫!? 無理して倒れたら俺様どうしよう〜とか考えてたら本当に倒れたって聞いてとにかく全力で帰って来ちゃったんだけど!! 今お粥作ってあげるからね、ちょっと待っ」
「佐助、煩いぞ」
「……ですよね〜」
幸村にぴしゃりと遮られて、佐助がようやく口を閉ざす。
普段は絶対にあり得ないやり取りに、梓は失笑した。
「ふふっ…佐助さん、心配し過ぎです…っ」
「だ、だってさぁ、俺様も心汰も居ないしで、梓ちゃんが頑張り過ぎて倒れちゃうなんて目に見えてるじゃん〜?」
「分かったから少し落ち着け」
「くっ…真田の大将にそんなこと言われる日がくるなんて…」
心底悔しそうな佐助の背後で新たな気配が近づいてくる。
それでも足音が最小限に抑えられているのが実に真面目な彼らしい。
「梓姉ちゃん大丈夫!? 万が一倒れたりしてたらどうしようって考えてたら――」
「あー心汰、それもう俺様が全部言った」
「は? え、何?」
訳が分からない様子の心汰を、佐助が器用に部屋から連れ出す。
「じゃーお粥作りに行ってくるから、大将から元気分けて貰っといてね梓ちゃん♪」
「えっ…?」
聞き返した時にはもう障子戸が閉まっている。
しん、と静まり返った室内で、梓は自分の体勢を思い出した。
すぐ後ろにいる幸村がふ、と息を吐く。それが耳にかかって、心臓が飛び出しそうなくらい恥ずかしい。
「あ、あ、あの、幸村様…っ」
「…嫌、なのか?」
「!!」
沸騰した。
梓が黙りこくってしまうと、幸村が苦笑いになって静かに寝かせてくれた。
「済まぬ、からかい過ぎた」
「もぅ…」
「だが、わかったろう? 皆、梓が元気でいてくれないと何も出来んのだ。しっかり休んで治してくれ」
「……はい、幸村様」
頭を撫でてくれる優しい手に誘われて、梓はゆっくり目を閉じる。
熱が出ているというのに、幸せな夢が見れそうな気がした。
20121109