閃光
□08
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【関ヶ原の戦い】
「散歩? うん、いいよ」
少し一人になりたいのだ、と告げたら随分とあっさりした回答が返ってきたので、逆にこちらが拍子抜けしそうになった。
途端に、今頷いたばかりの佐助の眉間に深い溝ができる。
「わかってると思うけど、気を抜きすぎたら駄目なんだからね」
「無論!」
「…なら、いいけど」
大きく頷いた幸村を覗き見て、佐助は「少ししたら迎えにいくね」と一応念を押して、忙しそうにそのまま何処かへ去っていく。
その態度にどことなく違和感を覚えつつも、折角の自由時間を満喫する事にした。
夜営地から少し離れ、頼り無げに届く月明かりをしるべに森を歩く。
佐助ほどではないが夜目はきく方だ、と彼自身は思っている。
何しろ、幼い頃に嫌というほど父に夜道へ放り出され、泣きながら帰った記憶がある。
きっと佐助や他の忍が側にいたのだろうと今なら分かるが、当時は一人きりだと思って少しの距離も戸惑ったものだ。
ふ、と笑みが浮かんだところで、幸村は歩みを止めた。あまり皆から離れ過ぎるのは宜しくない。
戦いの熱も冷めやらぬうちに部隊を整え直し、大坂を出発して数日。
もうすぐ、関ヶ原の地に差し掛かる。
古来より、東西を二分する重要な基点となってきた場所だ。
おそらく、いや十中八九この地で開戦となる。
相手は徳川。そして今は伊達もあちら側にいる。
彼らを先頭に、他にも大きな勢力が集まっているようだ。
周りの気配を慎重に探り、誰もいないのを確認して、幸村は立ち並ぶ木々の一つに寄りかかった。
今更ながら、いつか武田屋敷で見た家康の決意の表情が思い起こされる。
あの時は自分の事で手一杯で、彼の言葉を十分に聴く余裕はなかったが、今になってようやく、その覚悟の強さを推し量る事くらいはできるようになった。
「……」
無意識のうちに月へ手を伸ばし、目を閉じる。そうして光を遮ると、森の中が闇に溶けてしまったかのように感じられる。
光も音も、希望も何も、全て飲み込んで。
―――……
いや、しかし。
無音に思えても、耳をすませばそこにはいつだって音がある。
それは命の音色。決して、優しくはない。ただ、生を奏でそこに在り続ける。
そのことに気づいてしまえば、闇色の世界はあっという間に美しい極彩色へと変わるのだ。
深く呼吸すれば、いつの間にか甘い花の香りが鼻腔を擽って、充ち足りた気持ちになってくる。
「……ん……?」
はたと気づいて幸村は閉じていた目を見開いた。
花というのはこのような時間に咲き香るだろうか。
内心少し焦りながら辺りを見渡した幸村の視界を、一瞬、ふわりと藤色の花弁がちらつく。
「!!」
もう、それだけで良かった。
思考が追い付かないまま走り出し、そして現れた華奢な影を迷わず両腕に囲いこむ。
「えっ…」
驚いている声が腕の中からしたが、無視。
艶やかな黒髪を指に絡め、唇を寄せる。切ない想いが溢れて泣きそうになるのを堪え、幸村はいっそう強く抱き締めた。
夢にまで追い求めた愛しい存在が腕の中にある。
「…ゆ、幸、村、さま…?」
ちょっとだけ苦しいです、と苦笑混じりの声が囁いて、優しい指先が幸村の背を撫でる。
漸く少し腕の力を緩めると、彼女は思った通りの微笑みでそこにおさまっていた。
夜目がきいて良かったとこれ程までに思ったのは、これが初めてかもしれない。
「いくらお強いとは言え、お一人では、危ないですよ…?」
ああ、と反射的に頷いたが、幸村は梓を見詰めるので忙しく、実際何を言われたのかよくわかっていなかった。
幸村の視線の熱さにか、梓がぎこちなく俯く。
逃すまいと、今度は額へ口付ける。
「っ…」
ビク、と肩を震わせて梓が顔を上げた。
深くどこまでも澄んだ彼女の大きな瞳が幸村を捉える。
それだけで何かが充たされていく。
なのに、もっと欲しいと願ってしまう。
しかし、これ以上望めばもう止められなくなる。
心の内で葛藤しながら、結局、彼女の頬を撫でるにとどまった。
すると、くすぐったそうに目を細め、梓が肩にもたれかかってきた。
彼女にしては大変珍しい、甘えるようなしぐさに、またどうしようもなく胸がざわつく。
際限なく込み上げてくる久方ぶりの衝動に戸惑いつつ、誤魔化すように口を開いた。
「ひ、一人…では、ござらぬ。そなたが、いるのだから、な…」
それは、先ほどの彼女の言葉への返答。何を言われたのかちゃんと頭で理解するまで、今まで時間がかかってしまった。
ふふ、そうですね、と柔らかく首肯して、梓が笑う。
再び見つめ合うが、互いに言葉を交わそうという空気ではなかった。
ただ、今感じている温もりを手放す気にはなれなくて、それは梓も同じなのだと、きゅっと掴まれた袖に目をやって気付く。
「……梓」
「はい」
「平和とは、戦とは…天下、とは…」
それが、自分にとってどのようなものなのか。
見えない振りをしていただけなのかもしれない。本当は、ずっとこの胸の中に答えがあったのに。
「時が、来たのだな」
「…はい」
こくりと頷いて、梓が続けた。
「私の全てで、幸村様の想いをお守りします」
「……、」
どくん、と心が跳ねる音がした。しかしそれは決して嫌なものではなく、込み上げる嬉しさからくるものだ。
彼女はいつも、欲しいと思う以上の言葉をくれる。
彼女の全てが、自分に立ち上がる力を、そして戦う力をくれる。
「ありがとう……梓」
自分の内で揺らめいていた不安が小さくなっていく。
幸村はまた、梓を強く抱きしめた。