閃光
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【山崎追討戦】
越後の山々は今日も深い雪に閉ざされている。
それが、この地を治める主の心を表しているようで、人々も少なからず覇気を失っていた。
本来ならこんな時、この男が率先して春を運んで歩くのだが、今は大人しく部屋に引き込もっている。
訪問者の気配を感じて、側にいた子猿が鳴き声を上げる。
その頭を優しく撫でて、慶次はようやく目を開けた。
同時に部屋の戸が放たれ、冷気がなだれ込んできだ。
「やあ、かすがちゃん。こんなところまでどうしたんだい?」
白銀に染まる庭がかすむほどの美しい金髪をなびかせ、かすがが怒りの形相で立っている。
笑顔をむけてみたが、やはり返ってきたのは冷ややかな視線だった。
「どうしたじゃない。戻ってきたならなぜ謙信様の元へ報告に来ない!」
「今から行くところだったんだって」
「……本当だろうな」
「本当、本当!!」
全く信用していない顔だが、かすがは一応小言を言うのを止めてくれた。
実際、慶次は昨晩遅くに戻ったばかり。かすがならその足で謙信へ会いに行くだろうが、そんな時間に目通りが許されるのは彼女くらいである。
「そういや、幸村が来てたんだって? ちょうど入れ違いだったな〜」
先程炊事場を覗いた時、女中たちが噂していたのを思い出した。
上杉方からすると、幸村のような気性の武将は物珍しいのだろう。
それに、茶菓子を差し入れたら律儀に礼に来たなどとはしゃいでいた。
ちなみに、慶次もいつも同じ事をしているのだが。
ああ、と頷くかすがの表情に、苦いものが混じっていて、やはり武田に属する者に対して未だにいい感情を持てないらしい。梓は別として。
「せっかく謙信様のお心が落ち着いたと思ったのに、あいつは全く…」
「何、どんな様子だったの?」
信玄が倒れてからすっかり塞ぎこんでいた謙信を、かすがは心底心配していた。
しかし幸村の方が受けた衝撃は大きかったろう。
それぞれ、信玄という存在を大事に思っている者同士。一体どんな言葉を交わしたのか。
興味本意な部分が大半だが、真面目さも漂わせて訊ねてみる。
かすがは面倒そうに慶次を一瞥すると、庭に向き直って腕を組んだ。
「フン…一時のお前ほどではなかったぞ。それに、謙信様が直々にお声をかけられたのだ。いつまでも湿気た顔をされては困る」
「謙信が? そっか、なるほどねぇ…」
日々のほとんどを瞑想に費やしていた彼が動いたのなら、きっと対峙した幸村の中に何かを感じたのだろう。
そう思うと、あの清廉な炎を纏う青年に、無性に会いたくなってくる。
「おい…慶次」
「え、なんだい?」
意識が半分上田の桜に飛びかかっていたのを、冷静な声で呼び戻される。
かすがが盛大なため息をついた。
「お前は…いつまでそんな顔をしているつもりなんだ」
「…手厳しいね、かすがちゃんは」
諸国を巡り、結局謙信の元に仕官という形で居着いてから、越後を離れる事のなかった慶次がこうも覇気がないのには訳がある。
隣国である前田から、利家直々の文が届いたのだ。
『何者かにまつを拐われた。何とか助力を得られないか』と。
しかし、今の慶次は気ままにあちこち出歩ける身分ではない。もう、風来坊ではないのだから。
そう言って足を止めた彼を、謙信は前田へのお使いという名目で送り出した。
だが、あと少しで利家に会うというその寸前で引き返して来てしまった。
「迷っている場合なのか? お前の大事な家族では…っ」
棘のあるかすがの声が途切れる。見ると、彼女は切なげな表情で前方から来る訪問者を見つめていた。
「謙信様…!」
かすがを見つけた謙信が微笑み、途端に辺りが華やいだ空気になる。
珍しさで言えば彼女よりも稀少である。さすがの慶次も驚き、起きあがって出迎えた。
「おはよ、謙信。散歩かい?」
「そんなところです」
上杉に居着いてからの慶次の住まいは、謙信の館から遠い。
ふふふ、と微笑みながら庭に立っている謙信を見て、慶次は首を傾げた。
「けいじ。いまからわたくしと、てあわせしませんか」
「謙信と? ここで?」
「はい」
頷く謙信に全く躊躇がないので、慶次の方が面食らった。
神と称えられる実力を持つこの男が手合わせしたいなどと言い出すのは初めてだったのだ。
「良いよ。やろう」
慶次は頷くと、壁に立て掛けてあった刀をとる。
そのまま、庭に降りた。
庭と言ってもただの空間であり、一人で素振りする程度ならまだしも、二人で手合わせできる十分な広さはない。
互いの距離で言えば背丈もある上、長刀を持つ慶次のほうが有利だが、そんな、誰でもわかるような単純な理屈が通る相手であるはずがない。
謙信が優雅な動作で鍔に指をかける。
「…あ………れ?」
謙信の透き通った眼差しを、相変わらず綺麗だなどとつい考えて、次の瞬間、自身がいつの間にか膝をついているのに気がついた。
さく、と軽く雪を踏み締める音がして振り返る。
「謙信様ぁっ〜!」
「ふふふ」
つい今まで前にいた筈の謙信が、そこでにこやかにかすがの声援に応えていた。
「まだまだですね、けいじ」
「あー…」
これでは手合わせとは言えない。かすがの、謙信に対する好感度が更に増しただけである。
静かに歩み寄ってきた謙信の手がそっと肩を叩いた。
「けいじ。わたくしのかわりに、みとどけてきてくれませんか」
「…」
「ながきにわたるたたかいのよ…こたえをみつけるときがきたのです」
「…謙信、でも」
「わたくしものちほどまいります」
そのまま強い眼差しを向けあう二人。
折れたのはやはり慶次だった。
「…分かった」
「おつかいのほうもですよ」
「はいはいっと」
綺麗な微笑みに、わざと軽い返事をする。
途端、真面目にやれとかすがに睨まれた。