閃光

□03
1ページ/4ページ

【雑賀荘の戦い】

庭に人の気配を感じて、家康は書状から顔を上げた。

「忠勝? まだ起きていたのか」

休むようにと下がらせたのは、ずいぶん前のはずだ。
その証拠に、自身の横に積み重なった書状の量を確かめ、家康は首を捻った。

もっとも、家康とてこの最強の名を欲しいままにする腹心が、いくら命令だからと言って大人しく休んでいるとは思っていない。

「どうした? ワシだってもうさすがに忍に拐われるようなことはないぞ?」

庭に出ながら声を掛けると、忠勝は相変わらずの出で立ちで佇んでいた。
寡黙なこの腹心が何を考えその行動を取るのか、それを言い当てるなど共に生きてきた家康には容易いこと。
視線一つで言わんとしていることを感じ取って、家康はやれやれ、と過保護な部下に苦笑した。

彼だけではない。先程からもう何人も、蝋燭を補充するとか、茶を持ってきたとか、様々な理由をつけては部屋を覗きに来ていた。
そろそろ忠勝を今日最後の訪問者にすべきだろう。

「無理はしてない。本当だ」

手にしたままの書状に目を落とす。
三成は大阪城を再度手に入れた。堅牢な城だ。

とは言え、かつての豊臣軍ほどの勢いは、さすがにない。
それでも、三成の進撃は止まらないだろう。
軍力を蓄え直したらすぐに戦を仕掛けてくるに違いない。

その矛先はやはりまず武田。そして今、自身も含まれているのを家康は自覚していた。

秀吉という大きな柱を失い、憎しみに染まる彼に気づいていながら、武田との開戦を止められなかった責任は自分にもある。
同じ時、同じ場所で同じ主に仕えていた仲間だったのだから。

故に、先日の武田との戦に乱入した。
あのまま三成に復讐を遂げさせてしまったら、あるいは彼が討たれてしまったら、憎しみの連鎖がまた続いてしまうと思ったからだ。

「武田との同盟が成らなかったのは残念だが、今は立ち止まっている時間などないからな。やれることを精一杯やるだけだ」

真田の、強い意志を宿した目。あれに貫かれた時、改めてわかった。

人の心を変える。
その、何と難しいことか。

「もちろん簡単だとは思っていない。けれど、誰かがやらなきゃいけないんだ。そしてそれは…ワシがやる」

忠勝は黙々と耳を傾けている。
もう既に何度も皆に語ったことだが、口にする時はいつも忠勝が側にいて、こうして誰より近くで聞いてくれている。

そしてその都度、自分自身に問いかける。

本当にそれでいいのか。
後悔はないのか。

いや、もしかしたらこれは忠勝から伝わる思いなのかもしれない。
最近はそう思うことにしている。

この思いを越えて、自分が「行く」と言えば、必ず彼も付いて来てくれると、知っているから。

「またお前には大役ばかり押しつけてしまうかもしれないが…」

途中で忠勝が首を振ったので、自然と頬が緩んだ。

「ワシが忠勝の重荷を背負えるよう、もっともっと大きくなるからな!」

かつては、あらゆる覚悟を周りの皆に押しつけて、何一つわかっていなかった。
ただ怯えて、卑怯な手段を戦術と信じて。

信玄に負け、生かされたからこそ、それまでの生き方がどれほどに恥ずべきことだったのか、理解できた。
大将と呼ばれる者がどんな覚悟をしなければならないのか、ようやく知った。

「だから忠勝…あと少し、共に戦ってくれ」

同盟は着々と進められている。
徳川軍の戦力は日の本で一番だと、家康は思っている。

それでも、まだ足りない。

徳川軍を脅威に感じる者がいる限り、戦をなくすことは出来ないのだ。

「世の中を絆で結ぶ…争いのない世をつくるんだ」

人の心を変えるのは難しい。
だが、出来ないことではない。

忠勝が大きく頷きを返した。槍を持ちかえ、一礼すると浮かび上がっていく。

「ワシももう寝る! お前も明日に備えて休むんだぞ!」

届いたかどうか分からないが、家康は夜空にとけていく影にそう叫んだ。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ