閃光
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【瀬戸内陰謀戦】
供養と言うより、この一連の行為は内に渦巻く憎しみを再確認する儀式であった。
淡々と道を進む三成の周りに供は一人もいない。
この神聖なる地を、誰かに踏まれるのを見ると不快感を覚えるからだ。
だから一人でこの道を行く。
この先にある墓標に何度も許しを乞い、復讐の完全を誓う為。
そして亡骸さえ拝むことを許されなかった己の未熟さを呪い、弱い自分を切り捨てる為。
宿願が果たされるまで毎日、何度でも繰り返すつもりでいる。
うつむいていた顔を上げ、三成は目を見開いた。
この神聖な儀式の途中は誰も入れてはならない。特にきつく命じてあるその場所に、あるはずのない人影があったのだ。
女だ。
墓の前に膝をつき、どうやら手を合わせているらしい。
長い黒髪が背で揺れている。淡い藤色の小袖が妙に目を引き付けた。
無言のまま、三成は刀の鍔に指をかける。
あと一歩。それでこの女の首は飛ぶ。
ふつふつと沸くこの怒りをその一撃に全て込めよう。
ふらりと、半ば倒れ込むような姿勢から、女の背に必殺の技を放つべく、彼は重みのある一歩を踏み出す。
「――!」
瞬間、風が吹いた。
それも、剣圧で生まれる激しさはなく、どこまでも柔らかい風。
「な…!」
気付いた時、女の姿は三成の後ろにあった。
三成は踏み込みも完全に終わっておらず、刀はまだ抜ききっていない。
そんな僅かな時間で、女に背後を取られた。
ただの人間ではありえない。
忍か。
正体を探ろうと、三成は女を見据えた。
「……」
互いに無言。
沈黙の中、先に動いたのは女の方だった。
空を見上げる、何気ない動作。
同時に、三成の感覚も自身に近づくわずかな殺気を捉える。
刺客である。
豊臣政権が崩されてから、そんなものは日常だ。だから今この時に襲われても三成は別段驚いたりしないが、しかし場所が非常に悪い。
何しろ、敬愛する秀吉の墓前である。せっかくの儀式を二重に邪魔され、三成の怒りはとうに頂点に達していた。
ありったけの殺気を放ち、周囲に神経を行き渡らせ、半歩後ろに足を引く。
今度こそ、一瞬ですべて終わらせてやる。
そう思った、直後。
「お待ちください」
女が不意に口を開いた。
その視線がまっすぐ自分に注がれているから、今のは自分に向けられたのだろう。
三成はそう解したが、かと言って従う義理もない。刺客は数十に及ぶ忍である。もう、とっくに互いの間合いに侵入しているのだ。
女もろとも斬り捨てる。
柄を握る手に力を込めるが、同時に淡々とした女の声が響いた。
「…墓前で争うなど、非常識も甚だしいとは思いませんか」
女を見ると、今度は刺客の忍たちに向けて話しているらしかった。
しかも不思議な事に、こんなにも近くにいながら彼らが襲ってくる気配はない。
いや、とそこで三成は自身の周囲を改めて確認し、静かに息を飲んだ。
糸が張り巡らされている。それも、幾重にも、墓と三成を取り囲むように。
それが攻撃を防いでいるのは明白であった。
「帰りなさい。命が惜しいなら…」
女の指先が糸の一つに伸びる。
忍が一斉に身構えた。
「惜しくないなら…」
感情の消えた女の目が、暗く光って忍に向く。
ピン、と指先が糸を弾いた。
「!」
弦をつま弾く音にしか、三成には聞こえなかった。
しかし、その一音で周囲の状況は激変していた。
頭をおさえ、苦しみもがく者、既に気を失っている者。
とにかく、そこに戦える状態の者は一人もいなくなっていたのだ。
「貴様…!」
「死んではおりません。今のところは」
女がそれを言い終えるより早く、三成は抜刀していた。囲っていた糸を斬り捨て、そのまま踏み込む。
女の表情には驚きも脅えもない。
斬った手応えは──なかった。
「三成様ー!」
目標物を失い立ちつくしていると、異常に気付いた武将たちが鎧を揺らして走ってくるのが見えた。
三成は小さく舌打ちして刀をしまう。
相当に腕の立つ忍と見える。しかし豊臣にあのような忍はいない。
だとするならば、何故。何故。何故。
疑問は尽きない。
「三成様…っ。こ、これは…!?」
「目障りだ。片付けろ」
「はっ!」
命じると、倒れた刺客たちが運ばれていく。それらには、三成はすぐ興味をなくした。
墓へ向けた三成の視線を遮るように、藤色の花弁が数枚、ゆっくりと舞い落ちていく。
それを一刀で断ち切って、三成は踵を返した。