色々夢

□VOYAGE
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セシルの目の前に、石造りの、美しい街並みが広がっている。
すぐ前にある道路を車が忙しなく行き交い、端に設けられた歩道では大人たちが足早に通り過ぎていく。
誰もセシルを見ない。セシルもまた、彼らに目を向けている訳ではなかった。ただぼんやりと眺めている。いつからなのか、なぜそうしているのか、セシル自身にもそれは分からなかった。

「ねえ、きみ、どこからきたの?」

不意に声がして、セシルは振り返る。そこでようやく、立っていた場所が、歩道に繋がる階段のすぐ前だったと気がついた。堅牢な造りの階段を見つめていると「ここだよ」ともう一度声がして、セシルの視線が引き上げられた。
三つの人影がある。
真ん中にいる赤い髪の少年が、階段の一番上で座ってセシルを見下ろしている。彼の隣には穏やかな表情の黒髪の、その左隣に金髪の少年がいて、金髪の方はセシルを少し警戒するような目をして立っていた。

「おーい、聞こえてる?」

赤髪の少年が、赤い目を丸くしてそう言うと、首を傾げた。セシルもつられて首を傾げる。
もしかして、彼は自分に話しかけているのだろうか。
セシルがきょとんと佇んでいると、焦れてしまった赤髪の少年が、軽やかにセシルの側まで駆け降りてきた。今度こそしっかりと目が合い、話しかけてくる。

「ねえ、きみ、このへんで見たことないけど、どこから来たの?」
「……どこ」

質問について考えようとして、セシルは、頭が真っ白になった。
名前は分かる。けれど、ここがどこなのか、自分がどこから来たのか分からない。
かすかに覚えているのは、渇いた砂の感触、照りつける光の熱さ、そして、誰かが必死に「逃げろ」と叫ぶ声。

「……っ」

何を忘れているかさえ分からない事も、頭をよぎる誰かの声も、どちらも恐ろしくて、セシルは両手で自分を抱き締める。しかし、沸き起こる恐怖に震える心と体はそれだけでは止められず、ますますどうすれば良いのかが分からなくなった。

「え、大丈夫!?」
「……あ」

綺麗な赤い目が、セシルのすぐ前にある。震えて何も答えられないセシルを見て、少年の手が、セシルの手に重ねられる。優しい温もりが伝わり、怖い気持ちが少し和らいだ気がした。

「おい、どうした!?」

そう声をかけてきたのは金髪の少年で、いつの間にか降りてきて、セシルの背を力強くさすった。先程睨まれていた気がしたのに、彼の行動は親切そのものだ。

「大丈夫ですから、ゆっくりと、息をしてください。さあ、もう一度……」

同じく、一緒に下までやって来た黒髪の少年は、セシルの肩に手を置き、落ち着いた声音で導いてくれる。セシルはこくりと頷き、その声に従った。
どれくらいの時間か分からないが、彼らはセシルが落ち着きを取り戻すまで根気強く声をかけ続け、何も分からないのに優しくしてくれる彼らに、セシルはとても嬉しくなった。
やがて落ち着きを取り戻し、ぎこちなくともゆっくりと微笑んだセシルを見て、三人は一様に安心したようだった。

「ごめんな、急に話しかけられて驚いたか?」
「……い、いいえ」

金髪の少年がひょいとセシルの顔を覗く。セシルと同じくらいの背たけの彼は、大きな青い瞳でまっすぐセシルを見つめている。三人の、気遣う色の見える優しい視線に押され、セシルはようやく最初の質問に答える事ができた。

「……あの、ワタシ、どうしてここにいるか、わかりません……」
「えっ」

驚きの声をあげ、三人が顔を見合わせる。次いで話しかけてきたのは黒髪の少年。

「あなたのお名前は分かりますか?」
「ハイ、セシルといいます」
「セシルって、綺麗な名前だね。おれはオトヤだよ。こっちがトキヤで、こっちはショウ」

赤髪の少年──オトヤがそう言って、黒髪のトキヤと金髪のショウを順に紹介する。
心の中で彼らの名前を繰り返すが、セシルの記憶には引っ掛からない。彼らもセシルと出会うのは初めてなのだそうだ。
困っている間にも、トキヤがいくつか質問を投げ掛けてきた。街のあちこちを指差して、街灯や階段、車といった名称、ドアの開け方などを聞かれて、セシルは迷いなく答えていく。

「……記憶が全くない訳ではないようですね。もしかしたら、何か……ショックなことが起きて、曖昧なのかもしれません」
「そっか……じゃあ無理に思い出さない方がいいのかな」
「でも……」

どこに住んでいて、どこに行こうとしていたのか、どこへ帰れば良いのか。これからどうしたら良いのか。何も、一つも分からないのだ。
セシルは言い淀んでしまったが、目の前にいるオトヤたちにその不安は十分伝わっていた。
すると、オトヤがニコッと人懐こい笑みで言う。

「大丈夫だよセシル。うちにおいで」
「え……」

事も無げに言うものだから、セシルはびっくりして、思わずトキヤとショウをみてしまう。
トキヤは苦笑した後、頷いた。

「説明が足りていませんが、それが一番良いでしょうね」
「だな。頼んだぜ、オトヤ。俺らも一緒に事情は説明するからさ」
「うん」

ショウもうんうんと頷く。
戸惑っていると、辺りに大きな音が鳴り響いた。全員の視線がセシルのお腹に向けられる。
今のは、セシルのお腹の音だ。

「……お腹すいたんだね」
「あぅ……ハイ……」
「つらいね」

恥ずかしくて俯くと、オトヤが優しく頭を撫でてくれる。笑ってくれてもいいのに、オトヤは何だか自分のことのように辛そうにしている。
隣では、トキヤが街の外れの時計塔に目を向けたところだった。先ほどトキヤに色々聞かれた時にその存在を知ったのだが、街から続く小高い山にあるあの時計塔はこの街のどこからも見えるのだそうだ。

「ちょうど良い時間ではありませんか?」
「お! じゃあ俺様が先に行っておまえらの分まで取っておいてやるよ!」

言うなり、ショウが階段を駆け上っていく。あっという間に姿が見えなくなって驚いていると、くい、と手が引っ張られた。いつの間にか繋がった手の先で、オトヤが楽しそうに笑っている。

「よし、じゃあ行こうセシル!」
「え……どこへ?」
「あのね、もうすぐ、あっちにあるパン屋のリンちゃんが『失敗作』を捨てる時間なんだ」

捨てるという不穏な響きに不安になるが、オトヤもトキヤも笑っている。

「怖がらせてすみません。本人は失敗したから捨てると言ってますが、いつもきちんとラッピングされているんですよ」
「すっごく美味しいんだよ! それ食べたら、一緒に帰ろう? おれの家族を紹介するよ。いっぱいいるから驚かないでね?」

オトヤに導かれるように一緒に階段をのぼる。途中からトキヤも反対側の手を繋いで、三人で駆け上がる。ぎゅっとするその強さが、セシルはとても嬉しかった。
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