色々夢

□小話(白雲)
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小話1

良い所があると言って楊采が兵をつれてきたのは、兗州の地であった。洛陽からの距離がそう離れておらず、ここでは依然として黄巾賊が好き放題暴れている。
それを討伐し、国を整えなければならないはずの太守はとうに逃げ出し、置いていかれてしまった人々は怯え苦しむ毎日を送っていると言う。
そこを曹操が太守の代わりに平定し、そのまま頂戴するのだ。

「黄巾賊か…」
「昔の事のように感じるけど、そういえば討伐途中だったんだな」

夏候義兄弟がぽつりと無責任な事を言い合っているのを横目に、楊采はあっさりした捕縛命令を出して兵士を進ませた。
張角亡き今、各地で残っているのは、都まで攻め入る勇気もなく、かといって更生する気もない、ただ堕落していたいだけの素人集団である。
と言う楊采の辛口診断はあながち間違いではなく、各武将が立ち上がるよりも早く、捕縛された者達が静かに引き摺られてきた。
実は、希望さえすれば曹操軍の兵士として住居、食事、給与等が保証されると、数日前に立札を立てておいた。貫きたい思想があるわけでもないならば、大人しく捕まった方が安定した生活が送れるのである。

「この調子でいこうじゃないか」

にこり。上機嫌で進む楊采を胡散臭げに見ながら、夏候惇たちも後に続く。
兗州全体に手を拡げるにはまだ時間が掛かるだろうが、さしあたって拠点となる都は早々に落としてしまいたい。
見えてきた城門を前に、一行は立ち止まった。
背後の城下町では既にほとんどの黄巾賊たちが大人しく縄で繋がれており、隠れていた人々が何事かと顔を覗かせつつある。

「…ふむ。壊すには少し勿体無い門だな」
「まず普通に呼び掛けるという選択肢はお前にはないのか」

着々と城門破りの準備が仕上がっていく中、夏候惇が真顔で指摘した。軍師のくせに、急ぐとは言ったが最初から力付くで行こうなど、やる気があるのかないのかわからないではないか。

「じゃあやってみるか? おーい、そこの!」

門上に見えた人影に声をかけるが、返ってきたのは鋭く放たれた矢であった。
む、と剣でそれを叩き落とした夏候惇めがけてもう一本矢が飛んできて、そちらは楊采が叩き落とす。

「聞く気がないようだな」
「…チッ。無言で立て籠るつもりか」

二人が馬上でそんな会話をしている間に、意外にも門内から声が聞こえてきた。

「フン! なんだあいつらは! 黒ずくめのは女みたいに細いし、その横の男も小さくてひ弱そうだ! あんなやつらに負けてたまるか!」
「そりゃ違いねえ!」
「あははははは!」

いつもなら夏候惇の方が激昂する内容なのだが、横にいる軍師の表情を見てしまった彼は震える事しか出来なかった。

「…お、い、ま、待て、落ち着け。お前まだ怪我をしてるだろう。無茶をするな」
「安心しろ夏候惇。私はあんな安い挑発で怒ったりしない。だが、あんな輩を率いれたところで軍の恥にしかならないだろうから教育的指導が必要だと思っているだけだ、主に体に直接教え込む感じで」

それを世間では挑発に乗せられていると言うのではなかろうか。
何をしでかすつもりかと身構えたが、楊采が次に取った行動は、馬から降りるという、ただそれだけであった。

「楊采…?」
「安心しろと言っただろう。私はここで見守るだけだ」
「いや、なんだその悪人みたいな笑顔は? 全く安心要素が無いんだが!?」

そうこうしているうちに、門破りの号令がかかる。

「門が開いても誰も入らないように!」

リズムよく叩かれる太鼓に混じって、凶悪な笑みを浮かべた楊采が皆に指示を回した。

「中に入るのは、あいつだけだ」

黒い手袋に包まれた長い指が、自身の愛馬を指差す。
楊采がたった今まで乗っていたその馬は、立派な鞍に主人不在となったその時から鼻息をあらげ、片足で土を蹴って門が開くのを待っている。尻尾がぐるんぐるん回って、離れていないと当たりそうである。

曹操軍の兵士であれば、この馬がいかに凶悪で狂暴か必ず知っている。
踏まれれば肺腑が潰れ、蹴り飛ばされれば骨が砕ける。万が一この馬が主人を連れずに戦場に放たれたら…と皆が怪談話にしていたその瞬間が実際に来てしまうとは。
兵士たちは一人残らず青ざめ、これから起こる悲劇を予想して震え上がった。中には門内に投降を呼び掛ける者もいる。

そんな中、最強の殺人馬を手懐けている恐ろしい黒ずくめが、楽しそうにその馬の鼻先を撫で上げた。

ちなみに、あと数回で門は開くだろう。

「あの中にいる人の形をしたものは全部倒してきて良いぞ♪」

まるで子どもに言い聞かせるような明るい表情で容赦ない一言を告げて、楊采が馬を送り出す。

誰も止められなかった。
そんな事をすればその人間も死んでしまうからだ。

「予定通り早く終わりそうだなー」
「こ、怖い…」

夏候淵がもはや泣き始めているのでそっと頭を撫でてやる夏候惇。
阿鼻叫喚の嵐となった門の向こうに目を向け、曹操軍の兵士たちは複雑な表情で立ち尽くしていた。
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