色々夢

□小話(秋水)
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さほど険しくはない山道を、一頭の馬が緩やかな足取りで進んでいく。遠目にも分かるほど大きく、大変に立派な青毛の馬である。
その背にはこれまた立派な鞍を載せており、そこは二人の人間が乗っていた。
若い男女である。女は落ち着いた色合いの服装をしているが、長く艶やかな黒髪と、袖や裾がひらりと風に揺れる様は大変に優美で、目を奪われる。
男の方は、一見して武人と解る程、所作に隙がない。それでいて、横向きに座る女を支える腕はとても優しげだ。
時折見つめ合っている事からも、二人はそういう仲なのだという事がとてもよく伝わってくる。

しかし、その二人の甘やかな空気を裂くように、彼らの前方に、荒々しさを隠そうともしない男たちが集団で現れた。
手にはぼろぼろの剣や鎌を持ち、身なりも決して良いとは言えない。何より、彼らの目付きは餓えた獣のそれだった。

「おい、ここを通りたけりゃ女と金目のもんを置いていけ!」

男の一人が馬上の二人に怒鳴り付ける。
が、二人の様子も馬の歩調も変わらない。というよりむしろ、馬の歩調は早くなっている。

「おい! 聞こえてるんだろ!! その馬も置い……お、おいぃい!!?? 」

気づけばその立派な馬は、男たちの眼前に迫っていた。

「う、うわぁあああああ!!」
「とま…っ、や、やめてぇええ!!」
「ぎゃあああああ!!」

辺りに、打撃音と悲鳴が響き渡り、その音で驚いたらしい鳥たちが木々から飛び立っていった。




馬超は、何とも言えない微妙な感情を完全に持て余して立っていた。
目の前には、眼光鋭くこちらを睨む隻眼の武将。その後ろで、立派な馬に横座りしたまましどけない空気を隠そうともしない美女。
仲間たちは既にほとんどが、その美女に釘付けになっていて、賊を縛り上げるのもおざなりである。
まあ、賊は皆、大怪我の上にひどく怯えて泣いているので逃げる心配はない。彼らは、馬超らが賊の出現を聞いて駆けつけた時には、この状態で地面に倒れていたのだ。
何がどうなってそんなにぼこぼこに殴られてしまったのかは、聞くまでもなかった。
ただ、相手が悪すぎただけだ。

普段の馬超なら、まずはもれなく美女に話しかけに行くところだが、何しろ恐ろしい壁がある。

曹操軍の中でも名高い、この隻眼の男。名は確か、夏侯惇といったか。

かつて、董卓を討つべく立ち上がった反乱軍の中で、馬超はこの男を見たことがある。だが、結局派手な活躍は聞かなかった。どちらかと言えば、曹操の横にいたあの黒ずくめの武将の方が目立っていたし、活躍したのは関羽という美しい少女だ。
それが、今目の前にいるこの男はどうだろう。いつの間にここまでの貫禄を身に付けたのか。

…この男、強い。
馬超の本能がそれを察し、戦いを予感して震えが走る。

「…こんな所まで、わざわざ何の用だい? 賊を捕まえに来たわけじゃあ、ねえだろ?」

うずく心を押し隠して訊ねれば、短く「そうだが」と答えが返る。続きを待っていると、なぜか夏侯惇はため息を吐いた。

「俺はあまり話すのが得意ではないから、うまく伝わるかわからんが…お前たちを相手にどうこうするつもりはない。その闘気をさっさと仕舞え」
「へえ? 随分平和主義なんだな、曹操軍の武将様は」
「…無駄な挑発はしないことだ。火がついて困るのはお前たちだからな」

そう言った夏侯惇がちらりと自身の背後に視線を送る。その先には美女が微笑んでいるだけだ。微笑みはそのまま、彼女が夏侯惇から馬超へと目を向けるや否や、馬超の背に悪寒が走った。
彼女はもしや、怒っている、のだろうか。

「…ひ、ひとつ確認なんだが、あの美女は…」

馬超が怯んだのが分かったのか、夏侯惇が今度は体ごと美女に向く。何かを小声で告げると、美女から殺気が消えた。

「随分、良い殺気をお持ちのようで」
「その話はもうやめろ。それより、ここのところ、この辺りは賊が横行していると聞いてはいたが、本当のようだな」
「ああ、先の大戦で逃れてきてるみたいでな。正直、俺たちだけじゃさすがに取り締まりが追いつかねえ」

ここは、馬超の祖先たちが代々守ってきた土地だ。この地を守るために、嫌々でも中央の権力者に従うふりをしてきた。
なのに、彼らの戦いで被害を受けた罪なき者たちが、この地にやってきて罪人へと落ちてしまう。
やるせない気持ちはあるが、馬超としてもこの地に住まう者を守る必要がある。
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